「人は本来、それぞれが大きく異なった存在である」と気づくことで社会は変わっていく。
この年末年始用に福袋を購入した。
仁井田酒造のお酒セット。
仁井田酒造は無農薬の米で醸すお酒だと教えてもらった。
はて、私が福袋というものを買うのはいつ以来だろうか?
なんと、30年以上ぶりのことかもしれない。
そうだ!福袋を購入したのは人生で2回目だ。
前回はブランド服の福袋だったと記憶が蘇ってきた。
当時はバブル期の最中で、ブランド服に興味があった自分がなんとも懐かしい。
そんな思いに浸っている時、目が止まったセーター。
これは!
30年前の福袋の中の一枚ではないか!
気にいらない色だから着る回数が少なかったとはいえ、30年前のセーターを未だに着ているとは、さすがの私も自分に引いてしまった。
このよく言えば物持ちの良さ、悪く言えばケチ臭さは、残念ながら変わらない私の性分(個性)のようだ。
今の時代であれば物持ちの良さはサスティナブルだ!などと周りから褒めてもらえるかもしれないのだが、本人はそんなことは意図していないもんだから、ずいぶんとむず痒い。
今回はまた露呈してしまった私のこの性分をキッカケにして、「人と人が異なる」ということについて思うところをたどってみたい。
当たる占い
私という者の性分には、この物持ちの良さに加えて、福袋にも縁がないというのもある。
何せ、人生で2回しか購入したことがないのだから。
福袋には、今回のセーターのように気に入らないものも含まれることもあるし、売れ残りを入れられているようにも感じる。
不要なものを過剰につかまされる、という計算が瞬時に働いてしまうのだ。
福袋に何が入っているのか?というドキドキワクワクが、この計算結果をなかなか越えてこない。
これは、よく言えば倹約家でリスクを避ける性分と言えるのだろう。
しかし、同時にケチで冒険しないから広がらない、という悪い面を持ち合わせることは言うまでもない。
今回はどういう風の吹き回しだったか、よくも福袋の殻を破ったもんだ。笑。
さて、このような人の性分は生まれつきのものなのか、環境によるものなのか、はっきりはしないものの、誰しもが多かれ少なかれ持ち合わせているものだ。
最近TVで観た占いは、よく当るものだった。
生年月日などから鑑定する統計学だと言われるのだが、それにしてもやらせではないか?と思えるくらいに人の性分を細かく見事に当てていた。
水によって癒される性分と鑑定された人は、
水のそばに棲んでいたり、水泳を趣味としたり、大きな水槽が家に置いてあったりした。
自分の性分に無意識にしたがってか、水のある気持ちよい環境に身を置いて生活しているようだ。
他にも、物忘れが多い、誰のことも信じない、潔癖、感覚で動く、海外に惹かれる、などなど良いも悪いも、ありとあらゆる特徴を見事に当てていたのだった。
この占いの真偽はともかくとして、人にはこんなにもいろいろな性分があるものなんだ・・・ということが私の一番の印象だった。
ちなみに、私は水で癒されることはないし、潔癖でなくて、感覚で動くことが少なくて、海外に惹かれることもない。
私は別の、物持ちがよくて、福袋に興味がない、などという性分を持っているのだ。笑。
人間はそれぞれ共通している?
人間の遺伝子とチンパンジーの遺伝子は96%同じである、と聞いてその内容を疑ったことがある。
遺伝子がそれだけ一緒なのに、こうも違うのは本当なのかと・・・。
人間どうしでは、DNA30億個の99.9%は共通している、ともいうが、
人間のDNAは、99.9%共通していた! チンパンジー、ねこ、昆虫……ヒトとの遺伝子の類似性を比べてみた
これだけ別々の性分を持つ人間が99.9%も共通していることも同様に信じがたい。
調べてみると、エピジェネティクスという学問では、30億のDNAには発現する、しない、いわゆるON、OFFがあるという。
そのON、OFFであれだけの特徴に分かれるのだ。
私の潔癖DNAはOFFっている!
このON、OFFを含めた組み合わせならばたくさんのパターンが考えられるから納得。
同じように見えて全く異なるのが人間なのだとあらためて思うのだった。
酒屋さんに、聞いたこんな話がある。
「焼酎の99.8%の成分は水やアルコールで全く変わらないんです。
残りの0.2%の油分にだけ差があって、人間はあれだけの味や薫りの違いを感じられてるんです。
このわずか0.2%に深遠な世界があって、酒蔵はそこでしのぎを削ってるということなんです。」
物事は一見すごーく似ているものであっても、見方によってはすごーく異なるものなのだ。
遺伝子とお薬
少し前にこのブログに薬の副作用の話を書いたが、それを補間してくれる記事を見つけた。
まぁ、単純にサンプル数の問題ですね。
遺伝子とその発現が一人一人異なるヒトの集団に数理統計学を適用するには、最低10万出来れば100万サンプルが必要ですね。
数百数千のサンプル数では薬害が出て当然。
基礎的な自然科学理解力(特に確率)を高校生までに身に着けていれば、「現代医学を予防や日常診療に利用しない、救急救命にのみ使う」というのは自明のことです。
「自然科学的に正しいこと」と「医療が産業として成り立つために正しいとされていること」の区別を付けた方が良いですね。
私達が日常使っている家電や自動車や100円ライターなどには全て損害賠償保険が付いています。
ところが、化学合成薬には損害賠償保険は付いていません。
危険率が高すぎて、保険会社が損害賠償保険を引き受け無いからです。
単純に、それが理解できるかどうかですね。
サンプル数が1万以下だと、有効性、安全性、危険性の論文が全て書けてしまう(定性科学)のですね。
問題は、それぞれが何の位の確率で起きるかどうか(定量科学)ということで、それはサンプル数が10万出来れば100万位無いと分から無いということ。
サンプル数100万~1000万で、有効率、安全率、危険率が決まり損害賠償保険が付けられるか決まるということ。
一部を抜粋
参照:アニミズムと自然科学
人間というものは数千人、数万人に効果的だからと言って、自分も同様に効果的だとは言い切れないくらいバラバラにできているということだ。
リスクを嫌う小心者の私が、保険加入には非常に熱心で、一方の薬には何となく寛容だった。
私は理系だったのだが、こちらの記事で統計学を何とか思い出した。
実生活に使えないならば何のための勉学だったのだろうか?
なんとも滑稽で情けない話だ。汗。笑。
さてそうすると、私が飛びついては手放してきた数多の健康法も同様、数千、数万のサンプル数の結果から導かれたものではなかっただろうか?
そんな説を私なんかはすぐにパクっと採用してきたのだ。
そういえば、以前観てもらった手相占いによると私は「騙されやすい性分」だった。
残念ながら、いろいろと辻褄が合ってしまった。
みんな一緒に捉えられれば結論はすぐに出て楽なのに、残念ながら”みんなバラバラ”という面倒な事実を認めて、結論が出ない状態を我慢しないとならない、ということなのだ。
※何も数千、数万のサンプルから導かれた説を世の中に出す人を社会から締め出したいのではありません。
もし私がそれをできたならば同じように世の中に広めているだろうと思います。
その説(あるいは薬)に救われる人もいます。
これは、信じる側のその信じる程度の問題なのであります。
多様性が認められる社会とは?
今回の、占い、遺伝子、お薬から、人間個々が大きく異なっていることを再確認した。
私はここまで、人が異なっているという認識がどこか甘かったのだ。
なぜ甘かったのだろうか?
みんなと共通で、共感できると安心するからなんだろう。
だから、一緒になろうと努力した。
更に一律の正しさを教育されて”同じであるべき”が強くなった。
そして、正しいことをしないとはじき出されて矯正されることを知った。
例えば工場で大量生産されるライターが不良品が出ると捨てられたり、修理されていくように。
人間を精密機械のように精度を上げる物として捉えた。
こうして、みんなが同一のできる人であるべきだと単純な目標をどこかにもって生きてきたのだ。
そんな私が、今になってこの認識で損してきたことを思い起こす。
自分ならそうはしないという他人の言動をいろいろ非難してきた。
「何でそんなことをするのか?」と周りに苛立ったこともある。
「信じられない」
「ありえない」
こんな言葉をいつからかよく使うようにもなった。
親からは、
「私の子供なのになんでなんだ?」
という嘆きが聞こえたりする。
血が濃くて顔が似ている家族であれば、なおのことその違いが「信じられない」ものなんだろう。
今思うのは、この別の性分の他人に驚いたり、他人を非難したり、にかける時間とエネルギーは、どう見てももったいない、ということ。
自分と向き合った時にも、自分の性分を矯正しようとするエネルギーもまた無駄なんだと思える。
それは、宿命に抗うことだから・・・。
社会に適応するために、そして仕事では業績を上げるために、矯正に注ぐエネルギーは不可欠だと誰しもが言うだろうが、その矯正は表面的なものにとどめて最小限であるべきなんだと感じる。
自分らしく生きることが一番で、仕事は二の次。
役割上矯正しないとならない時でも、根底を正そうなんて思ってはならない。
表面的に演じてもらうための矯正にとどめることだ。
それぞれがもつ性分の容認は、社会への適応や仕事の業績のための矯正によってかき消されてしまいやすい。
社会への適応も仕事の業績アップもうわべで(笑)なんとか調和させていけばいい。
仕事時間外は切り替えて自分の性分を出して生きることが不可欠だ。
自分の性分の矯正が少なければ少ないほど、健康で幸せな人生になると感じる。
それぞれ別々の性分の容認こそ、自分らしく生きる、ということの実現であり、多様性社会実現のための前提でもあるのだ。
潔癖な人は潔癖が有利に働くような仕事がベターで、私なんかはむしろ避けるべきなんだ。
いやむしろ使い物にならないはずだ。汗。
海外に魅力がある人はどんどん出ていった方がいい。
一方の私は背伸びして海外に行ったりしない方がいい。
みんなが自分の性分の矯正を最小限にして生きることのできる社会を私はどうやら求めている。
新年の気負いからか、こんな仰々しくて図々しいことに思い至ってしまった。
言うまでもなく、本当の成功者はこれがわかって既にやっているに違いない。
そんなことを考えているとある画像が頭に浮かんだ。
そうだ!外見が近いから内面も同じ、と勘違いするんだ。
いっそのこと、スター・ウォーズの酒場の仲間のように外見が異なってれば、むしろ構えるから内面が違うんだろうと謙虚になり、違いに寛容になるんだろうに。
何とかこの仲間のイメージで周りを眺めてみようと思う。
最後に更に仰々しくも、自分が周りと大きく異なること、周りが自分と大きく異なることを腹落ちして愉しめるようになると社会はかなり変わっていくだろう。
今年は、みんなと同じじゃなくても寂しがらずに、残念な自分の性分を見つけて容認するところから始めていこうと思う。
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
自分と違う性分を嫌がると書きましたが、一方ではどこかでは素の変な性分を含めて、相手に惹かれる面もあるのがまた複雑なところです。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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