田中 新吾

私の「感情コントロール」は間違っていた。

タナカ シンゴ

私は長らく「感情コントロール」とは「湧き上がる感情を抑え込むこと」だと考えてきた。

「何をやるにしても感情が邪魔になる」

「人間関係のトラブルの元はだいたい感情」

このような考えから、「怒る」「泣く」「落ち込む」というような「ネガティブ感情」は外に出さないようとりわけ封印するように努めてきた。

そして、この感情コントロールができれば、

「人間関係において波風も立つことなく、何かを遂行するのも苦にはならない」

というように考えてきた。

実際、会社組織においてはそれなりにうまく立ち回ることはできたし、「すぐ感情的になってしまう人」を目の前にしても、冷静に対応できるようにはなった。

だから正直な話、「これでいい」と思っていたのだ。

ところが、最近になってこの考え方が一変した。

人生の充実」という目的で考えると、今まで私が「感情コントロール」として考え実践してきたことは、「間違っていた」ことに気付いたのだ。

では「湧き上がる感情を抑えこむこと」ではないとすれば一体何なのか。

「人生の充実」という目的を実現するための「感情コントロール」とは何なのだろうか。

人生の楽しみは「喜怒哀楽の総量」で決まる

波よ聞いてくれ」は、北海道を舞台にラジオパーソナリティとしてデビューした「鼓田ミナレ」という女性の奮闘を描く人気漫画である。

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ローカルラジオの深夜枠だからこそ挑戦できる過激な内容の企画、ジェットコースターのような幕開けと急展開、そしてつい声に出して笑ってしまう主人公の天才的なセリフ回し。

はじめて読んだ時、人気の理由はすぐにわかった。

ところが、最近また読み直していたら、読者が引き込まれる「別の理由」がわかってきた。

それは「登場人物の感情の浮き沈みが微細に描かれている」という点だ。

特に主人公「鼓田ミナレ」のそれが凄い。

「不安・焦り」

「怒り」

「喜び」

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現実世界では、ミナレのような感情の浮き沈みが激しい人は、いわゆる「感情的な人」と称され、周囲から扱いづらいイメージをもたれることは多い。

思うに、

それがゆえに、湧き上がる感情に遠慮することなく、息を吐いたり吸ったりするように自然と露わにするミナレに、「痛快さ」を覚えるのだ。

そしていつの間にか惹き込まれている。

私には、この極めて感情的な人生を歩んでいるミナレの姿が、楽しく見えて仕方がない。

これぞ「人間」ではないか、と思うのだ。

シェイクスピアの翻訳で知られる小田島雄志(おだしまゆうし)さんは、日本経済新聞の「私の履歴書」でこう語っている。

人生の楽しみは、喜怒哀楽の総量である

また、ライフネット生命創業者の出口治明さんも著書の中で「感情は素直に出していけばいい」と言う。

自分の感情も基本的には素直に表出すればいいと思います。

腹が立ったら怒ればいいし、あとになって「どうでもいいことで怒ってしまった」と気づいて反省したら、それもまた勉強です。

過度に攻撃的になるなど他人の迷惑をかけるようなことがない限り、感情は素直に出していけばいいと思っています。

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要するに、「喜楽」だけでなく「怒哀」のようなネガティブな感情も遠慮なく出していく、鼓田ミナレのような人の方が「人生は楽しい」ということなのだ。

今まで、湧き上がるネガティブな感情は封印して外に出そうとしてこなかった私にとって、これは遥かに大きな発見だった。

「怒り」も「哀しみ」も、「要らない感情」や「捨ててしまうべき感情」として扱ってきた私は、無意識のうちに無理をして生きてきたのかもしれない。

人生の充実という目的において、私の「感情コントロール」は間違っていたということに今になってようやく気付いた。

「感情を表出したり処分する場面をコントロールする」のが感情コントロール

しかし思うに、ネガティブな感情を表出したり処分する上で、それが「過度に相手を攻撃する」ことになったり「他人に迷惑をかける」ものであってはならない。

なぜなら、そんなことを多くの人が自由するようになってしまえばあっという間にこの人間社会は破綻してしまうからだ。

赤ちゃん」や「小さい子供」はそれでいい。

でも、私たちは曲がりなりにも「大人」だ。

よって、ネガティブな感情の封印はしなくていいし、出した方が人生は充実するが、表出したり処分する場面はコントロールする必要がある。

そして、これこそが本当の「感情コントロール」だったのだ。

一方、コントロールするために知っておくべき事実やメカニズムはやはりある。

例えば、私たちは直感的には「感情が個人的なもの」だと考えがちだが、実際はウィルスのように他人へしっかり伝染する。

そして、この感情の伝染は瞬間的で相手は無意識的かもしれないが、確実に行動に影響を及ぼしてる。

つまり、集団の中に怒る人がひとりでもいるとみんなが怒りっぽくなるのはありえない話ではなく、私たちは「常に誰かと同期し合っている」ということは知っておかなければならない事実の一つだ。

自分が何かしらの気持ちをいただいただけで、人々の感情を変えられるという事実を、心にとめておくべきだろう。

同様に、他人の感情が私たちの気持ちを変えることもある。

私たちは常に相手と、そして周囲のすべての人々とお互いに同期し合っているのだ。

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ツイッターは「日常生活において最も感情を刺激する行為の一つ」

また、「インターネットの扁桃体」と称される「ツイッター」の特徴もよく把握しておくべきだろう。

同著には、ツイッターは「日常生活において最も感情を刺激する行為の一つ」という研究結果が示されている。

もしもあなたがツイッターの熱心なユーザーだったらご用心。

ツイッターを利用することは日常生活において最も感情を刺激する行為の一つだからだ。

これがあれば運動いらず?

ツイッターは脈拍上昇、発汗、瞳孔拡大(すべて興奮状態の指標となる)を促すことが研究で明らかになっている

単にウェブを閲覧している時と比べて、ツイートやリツイートをする行為は、感情の高まりを示す脳活動を75%上昇させるという。

ツイッターのタイムラインを読むだけでも、65%ほど上昇するそうだ。

(中略)

このツールは有益な情報を伝達するのに役立つかもしれないが、一方で人間の慎重ではない側面を助長してしまう。

つまり、私が「怒り」を投稿すれば、他の誰かの感情を刺激し、それは広い範囲へと拡散されていく可能性が多分にあるということだ。

2016年のネット流行語大賞にもなった「保育園落ちた日本死ね」はまだ記憶に新しい。

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。

この記事は匿名で書かれたものだが、ツイッターを中心としたソーシャルメディア上でまたたく間に拡散され、ついには国会にまで届き議論を醸した。

その「怒り」は国会にまで届き、多くの人を動かしたのだ。

決してツイッターで、個人のネガティブな感情を表出してはいけないというわけではないし、無責任に人の噂話をしたり悪口を言ったりするのは人間に備え付けられたある種、業のようなものだ。

しかし、それが「過度」なものである場合や、ただ日頃の欲求の吐口として「誰かを攻撃するようなもの」だとすれば、それはそこで出すべき感情ではない。

少なくとも私はそう思うのだ。

やり場のない過度なネガティブな感情をどこで表出して処分するか

ではそのような「どうしてもやり場のない過度なネガティブ感情」が湧き上がってきてしまった場合、どこで表出したり処理するのが適当なのか。

これについては私もまだ経験のバリエーションがなく見解を述べられるほどのものが今はない。

なにせ本当の「感情コントロール」について最近分かったばかりだ。

ミナレのように、周囲にいる人がそれを受け入れてくれる環境に身をおくことができているならば、そこで存分に出せばいいのだろう。

しかし、実際には私も含めそうではない人の方が多いのではないだろうか。

ただ、そうしたやり場のない感情を表出させる場所として期待を寄せるものはある。

例えば、コロナで溜まった鬱憤を吐き出すための「Let It Out!」というサービスがアイスランドで開発された。

ブラウザに向かって叫ぶとアイスランドの山奥に設置されたスピーカーから叫び声が再生され、その様子が動画で送られてくるというものだ。

要するに、「王さまの耳はロバの耳」と叫ぶ穴のようなサービスである。

もしかしたら、過度なネガティブ感情でも、実はこういうもので簡単に処理できてしまうのかもしれない。

他にも期待を寄せているものがある。

hasunoha」という「Q&A」のwebサービスだ。

なんとこのサービスでは「お坊さん」が悩みに答えてくれる。

公開されているものを見るに、利用者の満足度もたいへん高い。

素直な感情出すことは悪いこと?

ソシャゲやめたい

過去の懺悔

お坊さんからのお言葉がやり場のない気持ちを浄化してくれそうだ。

思うに、これから先もしも、やり場のないネガティブな感情を抱いてしまった場合には、SNSではなくこのような場所で思いっきり表出して、処分してしまうのがいいかもしれない。

人間は「歳を取ればとるほど感情的になる」ようにできているという。

つまり、「涙もろくなる」のは、感情移入をしやすくなったのでも、感受性が豊かになったのでもなく、老化によって脳の機能が低下したからというのだ。

怒りっぽくなる」というのも同一の理由と言われている。

これを真実とするならば、「喜怒哀楽」といった感情が、私の中に今まで以上に現れてくるのは不確実性の高い未来ではなく、100%訪れる未来なのだ。

そしてそれは今も絶賛進行している。

であるならば、

感情コントロール」に自分なりの理屈を生み出し、再現可能な状態にしていくことは、この先の人生を充実させていくために取り組むべきタスクの中でも、重要度はかなり高いと言えそうだ。

今言いたいことはこんなところである。

Photo by ahmad gunnaivi on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

プロジェクトデザイナー/企業、自治体のプロジェクトサクセスを支援しています/ブログメディア(http://ranger.blog)の運営者/過去の知識、経験、価値観などが蓄積された考え方や、ある状況に対して考え方を使って辿りついた自分なりの答えを発信/個人のプロジェクトもNEWD(http://ranger.blog/newd/)で支援

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