日記とは ~自分に何を響かせて生きるのか?~
日記を毎日書いている方が入っているコミュニティをチェックしていた時に、自分の子供の頃のひとつの思い出が蘇ってきた。
私の両親は共働きだったので、私は愛されておばあちゃん子に育った。
学校から帰ると祖母は私に間食(おやつ)をつくってくれたので、祖母の部屋に入り浸っていた。
今思えば祖母はただただ献身的で私に甘かった。
母は私がおやつでお腹が一杯になって夕食を食べないので、甘やかす祖母をよく思わなかったものだ。
そんな子供の頃にいつも見ていたのは、祖母が日記を書く姿。
祖母は、頻繁に日記を書いていた。
「見せて!」と言ったら字が汚いからと断られた。
チラッと中を覗いたことがあったが、筆記体のような文字が縦に書かれていて全く読めなかった。
「ばあちゃんは、いつからなぜ日記を付けるようになったんだろうか?」
今回はこんなキッカケで日記について、書いてみたい。
ある日記の書き方
少し前に受講した講座の中に、日記の書き方のコーナーがあった。
その書き方とは、日記に以下の4要素を並行して書くように、というもの。
・夢→これをしたい、こうなりたい、これが欲しい
・励まし→自分はやれた、すごい、こんなことができたんだ、やれる
・感謝→〇〇で助かった、〇〇のおかげだ、〇〇にありがとう、
・反省→これができなかった、今度はこうしよう、もっとこうしよう
これを知った時に私は、
「日記というものは、日々考えていることを書くものと言ってもいい。
日々何を考えて生活するのがいいのか?を考えた時に、上の4要素は確かに必要なものだ。
私はこれ以外のこともあれこれと考えていたなあ・・・」
などと感じた。
このやり方に沿って日記を書いていくと、私の場合は、自分への「励まし」が少なくなる。
「励まし」を書くのが大変で同時にそれを書くことが新鮮だった。
一方で、「反省」の方はたやすく書ける。
「自分を甘やかしてはいけない。
励ましている場合ではない。
もっと改善しなければ・・・。」
これが成り行きでここまできた私の特徴なのだと思った。
こちらの日記の書き方はこの4要素を何も同等に書くべき、とは教えていないのだが、バランスが悪いならばそれを認識した方がいい、というニュアンスがあった。
正解があるわけではなくて、アンバランスも人それぞれの特徴なのだろうが、あまりバランスを崩すとうまく行かなそうな気は確かにする。
「反省」も悪かった、悪かっただけでは自信を失って苦しくなるから、次はこうしようというところをイメージできるまでの「反省」をするか、「反省」した分だけ「励まし」をしてバランスをとることが必要であるように感じて、バランスの必要性に納得するところもある。
ここで、俳優の大滝秀治さんの言葉が思い浮かんだ。
自信の上には奢りがあり、謙遜の下には卑屈がある。
決して自信に堕ちるな、謙遜に満ちるな。
私の自己分析では、私は謙虚な男だ。
どの口が言うのか?
と知り合いに非難されそうだから、自分で早いとこツッコんでおこうと思う。笑。
謙虚だから反省に偏って生きてきた。
これは卑屈になりやすい傾向にあると言える。
私は今は日記を毎日つけているわけではないが長く日記をつけたことで、この4要素のバランスを意識して日々思考するようになり、そしてまた、それ以外のことの思考が減ったと思う。
ちなみに、日記の書き方の説明では、日記に繰り返し書くことによって夢が実現しやすくなる、ということも聞いた。
書くことでの刷り込みを活用する
日記について書いている本を読んでみた。
少しまた別の角度からの見方になるのだが、そこで私が一番印象に残ったことは・・・
「青年」という言葉には、旧来の時代との訣別の上に未来を切り拓く新しい時代の担い手という「青年神話」がつきまとう。
日露戦争後に国家的に推奨された「青年」には、旧弊のまま放置される農村を「一等国」にふさわしい国民国家の基盤としての農村への切り替えていく歳の担い手という期待が込められていた。
「農村青年」という抽象化された概念を一つの理想像として「自己」に投影させることとなった。
当時の青年が日記を綴るという行為が「自己」の一つの属性である「農村青年」としての主体性を獲得するための営みであったとも言えるだろう。
日記文化から近代日本を問う: 人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか
より。
という内容だ。
日記は、「青年」というような国の推奨する概念を、国が個人に植え付けるものであった。
また、個人を主体にして言えば当人の中に概念を構築していくことに寄与したということのようだ。
日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱
こちらでは、これに近い意味合いで「国民教育装置」という言葉が出てきた。
その「国民教育装置」の例として、主婦日記というものが家計簿とセットして広まり、当時の主婦とはどうあるべきかが刷り込まれた、という意味合いのことが書かれていた。
日記によって国の教育が行われた、刷り込まれた、ということは今ではあまりいいイメージではないし、今となっては身近には感じられない。
でももし、ここから今に活用できることがあるとすると、自分が何かになろう、何かであろう、とすることのアイデンティティー構築の(言葉は良くないが自分に刷り込む)ために日記は活用できる、ということになるだろう。
一方で、勘違いしたままに自分にとって悪影響の出ることを自分に刷り込むこともできるから、要注意ということになる。
自分に響かせる
考えて見れば、人間は自分のこと(自分に関する周りのこと)を考えている時間が一番長い。
そして、自分との会話時間が一番長い。
だから、その長い時間をどう使うかが、人生に大きな影響を与えることは言うまでもないのだろう。
その考え方を習慣付けるために、日記は大切な方法のひとつなのだと思う。
※日記には様々な書き方があるので、この要素だけではなく幅広いのだと思います。
思考をする自分を観察してみると、自分で考えたことを自分が聴いていて、自分が納得したり、自分を反省したり、自分を励ましたり、と一人で会話するという手順を踏んでいる様子だ。
これを日記に書くのがひとつの日記のつけ方だ。
そして、以前の記事では量子力学的に身体は波だと書いたが、そこに準じているとすれば自分の思いを自分が聴いていて自分の身体に響かせているということになる。
ある方は人間を楽器のようにとらえて、身体の調律が必要だと言っていた。
「やってる、やってる」
「面白い、面白い」
「ありがとう、ありがとう」(何かを信頼してそれに身をゆだねてる感覚らしい)
などを事ある毎に発して、口癖にしているらしい。
この口癖を響かせることが調律のひとつの方法ということのようだ。
確かに、発することで気分や機嫌が変わり、その時に細胞が変わっているように思う。
日記をつけることが調律になる、何を書いてどんな波として震えるのかが人生で大切になるのだ。
また、日記をつけることで、自分の思いや考えなどを自分に刷り込むこともできる。
いい言い方ではないかもしれないのだが、刷り込みによっていい具合に自分を勘違いさせてその気にさせる、奮い立たせるなんてことだって時には有効なのだろうと思う。
祖母の話に戻る。
祖母は若い頃に神奈川県の鎌倉のある方のところで住み込みで働いていたことがあった。
小学校6年生の時に私は初めて上京して、祖母が当時お世話になった方を尋ねる旅に同行した。
私の田舎の周りのどこを見渡しても、日記を付ける習慣を持っている人はいない。
とするとこの鎌倉暮らしが祖母が日記をつけるキッカケになったのかもしれない。
田舎で生まれた者が、都会に移住して他人の家に住み込むということは、今に比べて一層大変なことだったと想像する。
祖母は、そこで日記を誰かに教わって書き始めたのかもしれない。
それは寂しさを紛らわすためだったのかもしれないし、ここで生きていくという決意表明だったのかもしれない。
いずれにしても祖母の日記は、そのあと私の生と私の人生に力を与えてくれたのだろうと感じた。
母(嫁)と祖母(姑)は仲が良くない時期もあって、母は祖母の日記に「どうせ私の悪口を書いてるんでしょ!?」などと言い放ったこともあった。
祖母は謙虚な人だったので、私は反省を綴っているのではないか?と想像したりしたこともあった。
残念ながら今となってはどれもこれもわからずじまいなのだが、いずれにしても日記というものは、何を自分に響かせて生きるのか?という意味合いで、人生に大きく影響する大切なアイテムなのだと、祖母を思い出しながら感じた。
Photo by ASTERISK KWON on Unsplash
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
祖母がおやつによく作ってくれたのは、シンプルなベッタラ焼きでした。
祖母が亡くなった時に、お通夜の席でオイオイと号泣したことも思い出しました。
私は、既にいい大人になっていてかなり恥ずかしかったのですが、止めることができませんでした。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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