RYO SASAKI

自分には「頑張らない生き方」を提案したい、という話。

あなたは頑張って生きてきただろうか?

人生は頑張って生きるべきだろうか?

以前紹介いただいた本「究極の身体(からだ)」著:高岡 英夫

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講談社
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これをキッカケに高岡氏の他の本を何冊も読み進んでいくうちに、高岡氏の世界観の輪郭が見えてくるようになった。

そしてそれがまた、私が以前から感じていたひとつの大きな疑問に対して、ひとつのヒントを与えることになった。

「意識のかたち 現代に甦る天才の秘密」著:高岡 英夫

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「山歩きを楽しむゆるトレッキング」 著:高岡 英夫

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「ジンブレイド」を意識する

ジンブレイドとは、書籍「意識のかたち」の中で高岡氏が造語として紹介したもので『身体意識の構造』のことを言う。

身体意識とは、人間が感じている身体への意識で、例えば、筋肉が張っている、とか、腰を使っているとか、膝が痛いとかいうもの。

そのような様々な身体意識がある中で、特定の部分、センター(重心線付近、足裏の重心などに)にのみ色濃くある状態がジンブレイドであるとしている。

参考:身体への意識(重心線)

センターだけが意識されていて、他の部分に全く意識をおいていない状態で、だから、他の部分にまったく力が入っていないというリラックス状態にある。

<ジンブレイドをもっている人の特徴(意識のかたちより、一部省略して引用)>

(1)心身とも最高のリラクゼーションになる。

(2)精神すべてにわたって高度な余裕が出来、個人の有する高度の認識・判断、高度の意識の集中、高度の戦術・技術的なコントロール能力が発現される。

(3)能動的な筋肉を使わずに俊敏でスピーディーな動きが出来る。

(4)筋肉を加速に使わないために、筋肉を精妙な動きのコントロールにフル活用することが出来る。

(5)普通ならば、気になったり、意識が囚われたり、判断が束縛されるような、外界の情報、刺激、存在に対しても関知はしているが、気にならないという自由な関係が出来る。

(6)舞踊、スポーツ、楽器の演奏など様々な分野で独特で至高の能力の発現をもたらす。

(7)常識や既存の考え方を受け入れつつ、全くそれらに囚われない自由自在、融通無碍な構想力や思想力を発現させる。

(8)表情・態度・表面的な意識が、気楽、くったくがない、ケロっとしている、透き通っていことと、その反対に高度なパフォーマンスを見せる。

自分は生まれた時にこの感覚を持ち合わせていたのだろうか?

もともとそのセンスがなかったのではないか?

いや、あったのかもしれないが、何か成長しようとし始めた時に、頑張り出してその感覚を失っていったのかもしれない。

特に股関節の痛みが出てからは、変なバランスを崩したポジションは怖いので、特に筋肉で股関節を固めで立つ、ということが当たり前になり、しかも上半身を使ってバランスを取るところまでになってしまったのだと思う。

そして、このジンブレイド持っている天才たちを紹介している。

イチロー

武豊

羽生善治

カール・ルイス

等々

ジンブレイドとは、身体に対しても自分が持つ意識によって、得られる、という簡単とも言えるものだ。

確かにリラックスすると動き出しが気配なく早い、ということは何となくわかる気がする。

でも、そんな簡単なことで変わるものなの?そして、身体意識によって心や思考にまで影響するものなの?

そうかも、とホントにそうなの?という思いが混じり合う。

身体意識をおくことは、難しいことではないので、日常に取り入れてみることにした。

やっていることはごく単純で、

・骨だけで地球に垂直に立ち、すべての筋肉の力を抜く。

 (倒れそうになるギリギリのヨロヨロ状態を感じ、ヨロヨロをできる限り是正せずに歩く。)

・常に重心だけを意識して他は脱力状態で生活する。

 (気づいた瞬間に重心以外の体のすべての力を抜く、あるいは、抜けていることを確認する。)

わずかこれだけのことだが、始めてわずかな期間で違いを明確に感じ始めた。

センターだけを意識して骨で立ち、筋肉を使うのではなく重心移動による歩行、これを「滑落するように」と表現している。

重心がずれる時に、体が重力にまかせて滑落していく。

そしてその滑落に対して、また新たなポジションでの重心を骨で垂直に捉える。

この繰り返しになる。

「立つ」ということについて、どこかピシッとした姿勢で固定されていることを勝手にイメージしていた。

だから、無意識でも筋肉に力を入れてしっかり支えてしまう。

ところが、「立位」もそこからの「歩行」も揺らぎの中にある、というのだ。

重心がずれるとすぐに滑落が始まるという動的なものだ。

イチローなどを観ても何とも言えない落ち着かない柔らかさを感じる。

思えば、子供の頃には急に動き出したり、緩急を付けられる身のこなしなどセンスを感じる人間が周りには何人かいた。

そういうことなのだろう。

私の場合、そんなセンスはなかった。

だから余計に、こんな日常生活を送ることは、私にとって新鮮そのものだった。

そして、私の感覚は以下の3つのことに思いを馳せる。

・八分目ができない

・リラックスできているのか?

・心や思考に影響する身体意識

八分目ができない

高岡氏は書籍「ゆるトレッキング」でもジンブレイドを使ったトレッキングを紹介している。

筋肉を最小限にして、骨格中心で歩くと疲れないという。

重力による垂直の力を骨に受けて立っている時間を長くする。

重心を過剰な筋肉の力ではなく、前に移動する自然な動きで一歩を踏み出していく。

ここで整骨院の先生の、こんな話を思い出した。

ある患者さんがここまで治療で改善してきた身体をストレッチのやり過ぎでまた壊してしまった、という。

どうやらその患者さんは、改善してきたことを実感して、調子よく動かしてしまったらしい。

その教訓から私に対しては、今大切なのは歩く質であって、距離とか時間とかは考えないようにと忠告をもらった。

一歩一歩の重心位置や重心移動を正しいかどうかを頭を使って考えながら歩いて、疲れたまま惰性では歩かないように、と。

先生が、多くの患者さんを見てきて感じるのは、草むしりや雪下ろしという作業中、あるいは、スポーツの途中で体を壊すケースが多いという。

草むしりや雪下しについてもここまでやる、という区切り目標ができてしまう。

ところがその目的と体への負荷の度合いに、都合の良い関係などない。

やってしまわないといけない、が体に対して過負荷になってしまう、ということだ。

このことは私のここまでの人生にも特徴的なことなのだが、長く歩くこと、山頂を踏破することが目的になる。

それらの目的達成というわかりやすさが勲章になり、経験値として刻まれる。

既にこの夏は4㎞から始まって、7㎞くらいのトレッキングのコースをリストアップしていて、それをクリアできたら、改善が進んでいる証となる、と心に決めている。

歩行速度も前回より早くなっていることを実感して、より早くしようとも思っている。

ところが、その目的設定が、怪我につながったり、股関節の改善を遅らせたりする、可能性があるということだ。

短期のメモリアルな何かに拙速に飛びついていて、本質的な目的をどこか忘れてしまっている。

登頂という見栄を捨てて、周りへの気遣いを捨てて、八合目で降りる決断をしないといけないわけなのだ。

みなさんはここまでどう決断してきただろうか?

もちろん、頂上自体を無理のない範囲に設定できれば、問題もないのだが私の場合を振り返って、果たしてどうだっただろうか?

八合目を目標にすること、八合目で降りること、できていないことだったと振り返る。

腹八分目、というのも同類の言葉。

こちらも同様にできていないことだった。

リラックスできているのか?

自分は、日々、あるいは、瞬間瞬間、どのくらい緊張しているだろうか?

もちろん、顧客との商談の最中、大勢の前でのプレゼン最中、車の運転中、夫婦喧嘩の最中などなどで緊張感は異なり、緊張感は上下しているものだと思う。

ここで敢えて取り上げたいのは、特に何もしていない時、リラックス状態の時の緊張感についてだ。

まあままリラックスして生きていると思っていた私なのだが、ヒーリングなるものをしてもらった時に、座っていられないくらいの緩みを感じ、目が開けていられず、眠ってしまいそうな状態になったことがある。

その状態を経験したことで、日々瞬間瞬間、すべて緊張して生きていることがことがわかった。

そして、今回は、ジンブレイドを手に入れようとすることで、また、一段上のリラックス状態を感じられている。

リラクゼーションには、温泉、ヨーガ、瞑想、呼吸法など他にもさまざまなものがあるが、このジンブレイドによるリラックスは、どれとも異なる別のもののようにも感じる。

そして、簡単にできるし、最も長時間無意識にできるものだとも思う。

やってる感を出さないこと、出せないことがよいのではないかとも思う。

娯楽中にリラックスしていると言っても刺激があるものも多い。

そしてTVやネットからの情報、それがインプットされる都度にピクッと走る緊張感。

また、例えば、父としての姿、組織の上役としての姿を演じねばならないとすると、背筋を伸ばして、緊張を走らせないとならない場面も多い。

子供の頃の「気をつけ!」という号令。

あるいはずっと座ったまま静かに一方的に聞きつづける学校の授業なども影響してそうだ。

人は自覚なく緊張感が続き、ホントのリラックスを忘れて、頑張っているのではないだろうか。

少なくても自分はそのようだ。

心や思考に影響する身体意識

重心だけを意識して、後の力を抜いての生活が続いている。

このことは心にあるいは思考方法にどんな影響が出ているだろうか?

TVやネットの情報に影響されずに俯瞰した視界で眺めることができるのだろうか?

こうだ、と決めたことを撤回することができるだろうか?

今やってみて、初めに感じることは、何か身体が軽くて気持ちがいい。

ご機嫌がよく気分が上がってくるような感じがする。

動くことへの億劫さが減ったように思う。

ニュートラルポジションなのでどこにでも動いていけるような感覚もある。

心と身体は切り離せない関係がある、とは何となくわかっていたが、「身体意識」が心や思考に影響を及ぼす、というのは考えたことがなかった。

私は、ここまでは、脳による思考によって、心や思考変化させようと試みてきてはいた。

しかし、意識を身体に向けることは、はっきりと意識にてやってはいなかった。

このジンブレイドは、脳による身体意識を中心に持ってくることで、脳による身体全体、自分全体へのコントロールの意識を外すことになっているのではないか?

下手くそだが、どうしてもコントロールしたい脳。

それをやめさせて、脳以外に持っている無意識の本来の自分を自由にさせることになっていくのではないか?

どうもそんな感じがしてくる。

まだ日が浅いから何とも言えない部分もあるし、簡単に解明ができるものではないだろう。

とにかく、身体意識が心や思考にここまで影響を与えるとは思っていなかった。

頑張らない生き方

さて私の積年の疑問、「頑張って生きるべきか?」について。

過去のことを思い出して自分を客観視すると、自分には以下の特徴が見られることを確認できる。

・八分目ができづらい、という特徴。

・リラックスできていない、という特徴。

・脳が適切でないコントロールしたい、という特徴。

自分にとって、ついつい頑張ってしまうシチュエーションがそこかしこに存在している。

役割を演じる、うそをつく、見栄を張る、恐怖を感じる、これらによって常に緊張は引き起こされてる。

センスが良くない頭がすべてをコントロールしようとしている。

短期的に頑張ってやった気になったことも、後から中長期的に見れば、何だったんだろう!?

と思う内容もある。

5年、10年と生きていく間を、緊張して生きるのか?リラックスして生きるのか?では、雲泥の差になるのではないか?と今は感じる。

また、ここまでの人生で、頑張ってやった分だけ、何かの成功につながっている、と言えるのか?

頑張ったことが何かの為になったことはあったとは思うが、疲労疲弊へだけ進んで、老化を招いたこともあるように思う。

もちろん、完璧な力の入れ具合、抜き具合で生きることは机上の空論であって難しいだろう。

それにしても、自分は、頑張り、緊張よりに振れてはいるのではないだろうか?

そんなここまでのバラバラとした考察から、自分には「頑張らない生き方」を提案したいと思う。

ジンブレイドから学べる事、それは意識するべきこと”と”意識しないこと、力を入れるところと抜くところの区分け。

必要なことを限定してそこだけに集中する。

必要なことを限定しないと人生に余裕が生まれない。

見栄や役割を減らし、好きなことをする。

詰まったら気分転換、しんどくなったら即休憩、を心がける。

もーっともっと瞬間瞬間緩んでいていいのだと自分に言い聞かせながら。

Photo by Toa Heftiba on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

身体が緩んだ状態が、頑固な考え方をも緩める。

人によってこの緩み方=頑固さには大きな差があるのだろう。

人間の身体は何とも奥深い、と思いました。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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