「読書」の「人を精神的に強くする」という効用についての話。
少し前になるが「38歳で読書をはじめた」という記事を読んだ。
漫画と雑誌たまに、仕事の本も必要なら必要な部分だけ読むぐらいで、活字の本を通して読んだ記憶がほとんどなかった。
アニメや映画が好きだからというだけで特に嫌いというわけではなかったがタイミングがなかったんだな。
で、去年からリモートになって背景が本棚の人かっこえーと思い、壁紙をリフォームする感覚で本棚と本を買った。
壁のサイズを測り、ニトリで丁度になるよう2つ本棚を買って組み立て。
あとはメルカリで中古本を600冊ぐらい買った。
「ハードカバー セット」とかで検索すると背表紙を見れるので適当に購入しまくり、本屋にも行って画集とか翻訳もののかっこいい本とか大人買いした。
本棚と合わせて全部で20万弱。部屋がかっこよくなって読んだことない本が大量にあるという状況を作ることができた。
それでまあみんな知ってるんだろうけど読書って面白いな。
にわかデビューで1年300冊ぐらい読むほどはまってしまった。
掻い摘んで言うと、
筆者は、漫画と雑誌をたまに、仕事の本も必要なら必要な部分だけ読むぐらいでほとんど活字の本を読んでこなかったという。
ところが、仕事がリモートになったことが契機となって「1年間で300冊」ぐらい読むようになったという内容だ。
38歳になるまで、活字をほとんど読まなかった人間が、1年で300冊とは凄まじい態度変容である。
しかも、そのきっかけは「リモートで背景が本棚の人がかっこいいと思って、壁紙をリフォームする感覚で本棚と本を買った」というのだから面白い。
やはり「人は感情で動く」という基本は変わらないのだろう。
文化庁による平成30年度「国語に関する世論調査(*1)」の「読書について」の調査によれば、「本を読まない人」が半数近く(47.3%)おり、1ヶ月に「7冊以上」読む人は僅か「3.2%」だ。
村上春樹氏は以前、期間限定サイト「村上さんのところ(*2)」の中で、「真剣に本を読む人は全人口の5%くらい」だと述べていた。
ここで使われている「真剣に」の真意は当然分かりかねるが、仮に「読書量」だとすると、文化庁の調査結果とも近似してくる。
しかし、1ヶ月に7冊読んだとしても1年で84冊。
300冊という数がどれほど凄いかを思い知るばかりである。
最近「読書」の本質的な効用が分かってきた
私の話をすれば、漫画・雑誌を含まず1ヶ月に平均して「6〜7冊」ほどの本を読んでいる。
文化庁の調査結果で見ると、割と読む方に位置付けられるのかもしれないが、気持ち的にはもっと読みたい思いだ。
しかし、このくらいの冊数を読めるようになったのはつい最近のことで、年齢にして言えば「32歳」の年からだった(現在35歳)。
それまでは「38歳で〜」の筆者とほとんど同一の人生を送っていたと言っていい。
学生の頃なんて「活字は眠くなるから嫌い。動画が好き。」と周囲によく言っていたものだ。
そんな私も今となれば、
「淘汰されずに生き残ってきた人類の知恵に触れたい」
「先端の知識を知りたい」
「自分が歩むことのできなかった人の感情や思考に触れたい」
「多様な表現方法を知りたい」
このような動機から、和書、洋書、古典、ビジネス書、小説など、品を変えながら毎日のように読書をするようになった。
習慣になったのは「必要に迫られた」というのが大きい。
読書は、本質的なこと、最新の知見、物事の見方、人の感情など様々な知見を私に授けてくれる。
思うに、最先端の知識やアイデア、世の中の真理や本質的なことを捉えている人ほど「本を書きたい」と考える。
だから、本にそういうものが集う。
その意味で、ネットの登場で情報が爆発的に増えてもなお、本の価値は依然として高いのだろう。
そして、
私は、図らずも最近になり「本質」と呼ぶに値しそうな「読書の効用」が分かってきた。
この効用、読書が習慣になる以前はまったく考えもしなかったものだ。
何かというと、
「読書」は「人を精神的に強くする」というものである。
そもそも「精神的に強い人」は存在しない
話は変わるが、少し昔話をする。
以前別の記事(*3)でも触れた話だ。
私は浪人生の頃、予備校の授業料を少しでも自分で作ろうと思い「ファミリーマート」で夜勤のアルバイトをしていた。
そんなある日、勉強とアルバイトの負荷が身に降りかかりアルバイトの帰り道で、乗っていたバイクで事故を起こしてしまったのだ。
事故といっても「自爆」で、「自分がバイクごと路肩の電柱に激突した」という話である。
激突した瞬間の記憶が無いのは、私は「運転しながら寝てしまった」から。
今考えても自爆で本当に良かったと思う。
そして、私が意識を取り戻したのは病院の集中治療室のベッドの上。
あとで聴いた話によれば、乗っていたホンダの「ZOOMER(ズーマー)」は、フロント部分が完全大破で廃車になってしまった、ということだった。
そして、目を覚ますと私は、視界が二重に見えたり、口がうまく塞がらなかったりと、自分の目や顔に「特別な異常」があることに気付いた。
電柱に頭を激しくぶつけたために、右側の「顔面神経」と、右目を動かすための「外転神経」が強く麻痺してしまっていたのだ。
そのため、
「視界が常に二重になって見える」
「食べ物を食べようと思っても口から零れ落ちる」
「ヨダレが意思と関係なく零れ落ちる」
「笑いたくても右側の口角がうまく上がらない」
こんな具合に、突然不便な状態に陥り、精神的にも不安な入院生活を余儀なくされた。
ちなみに、
当時先生のサポートもあり、リハビリを死ぬ気で頑張ったかいもあって、今では後遺症はほぼ残っていない。
「生存者バイアス」と言われればまったくその通りなのだが、私にとってはこの時の経験が大きな「心の拠り所」になっている。
つまり、
「あの時の苦しみに比べれば、今のこの苦しみは大したことではない」
今まで苦しいと思う場面でも、一歩引いてこのように考えることで、苦難を乗り越えてきたところがあるのだ。
思うに、そもそも「精神的に強い人」はいない。
「心の拠り所」があるおかげで「精神的に強くいられる人がいる」というのが本質なのだろう。
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「心の拠り所」となるものは「複数」あればなお良い
私のように「人生経験」を「心の拠り所」にしている人は多いだろう。
成功体験、失敗体験、一生懸命努力したことなど「心の拠り所」という言葉一つでは決してまとめられないほど多様だ。
例えば「事前準備」も心の拠り所になる。
私が前職マーケティングファームにいた時に学んだことの中で、最も重要な事項の一つは、間違いなく「仕事は事前準備が8割」だった。
要するに、
「人を説得できるかどうか」は、
その場のプレゼンテーションの上手い下手ではなく、事前準備の緻密さに大きく依存し、
「プロモーションイベントが上手くいくかどうか」は、
当日起こりうることを緻密に想定して、その対策として事前準備をどれだけしておけるかに大きく依存するというものだ。
そして、この「事前準備」が精神的な支えとしてあるからこそ、本番で高いパフォーマンスを発揮することができる。
漫画やドラマのように都合のいいラッキーはどこにもない。
もしかすると、周囲からは「精神的に強い人」だと見られることもあるかもしれないが、実情はすべて「事前準備の賜物」である。
加えて、心の拠り所となるものは「複数」あればなお良い。
これも前職で学んだことだが、
入社当時の上司に「頼れるパートナーを社内も社外もとにかく増やしておくんだぞ」と教えられ、そのとおりに動いていたら、仕事をしていてもそれほど不安になることはなかった。
東京大学 先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生の「自立」についての話は知っている人も多いだろう。
「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちですが、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。
これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと思います。
これをはじめて見かけた時、
「心の拠り所」を増やしていくからこそ、人は精神的に強くなる。
私はそう解釈した。
「時代や場所を超えたつながりを持てている人」ほど精神的に強くなる
話は冒頭の「読書」は「人を精神的に強くする」という話だ。
言うと、今私は間違いなくこれを実感している。
ブラックスワンで知られる「ナシーム・ニコラス・タレブ」
経営学者の「ピーター・F・ドラッガー」
工学者の「エイドリアン・ベジャン」
歴史学者、哲学者の「ユヴァル・ノア・ハラリ」
認知神経科学者の「ターリー・シャーロット」
行動経済学者の始祖「ダニエル・カーネマン」
社会心理学者の「小坂井敏晶先生」
社会心理学者の「山岸俊男先生」
くらしのきほんの「松浦弥太郎さん」
読書の習慣化によって読んできた、この方々の「本」やその中の「一説」が、間違いなく私の「心の拠り所」となっているのだ。
「身銭を切らない限りは信頼は得られない」(タレブ)
「何らかの人間関係を築くには、はるかに多くの時間を必要とする」(ドラッガー)
「人生の意味を理解するとは、自分ならではの機能を理解することであり、良い人生を送るとは、その機能を果たすこと」(ハラリ)
これらがあったおかげで救われてきた場面を数えるには両手では足りない。
言い方を変えると、この方々が私の「メンター」になってくれているのだ。
そして、思うに「時代や場所を超えたつながりを持てている人」ほど精神的に強くなる。
要するに、はるか昔、2500年前の「ブッダ」とつながっている人は人類史上最強のメンターを得たことになる、ということだ。
そして、この様なつながりは基本的に「本」という文献を読むことによって獲得することができる。
精神的なプレッシャーが尋常ではない経営者達が、「歴史本」を好んで読む理由もここにある。
「今」のつながりだけでは支えとして弱いのだ。
それから、「読書習慣がある人」は「身体が健康」だから「精神的に強い」という説もあるように私は思う。
「ゲコノミクス」という本の中で、ひふみ投信の藤野英人さんとほぼ日の糸井重里さんが興味深い対談をされていた。
藤野:この2〜3年の間、70代、80代でがんがん成功している起業家、アーティスト、写真家にいろいろインタビューしたんです。
インタビューをもとに、どこに共通点があるのかを探ると、ほぼ9割ぐらいの人が大変な読書家でした。
さらに、少し前に、NHKが独自に開発した人工知能「AIひろし」が、北海道から沖縄までの65歳以上のお年寄り、のべ41万人の生活習慣や行動のデータを分析して、健康がどんな生活習慣に関係しているのかということを調べたんです。
それで出てきたのも読書だったんです。
読書習慣がある人は、散歩をしている人よりもラジオ体操をしている人よりも食事制限をしている人よりも、健康に直結していたと分析されたんです。
糸井:そうですか。
藤野:不思議に思って何人かの医者の友達と話をしたら、たぶんこういうことじゃないかという推論でした。
それは、まず本を読んでいるときにばかばか食べられないし、お酒も飲めない。
それからひとりでいるので他者からの圧力がなくストレスもない。
体を休めているの状態で、頭を使っている - こうした状態をつくっている時間が長い。
だから健康なのでは、ということです。
ぼく自身もいろいろな経営者と会ったときに、わりとクリアな人って、1に読書、2に読書、3、4がなくて5に散歩という人が多くて。
糸井:かなりぼくですね、それは。
藤野:やっぱり
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「読書習慣がある人は、散歩をしている人よりもラジオ体操をしている人よりも食事制限をしている人よりも、健康に直結していたと分析された」
ここは私にとって見逃すことができない分析結果となった。
しかし「読書」は「人を精神的に強くする」という効用は、読書が習慣になるまでは本当に実感することがなかった。
「習慣の中からしか見えてこないものもある」ということも、実感がより強く持ててきたところである。
言うまでもなく、この先の時代は不確実性が増す一方で、益々「精神的に強くないとやっていけない時代」になると言ってほぼ間違いないだろう。
つまり「心の拠り所」が今よりも一層必要な時代になっていくのだ。
そして、当然のことだが、待っていればどこかの誰かが「心の拠り所」になってくれるわけでもない。
頼まれてもいないのに、そんな暇でお人好しな人などどこにもいない。
みんな「自分」のことで精一杯だ。
だからこそ、私にはこれから先もずっと「読書」が必要なのだ。
*1 一生に読む本は平均何冊?限られた時間で多くの本に触れよう
*2 村上さんのところ
Photo by Jilbert Ebrahimi on Unsplash
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車
先日用事があって渋谷に2年ぶりくらいに行きました。
折角なので、気になっていたダイソーの新業態「Standard Products」を見てきたんですが、「私はこれがいい」と言う人が結構いると思います。色々と考えさせられました。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
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