田中 新吾

「どこに注意を向けるか」を重視していた人たちを思い出した。

タナカ シンゴ

先日、妻が休みの日に出社すると言うので「どうしたの?」と尋ねてみると「休日のオフィスは人がいなくて仕事がとても捗るから」と私に返した。

家から出る妻を見送った私は、それから昔のことをふと思い出した。

本稿のタイトルにしている「どこに注意を向けるか」を重視していた人たち、についてである。

定例mtgは休日に行う

まず思い出したのが、前職2年目〜3年目にかかわっていた当時一部上場(現在はプライム上場)IT企業のマーケティングプロジェクトでとてもお世話になったMさんだ。

このプロジェクトは会社の大型案件でプロジェクトチームも錚々たるメンバーが集まった。

私はそこに運よくイチメンバーとして加えてもらったのである。

プロジェクト進行においては、本当に様々な経験をさせてもらうことができ、私の仕事人生をこれ抜きで語ることはハッキリ言ってできない。

人生を変えたプロジェクトと言っても過言ではないくらいだ。

そんな本件では他のプロジェクトでは味わうことのできない特別なことがあった。

それが「月2の定例mtgは休日(土曜日)に行う」というものである。

これは先方のプロジェクトリーダーだった事業部長Mさんの意向だったのだが、若手だった私は最初「え、休日にmtgやるの?しかも定例で?」と心の中で大きな不満を抱いた。

しかし、錚々たるメンバーゆえ、若手の私が思いを口にできるわけもなく渋々プロジェクトを進行することに。

ところがある時、Mさんから聞いた話で私はこの方針に物凄く納得がいった。

平日は電話が鳴ったり、メールが来たり、社内の打ち合わせが次々とあったりしてそちらに意識が取られてしまう。

このプロジェクトは本当に重要で成功させたいので、何にも邪魔されず、このことだけにフォーカスして御社とミーティングをしたいので、申し訳ないけど休日にミーティングをお願いしている。

若干うろ覚えだがこんな話だったと思う。

当時の私は上場企業の事業部長の平日の忙しさがどんなものか真に分かるはずもなかった。

しかしながら、社内に電話がなり響けば若手が出なければならない、返したメールもすぐに返ってくる、社内で誰かが立ち話をしていればそちらに気が取られる。

このような身近にあった「意識が取られる事象」に対して嫌気が差していた私には、Mさんの言ったことがストンと腹落ちしたのだった。

実際の定例mtgでは、静かなオフィスで何からのカットインが入ることもなく、その会議だけにメンバー全員が本当に集中することができていたと思う。

もちろんそこにいた私もである。

休日のオフィスは気が散らないからアイデアがまとまる

他にも思い出したことがあった。

前職1年目だった頃の話だ。

前述の話とも重なるが、その頃というのは、課内の電話が鳴れば若手が出なければならず、先輩から依頼された業務があれば当然ながらそれを優先してやらなければいけなかった。

それでいて、テレアポがメインミッションという時期もあって、日中に企画を考えたりすることは当時の私には困難を極めた。

そのため日中の業務終了後、残業という形で会社に居残り企画を考えるなどしていた。

しかし、私と同じように考える人たちも居て残業中も決して静かな環境とは言えなかった。

もちろん夜が遅くなればなるほど静かにはなっていったのだが。

そんな困り事を抱えていた時だった。

何のイベントのヘルプで入った時だったかは覚えていないが、イベント終了後の片付けで「休日のオフィス」に初めていくことがあった。

「休日だからきっと誰もいないのだろう・・・」と思いつつ中に入ると、そこには数名の社員の姿が。

驚いた私は近くにいたTさんに「どうしたんですか?今日は休日ですよね?」と尋ねると、

休日の会社は平日と違って気が散らないからアイデアをまとめやすいんだよね、だから時々休日のオフィスを使うようにしているんだよ

とTさんは私に教えてくれた。

1年目だった私にはこれが結構衝撃的で話で「休日にオフィスには行かないもの」という思い込みが外れた瞬間だった。

それからは平日の仕事は早めに切り上げ、休日の朝早い時間にオフィスに行き、企画を考えるなどの作業を時折するようになった。

やってみるとTさんの話は本当にその通りで、平日の日中とは明らかに違う生産性を実感することができた。

「注意」は人生における希少資源

今現在、私の中でMさんとTさんは「どこに注意を向けるか」を重視していた人たち、という位置付けがされている。

この言語化に関して参考になったのは、日本では2019年4月に出版されたロルフ・ドベリ著、世界的ベストセラー本「Think clearly」だ。

私がこの本に目を通したのは今年(2022年)の7月。

世の中全体の動きから考えるとだいぶ遅れての読書になってしまったが、それでも読んでよかったと思える。

やはりベストセラーにはベストセラーたり得る何かがあるものだ。

本の中でとりわけ私がハッとしたところを以下に引用したい。

あなたの人生においても、「どこに注意を向けるか」は、やはり重要な意味を持っている。

それなのに、私たちは自分が注意を向ける方向を驚くほど重視していない。

(中略)

Eメールやフェイスブックのアップデート。チャットのメッセージ。ツイート。ニュースアラート。世界各地からのニュース。文書内のハイパーリンク。ウェブサイトのビデオクリップ。

それに加えて、空港でも、駅でも、電車の中でも、人の目につく場所にはどこにでもディスプレーが設置され、私たちの注意を引こうと、ひっきりなしにハラハラさせるような広告や情報が発信されている。

(中略)

私はこう思っている。

私たちの前に提示されている「情報」は、実際には贈り物ではなく、略奪行為だ。

利益ではなく、損失だと。

情報は私たちに何かを与えているのではなく、逆に私たちから何かを盗んでいる。

ネット上でどんなにきれいに見えていても、インスタグラムの投稿は略奪である。

ニュース速報もメーリングリストも(ほとんどの場合は)同じだ。それらにかかわった途端に、私たちは自分の注意や、時間や、場合によってはお金まで奪われてしまう。

そもそも、注意と時間とお金は、私たちの重要な資源だ。

すでに「時間」と「お金」の大切さはすでによく知られていて、「労働」と「資本」という呼び名で学術研究の対象にすらなっている。

だが、私たちは「注意」に関してはほとんどわかっていない。

これら三つの中でも「注意」は現代におけるもっとも重要な資源で、成功や幸せを手にするには欠かせない要素だというのに、私たちは残念ながら「注意」との付き合い方を間違えているのである。

(太線は筆者)

ドベリの主張を知るまで、自分の中ではフワフワとしていて明確に言語化されていなかったのだが、この箇所を読んでそれは確かなものとなった。

「時間」と「お金」は人生における希少資源。

しかし、人生において「注意」はそれら以上に希少資源。

この主張は完全に納得できた。

以前私は「集中力は人生における貴重な資源」という記事を書いたことがあったが、集中力も「注意という資源をそこに集めている」と捉えるとしっくりくる。

関連記事:「集中」という希少資源を上手く使うために、個人的に取り組んでいる10個のこと。

「注意=希少資源」の話は、以前読んだ本に書かれていた「あなたがどこに注意を向けるかで、あなたが幸せを感じるかどうかが決まる」という心理学者ポールドーランの主張にも結びついた。

関連記事:自分一人でも製造できる「幸せ」と、自分一人では製造できない「幸せ」の取り扱い方について。

この記事を書いた当時、「注意がお金と時間と同じかそれ以上に重要な希少資源」とまでは捉えられていなかったのだが自分自身が「注意の重要性」に気づいていたことは分かる。

そして、MさんとTさんがしていた意思決定とそれに伴う行動も、ドベリの「注意」に対する主張と明確に結びついたのだった。

本人達から実際に聞いたわけではないが、おそらく二人とも頭のどこかに「注意=希少資源」という考えや感覚があり、それによって「どこに注意を向けるかを重視していた」のではないだろうか?

少なくとも「休日のオフィス」という「注意」が奪われない環境を積極的に選択していた二人に対して、こう考えると私はとても納得がいく。

「どこに注意を向けるか」を意識した方が人生は豊かになる

「豊かさ」の定義というのは人それぞれだと思うが、私は今のところ社会派ブロガーちきりんさんの定義が一番しっくりきているためこれを個人的にも採用させてもらっている。

豊かな生活とは、希少な資源を最大限に活用し、自分が欲しいものをできるかぎりたくさん手に入れるという生産性の高い生活のことです

この定義は「自分の時間を取り戻そう」という本の中で語られているもので、その中で人生の希少資源は「時間」と「お金」だとされている。

特に、究極的に希少資源である「時間」に意識を払って生産性を高くしていきましょうよ、という話だった。

そして、この豊かさについての定義があったところに「Think clearly」を読んだことで「希少な資源を〜」の箇所に「注意」が加わった。

加わったからこそ、読み進めた先に現れたドベリの次なる主張「どこに注意を向けるか」を意識した方が人生は豊かになる、にも心から共感することができた。

以上のようなことから、この先の人生において、今以上に豊かさを実感することができるよう「注意」という希少資源を最大限に活用していきたい、という考えで今いる。

注意は資源であるから「使えば減る」ということもしっかり念頭において。

UnsplashSasha Yudaevが撮影した写真

【著者プロフィール】

田中 新吾

「Think clearly」を読んでからは「思いやり」とか「気遣い」も「注意」がその源になっているのでは、と考えるようになりました。思いやりも使えば減り、気遣いも使えば減る。そういうものなのだと思います。

プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援

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