田中 新吾

「感情を表出する場面をコントロールすることが本当の感情コントロールであり、それを再現可能な状態にする」がようやく整ってきた。

タナカ シンゴ

もう4年も前のことですが私は以下のような記事を書いたことがありました。

私の「感情コントロール」は間違っていた。

どんなことを書いたか、かいつまんで言いますと、

・「感情コントロール」とは感情を抑え込むことだと考えていたが、その考えが間違っていたことに気付いた

・感情を表出する場面をコントロールすることが本当の感情コントロールであり、それを再現可能な状態にすることが、今後の人生を充実させるために重要であると理解した

・ただし、感情は他人に伝染しやすく、SNSなどでの過度な感情表現には注意が必要

といった辺りになります。

そして、約4年とだいぶ時間がかかったのですが、最近になってようやく自分にとってしっくりくる「感情を表出する場面をコントロールすることが本当の感情コントロールであり、それを再現可能な状態にする」が整ってきた感じがしています。

今回はそんな自分の変化について少し書いておきたいと思いました。

結論から言ってしまいますと、古川武史さんの「書く瞑想」を日常に取り入れたことによってこの感覚を得ている感じです。

今振り返れば、この「書く瞑想」を取り入れる以前は頭では分かってつもりでいたものの、実践できているとは決して言えない状況だったのだと今正直に思います。

4年前に記事を書いた時点と変わらず、「怒り」や「哀しみ」のような感情を結局うまく出せずにいたということです。

そして、この4年という彷徨う月日があったからこそなのか、最近習慣として定着してきた古川武史さんの「書く瞑想」に大きな価値を感じているのかもしれません。

「書く瞑想」とは一体何か?

私は以下のとおりに理解をしています。

まずはじめに「放電ログ」を書く。

放電ログとは、1日のうちで、できなかったこと、失敗、やってしまったこと=感情、気分、エネルギーを下げたもののこと。

例えば、子供がご飯を食べずにイライラして怒った、つい甘いものを夜に食べてしまった、肩こりが辛いなどです。

次に「充電ログ」を書く。

充電ログとは、1日のうちで、できたこと、気づいたこと、良かったこと=感情、気分、エネルギーを上げたもののこと。

例えば、いい本が読めて、勉強になった、友達とゆっくり話せて楽しかった、運動ができて爽快だなどです。

そして、それぞれにセルフトークを加えます。

「放電セルフトーク」では「今、何が一番嫌なのか、つらいのか?」と自らに問いかけ、書き出していきます。

頭で考えずとにかく「放電ログ」を見て湧き上がることを書き綴るのがポイントです。

一方の「充電セルフトーク」は、「今、一番良いと感じていることは何か?」と問いかけ、書き出していきます。

充電感情で満たされながら終えていくことで、いい気持ちで締めくくることができるのがポイントです。

以上を概ね15分程度を使って行っていきます。

それにしても「書く瞑想」って素晴らしきネーミングですよね。

私には元々、毎日「業務日記」を付ける習慣があったため、ここに「書く瞑想」のワークを接続すればすぐにでも実施できそうに思えたことから取り組むようになったのですが、この取り組みによって実感する効果は想像以上なものでした。

まず、第一にこの記事の中で最も主張したい部分であり、記事のタイトルにもなっている「感情を表出する場面をコントロールすることが本当の感情コントロールであり、それを再現可能な状態にする」が整ってきたということ。

1日のうちに生じた怒りや悲しみ、焦りや妬みのようなネガティブな感情もこのワークの中で隠さず出来る限り書き出しており、書く瞑想のワークは手順が規格化されているため再現性があり繰り返し可能なのです。

見返したら、先週の放電ログにも「〜に〜されてムカついてしまった」などハッキリ書いてありました(笑)

それから、冒頭の4年前の記事の中にも書きましたが小田島雄志さんがおっしゃっている「人生の楽しみ」についての実感も湧いてきています。

以下で引用してみます。

シェイクスピアの翻訳で知られる小田島雄志(おだしまゆうし)さんは、日本経済新聞の「私の履歴書」でこう語っている。

「人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である」

また、ライフネット生命創業者の出口治明さんも著書の中で「感情は素直に出していけばいい」と言う。

いかがでしょうか?

出口さんの「感情は素直に出していけばいい」という言葉も今ならよく分かります。

身体にとって排泄物は外に出した方がいいのと同じように、心にとっての感情は、ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、外に出した方が健全なのだと今は強く思います。

SNSを見ていると、様々な感情が日々吐き出されているのを観測するわけですが、思うに、「書く瞑想」というワークを一つ挟むことで、直接SNSに感情的なことを書き込むようなことはずっと減るのではないでしょうか?

これは少し前に書いた記事のとおり、ログは「鏡」になると思うからです。

計測と記録の習慣で「鏡」を様々に作り、そこに映る自分を見つめて観察する。

鏡を見ることは大切

社会人の「鑑」などというように、立派な行動をしている人を「鑑」と言いますが、自分の行動を社会的に望ましいものにする方法、それは実際に(漢字は異なりますが)鏡を意識して生活することです。

街を歩いているときにふと自分の姿が鏡やショーウィンドウに映ると、自分の姿をチェックすると思います。

そのときの意識を「自己意識」というのですが、自己意識とは、要は自分に向けている注意のことです。

この自己意識が高まると、人はふるまいを洗練させていくことができます。

感情コントロールは「感情モニタリング」を通じて自ずと行われる。

今はこんな風にも考えるようになりました。

実は古川さんの「書く瞑想」を初めて読んだのは、2022年5月の頃でした。

他に何か参考になりそうな資料や文献がないか調べていると「書く瞑想」という本を見つけた。

「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と思った話。

この時の自分は今ほど「書く瞑想」のワークについてヒットしている様子は見当たらず、「書くこと」自体の効用が随分と刺さっていたようです。

最後になりますが、古川さんはこのようなこともおしゃっています。

人は、頭でわかっても心と腹で理解しないと真に動けない。

私が思うに、

頭とは言い換えれば思考。

心とは言い換えれば感情。

腹とは言い換えれば直感。

頭で分かる以上に、心で分かる、そしてその先の腹で分かるを大切にした方がいいというメッセージとして、自分の中の引き出しにしまっている考え方です。

この「わかるの仕方」に従うためにも、頭と腹をブリッジする日々の感情を、書く瞑想を通じて大事にしていきたいと思います。

今回のお話が何かしらの参考になれば幸いです。

UnsplashOrkun Azapが撮影した写真

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾

「書く瞑想」のおかげで、以前よりも明らかに今「ネガティブな感情も含めてそれは自分」というように現実を丸っと受け入れることができるようになってきています。

お客様(企業や自治体やNPO)が求めるプロジェクトの歯車になるのが仕事。プロジェクト推進支援専門のハグルマニ(https://hagurumani.jp)代表。PJメンバー共通の景色となるネーミングやコンセプトの構築もします。タスクシュート認定トレーナーとして自分らしい時間的豊かさを追求する方々の支援にも注力中。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

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