田中 新吾

割れば割るほど、たいていの問題は解決に進むという話。

タナカ シンゴ

先日、内田樹さんの「呪いの時代」という本を読んでいた時「それなー」と感じる表現に出会った。

以下に少し引用してみたい。

自分の論理を細かく割ってゆく。

自分の感情を割ってゆく。

自分の身体を割ってゆく。

分子レベル、元素レベルにまで割れば、どんな人間の特異な人格要素もいくつかの基礎的な要素の順列組み合わせでしかないことがわかります。

だから、問題は「割り方」なんです。

できるだけ細かく自分自身を割ってゆく。

割れば割るほど他者と共有できる要素が増えてゆく。

いかがだろうか?

私について言うとこの話はめちゃくちゃわかりみが深い。

以前書いた記事では「区切る」というワードを用いたが、恐らくこれと意味的にはニアリーではないだろうか。

参照:仕事で「難しい課題」をやり切るために、私が意識してやっている3つのこと。

言い換えると「分解」とも言えるだろう。

これまでの人生を振り返って見ても、たしかに「割り方」は肝だった。

ざっくりとではなく、できるだけ細かく割ってゆく、そしてその細かく割った事柄や状況に対処していく。

そうすることで問題が解決の方に進んだ経験は実際のところ多い。

だからこそ内田さんの「割れば割るほど」という表現にも非常に共感するところがあった。

以下、個人的なものではあるが幾つかの経験を示してみたい。

例えば、前職マーケティング会社に入社して1年目の時の話だ。

私が在籍していた会社は、コーポレート以外には、大きく「営業」と仕事を受注してきた後の納品までを担う「制作」の二つのチームが存在した。

新卒入社をした人間は「営業」または「制作」のどちらかに配属される場合が多く、だからこそ適性を見るための新人研修、仮配属は「営業」と「制作」の両方を経験した。

「営業」であれば、引き合いのあった見込み顧客のところに出向き、どんな問題が発生していて、何が課題なのかヒアリングを通して突き止め提案に繋げる。

「制作」であれば、納品に向けた進捗共有や問題解決を目的とした定例ミーティングのために客先に出向いたりする。

お察しのとおり、どちらも先輩たちについて多くの「客先」へ足を運んだ。

どこの馬の骨とも分からない社会人成り立てホヤホヤの私を客先に連れていく先輩達は、さぞ大変だったと今あらためて思う。

しかし一方で、先輩達の素性が全く分からない私も大変な思いをした。

感じのいい先輩は気にかけて向こうから色々話をかけてくれたりしたが、そんなことは全くしてくれない先輩も中には少なからずいた。

そのような先輩との同行はとても心労した。

こちらから話しかけなければ無言の状況が続き、話しかけたとしても私の質問が的を得ていないのかなかなか話が続かない。

「もうちょっと愛想よくしてくれてもいいんじゃないかなあ」など甘えた考えも過ぎりつつ。

すっかり困り果ててしまっていた。

ところがある時、そんな状況を知り合いの会社外部の先輩に相談してみると、その人から運よく解決のヒントをもらうことができたのだ。

「思うにどんな人でも共有できる価値観や関心は一つはある。だからそれを一生懸命探り当てていく。」

「大変かもしれないけど一つ探り当てることができれば、そこから話題はどんどん広がると思うよ。まあ俺の経験則なんだけど。」

たしかこんな内容だった。

苦労していた自分にとっては勇気の出るアドバイスだったのを今も覚えている。

これを受けた私は早速実行に移した。

すると探り当てるまでは大変だったが、先輩から言われた通りどんな無愛想な先輩でもたしかに心が通じるというか、共有できる「部分」はあった。

例えば、一人の先輩とは「アニメが好き ー エウレカセブンが好き ー レイとチャールズのあたりが特に好き ー 共通」という具合で、このポイントを見つけたところから話題は急に広がっていった。

思うにこの時に行っていたことはまさに「自分自身を割る」という動き。

会社外部の先輩からのアドバイスをもとに、自分自身の興味関心や経験をできるだけ細かく割って行って、相手との接点があるかどうかを一生懸命探っていっていった。

割れば割るほど問題が解決に進んだ私にとっては大きな経験となっている。

「記事を書く」という行為もそのままでは手も頭も一向に進まない。

ところが、これも割れば割るほど手と頭は動き問題解決が進むという強い実感がある。

私の「記事を書く」を大まかに割ると以下の通りだ。

・まず、主題(何を書くか、何を言いたいか)を決める。主題は日々メモにストックしているものの中からその時一番書きたいことを選択をする。

・主題に対して「仮タイトル」を付ける。

・「仮タイトル」が付けられたら文章を構成する「素材」を洗い出す。主張に関連した文献を当たることもなるべく行う。

・その後「リード」「結論」「論拠」「まとめ」の文章構成にそって素材を置いていく。

・文章が出来上がったら、推敲をしながら仮タイトルを見直して「本タイトル」に仕上げる。

・最後にサムネイルを選んで投稿する。

実際はもう少し細かいが、大まかに割るとこんな流れになる。

ハッキリ言って「記事を書く」という問題のままでは100%手も頭は動かない。

しかし、主題を決める、そのためにメモをしておく、仮タイトルを付ける、リードを書くなど、割れば割るほど手も頭は動く。

「経営」を考える場合だってそうだろう。

当然だが「経営」という大きな概念で捉えると短期的にも中期的にも長期的にも、何をしたらいいのかさっぱり見えてこない。

しかし、会社が継続的かつ計画的に事業を続け、利益を出し続けていくために取り組んでゆくべきことというのも、割れば割るほど見えてくる。

マーケティング、営業、制作、といったフロントオフィス。

経理、財務、労務、総務、法務といったバックオフィスに経営を割っていき、さらにそれぞれの問題と課題を細かく割っていく。

すると、細かく割った一つ一つは割る以前の状況と比べればだいぶ重量が減ってるため、前に進めやすくなる、といった具合だ。

このことは経営判断・意思決定の伴走支援をしたりする中でよく感じる。

話は内田樹さんの著書「呪いの時代」の内容に戻る。

内田さんは同著の中で、「他者と共生する」というのは「他者を構成する複数の人格特性のうちにいくつか私と同じものを見出し、この他者は部分的には私自身であると認める」ことだとも述べていた。

そのために「割る」そして「できるだけ細かく割っていく」ことが重要だと。

問題だらけのこの世の中においてこれほど有用な考え方はないのではないだろうか?

少なくとも今の私は強くそう思う。

「割る」の話は、少し前に書いた「Self as We(周りの人も含めてそれは自分と捉える考え方)」として「自己」を捉えるという考え方とも強く結びつく。

関連記事:「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。

記事の中で「Self as we」は、人間の協調的行動や倫理的規範といった「社会の問題」。

さらには孤独感といった「心の問題」を解決していく上で大きなブレイクスルーになる可能性を秘めていると私は書いた。

これも「割る」という考え方に支えられていると思うと納得感はより高まる。

生きていると本当に様々な「問題」に直面する。

これから先の人生だってきっとそうなのだろう。

だからこそ、何らかの問題に出会した時は「割れば割るほどたいていの問題は解決に進む」という考え方を引っ張り出して、できるだけ細かく割る、そして割ったものに対処していくことを辛抱強くやっていきたい。

UnsplashKyle Mesdagが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

「割る」「できるだけ細かく割る」は生成系AIに尋ねたり依頼する時もそのまま使える考え方だと思います。割られていないものに関してはAIもざっくりとしか答えてくれないですからね。

●X(旧Twitter)田中新吾

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