RYO SASAKI

お笑いの「ツッコミ」と「自粛警察」は共通している。

最近、お笑いのネタ番組が多くなった。

嫌なことを忘れたい。

時代を反映しているのだろうか?

笑いは免疫を上げるなど健康にいいと言われる。

『人間に許された唯一の特権は笑うことや。

笑いながら生きると言う事が人間としての証や。人は笑うために生きるんやで。』

松本人志

というお笑いに関する言葉を最近知った。

参照:名言&格言

私はお笑いは観て好きなだけの人なのだが、最近、あることをキッカケにお笑いについて思ったことを書きたくなった。

例えツッコミ

人は何を笑うのだろうか?

何が笑えて何が笑えないのだろうか?

素人が語れるものではない。

それでも敢えて思うところを書いてみたい。

日本のお笑いの基本は、ボケがあってそれに対してツッコミが入る、というものだ。

そのツッコミのひとつに例えツッコミがある。

芸人が化粧をした時にそのあまりの変化に対して、

「高低差ありすぎて耳キーンってなるわ!」(フットボールアワー 後藤)

大阪からずいぶん遅れて東京に進出したものの、大ブレイクまで至っていない、言わばくすぶっているダイアン(お笑いコンビ)に対して、

「燻製アーモンドみたいな」(麒麟 川嶋)

街歩きでしょっちゅう肩をぶつける相方に対して、

「磁石か!」(サマーズ 三村)

ここでは最近で印象に残っている一例にとどめる。

言葉のストックと瞬時にひらめく頭の回転、すごいものだと思う。

この例えツッコミはかなり進化してきているという評論もある。

共感性

特定の物や人に対していろいろな人がツッコんで、その中でピッタリだと思うツッコミを選ぶといった主旨のTV番組があった。

20億円以上のダイヤモンドを額に埋め込んだラッパー(実在する人)に対して一言、というお題。

「バカかこいつ!」

がピッタリするツッコミに選ばれた。

確かに自分もこれがピッタリだと思った。

ところでこのピッタリとはどういうところから来る感覚なのだろうか?

同じツッコミの、

「バカじゃないのこいつ!」

と比較してみると、

「バカかこいつ!」は、乱暴な言い方のため、そこにあきれている感じがにじみ出る。

こんな奴に対してまともに相手をしない、距離を置いた感じである。

これに対して「バカじゃないのこいつ!」ではその感じがでないので、少し弱いように感じる。

日本語の言葉の繊細さ、豊かさも感じつつ、ピッタリ感とは対象に対する価値観の一致度合によるものなのだと感じる。

非常識を演じるボケに対して、それをツッコミが常識的に正すという掛け合いがボケとツッコミ。

その常識をツッコミ担当が代弁してくれる。

ボケのユニークさに加えて、ツッコミがまさに「そうそう!」という共感によって笑いが起こる。

最近はまっているのが、スリムクラブ(真栄田と内間のコンビ)。

~不思議なおじさん 日本人へのメッセージ     コント「住宅街」~

住宅街のある一軒家の軒先に、「無料でどうそ」という張り紙があって食器や置物がおいてある。

無料と書いてあるにも拘わらず、これを恐る恐るもっていこうとする内間。

それを真栄田が「待ちなさい、それが日本人の良くないところだ。ただなのだから、もっと堂々としなさい!」

とツッコむネタ。

内間はボケをしているのではなく、一般にいそうな日本人を演じ、一般にいそうな人がツッコまれている。

無料なのにオドオドするのは、自分にも当てはまりそう、という一致した価値観があるから笑える。

一般に「いる、いる」という共感性とツッコミの中身の共感性が組み合わさって笑いをが起きる。

日常にはあり得ない大声での強いツッコミの演出で、「よくぞ言ってくれた!」と感じもあり、とにかくスカッとする。

ちなみに、先ほどの例えツッコミも同様に「わかる、わかる」という共感が笑いになる。

例えが何のことかわからなければ笑えない。

前向きとハッピーエンド

これは好みによる話かもしれないのだが、前向きとハッピーエンドも笑い(面白みも含む)のバロメーターなのではないかと感じたのが、今回のキングオブコントだった。

空気階段のコントは、消防士と警察官がプライベートで客としてSMクラブに入店した時に、火事が起きる、という展開。

パンツ一丁にストッキングを被せられ、縛られた消防士と警察官が火事場から人を救い出すために奮闘する。

バカバカしいがとにかく前向きで、一生懸命でハッピーエンドで終わる。

パンツ一丁姿の滑稽さだけでは、大人はそんなに笑えない。

救いだそうとする一生懸命さへの共感が笑いを膨らますのだ。

これに対して、ニューヨークのコントは結婚式の事前打合せをするシーン。

コーディネーターは、新郎の要望を一切聞かずに、勝手に適当に式を演出しようとする。

更に、コーディネーターは賭け事が気になって、仕事に全く集中できないメチャクチヤなキャラ。

ずーっと一本調子で何も解決しないままひどいコーディネーターで終わる。

一生懸命でもないコーディネーターが好き勝手やって、何も解決しない後味の悪さはなんとも言えなかった。

そんなに無茶する人がいるのか?

なぜコーディネーターがそんな無茶をするのか?

どうも共感ができない。

ニューヨークのブラックユーモアは面白いし、ツッコミの方の内容は、共感するものだが、それだけでは何か足りない。

例えばコーディネーターが誰しもが持つ共通する闇を持っているなど、共感が上回らないと賞レースでは難しいとも思う。

SMクラブに通う警察官、更にそこに火事が起きるということはほとんどない?だろうが、ホントに起きたらこうなるかも、となぜだか、共感する。

多くの人は、人の健気な様やハッピーエンドによって気持ちよくなる。

シャーデンフロイデとは

書籍「シャーデンフロイデ」著:中野信子 

を読んだことが笑いについて書きたいと思ったキッカケだった。

詳細の感想はこちら

ここから一部を抜粋する。

この本で紹介しているシャーデンフロイデは、

「誰かが失敗した時に、沸き起こってしまう喜びの感情のこと」

で、この感情がなぜ起きるのかというと、上手くいっている人や目立っている人に対してずるいと思う嫉妬心からきている。

そんなずるい人はミスしてしまえ、という気持ち。

嫉妬心は何から起こるかというと・・・

人間はずーっと集団で生きている。

その集団の中で都度出てくる異端児(人と変わった人間、非常識な人間)を野放しにしておくと危険だから、常に監視して場合によっては制裁を加えるなどしてコントロールして行く必要が生まれた。

「出る杭は打たれる」

シャーデンフロイデを持つ人間の機能は集団を維持して、自らの命を長らえるための知恵からできあがってきた。

すなわち、人間は生きるために嫉妬するようにできているということのようだ。

日本は米作中心の時代が長く、米作は小麦より行程が多いため、集団で協力して行う必要があった。

また、日本は災害が多いため、こちらも集団で対処する必要があった。

これによって日本では、更に集団が生きるために非常に大切なものとなった。

この環境が、集団のために自分の意見が言えない日本人、周りに合わせて個性がない日本人を作り出した。

同時に、集団での団結力、助け合いが素晴らしい日本人ができた。

嫉妬心が強く、異物に敏感な日本人ができた。

自粛警察やSNSでの批判も自分を含む集団(国であったり、組織であったり、会社であったり)を守るために正義感として発動している。

※正義感だけでなく、承認欲求などもそこに加わったものであるとは思うが・・・

人は異物を是正すると気分が良くなるし、楽しくなる。

この日本人の正義感の話が、お笑いのツッコミにつながる。

ツッコミは常識的で日本人にピッタリ

お笑いのボケとツッコミは、どこか抜けていたり、しっかりしていなかったり、常識はずれの面白い言動をとる。

これに対して、ツッコミはその風変り、あるいは、ボケの異端さ、非常識を批判する、あるいは、是正するようにしてできている。

「何でやねん。」

「そんなやついるか。」

「むしろ●●やろ。」

・・・

ツッコミはその内容が、多くの人の常識でないと共感できない。

笑うためには共感性が必要と前述した。

ボケの非常識感を笑い、それに対する常識的なツッコミにそう!そう!と共感しつつ笑う。

ボケとツッコミのようなものが海外にあるのだろうか?

アメリカにはボケとツッコミの形態がなく、コメディアンはボケだけになるようだ。

だから、英語にボケとツッコミの訳語自体が存在せず、

敢えて英訳すると、

ボケ = a funny man

ツッコミ = a straight man

ということになる。

straight man = 正しい人

この言葉もツッコミが常識的であることに符合する。

日本のツッコミには、日本人に共通するひとつの価値観がその背景にあるように感じる。

アメリカは、様々な人種による合衆国であり、様々な価値観、個性を認める土壌にある。

一律の価値観というものが難しい。

したがって、一律にツッコめる範囲が狭く、ボケをどう感じるかは観衆に任せることになっているのではないか?

更には、個性を尊重するから、そもそも特徴を是正することには、越権行為というベースの考え方があるのではないか?

額にダイヤモンドを埋め込んだラッパーに対して、日本人が感じる「バカかこいつは」という微妙なニュアンスの価値観に対して、アメリカでは一律にそう感じないかもしれない。

集団を大切にしてきた日本人だからこそもつ、集団の一律の価値観、常識。

少し前まで一億総中流と言われた所得格差の少なさによって更に強固になる一律の価値観、常識。

日本人は、みんなの常識で、みんなが共感する笑えるツッコミが出来上がりやすいのではないだろうか?

もう一つには、集団を維持するためにちょっとした違い、個性を見逃さないセンサーがある日本人。

非常識な異端児をほーっておかずに、批判する、制裁を加える、懲罰を与える=出る杭を打つ日本人。

正義感がくすぐられ懲罰を与えると気持ちいい日本人。

これを代弁してくれるツッコミは、日本人にとってDNAに組み込まれた気持ち良さなのだとも思う。

そういう意味で、ツッコミは日本人に非常にマッチしている。

ツッコミは、日本人に与えられてきた環境から発達した日本独自の文化のように感じられた。

笑いは切り替え

笑いには、いろいろな種類があるのだが、ドイツではユーモアを「にもかかわらず笑うこと」と定義しているそうだ。

「にもかかわらず」の前に入るのは「想定外」や「不快」になる。

人間は「想定外」や「不快」を笑うようにもなった。

ユダヤ人はヘブライ語でジョークのことを「ホフマ」と言い、同時にそれは「知恵」も意味するという。

迫害を受け続けてきたユダヤ人がアウシュビッツ収容所で、地獄から生還するために、自らに課したのが笑いだったともいう。

参照:人はなぜ笑うのか

笑いによって快感物質が放出されるのだが、笑いは人生の苦しさを乗り越えるために生み出されたと言えるのかもしれない。

社会風刺による笑いも社会を変えるための知恵であり、苦しさを乗り越えるための知恵でもあるのだろう。

それでひとつ名言をまた思い出した。

『めっちゃ笑える話って、もとをたどれば、「腹の立つ話」だったりするんじゃないですか、そう考えると、面白い芸人っていうのは、すべての感情をいったん「お笑いのフィルター」に通して、そこで信号を切り替えられる人間のことかもしれません。』

松本人志

参照:コトバのチカラ.jp

笑いがより良く生きるための、見方のずらしであり、切り替えであるということにつながってくる。

日本人の話に戻る。

常識なるものを押し付けて攻撃する自粛警察や相手の非常識なるものを批判するSNSの投稿をよく目にする。

何も生み出さない指摘や懲罰的な行為もあるのだろう。

これは忌忌しいことかもしれないが、日本人の懲罰を与えたいというDNAを知ると、自粛警察にもSNSの投稿にも寛容になる自分がいる。

人が常にマウントをとりたいのも生存競争をしてきた証し。

必要だから備わったのだから、必要なのだと。

もちろん、やり方や程度にもよるだろうが。

まあ、無意味であったり、やり過ぎであったりを繰り返す、合理的でも賢くもないことをしていくのが人間なのだろうと思う。

ツッコミは、自粛警察やSNSの投稿とその動機の原動力が共通している。

ならば、ツッコミによる笑いは、日本人が持つ攻撃したいDNAの矛先、吐き出し先を少しは担っているだろうか?

吐き出し先としてもっと笑いを使えば社会は豊かになるのだろうか?

最後に

環境に適用していくのが人間だから、環境要因というものは非常に大きいわけで、集団を大切にする必然性がないと逆に個性が際立つ社会に変化していくのだろう。

米作が機械化され、災害を減らす対策ができれば、集団を大切にする必然性は消える。

TV離れも加速し、私の言う日本人の一律の価値観なんてものはもう既に過去のものなのかもしれない。

それでも、また、新たな集団を大切にする必然性は生まれるのかもしれない、いや、すでに生まれているのかもしれないとも思う。

集団を大切にして、みんなが一律で共感できる社会がいいのか?

個性豊かで別々の価値観を持つ社会がいいのか?

それはどちらにも一長一短がある。

人間は、この常に一長一短がある時代のその時その時の不快を批判して、切り替えてまた笑って、生きていくのだろうと思う。

個人のことで言えば、誰にも訪れる老いに対して。

いろいろなところにガタがくる。

もちろん身体を大切にする、メンテナンスする、これらは前提として、プラスその老いに対して、切り替えて、笑って生きるのもいい方法だと思う。

Photo by LOGAN WEAVER on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

自分のミスを、自分のバカさ加減を、自分のガタが来ている身体を、笑えるならば人は最強な状態なのかもしれません。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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