田中 新吾

「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と思った話。

タナカ シンゴ

「瞑想」という概念について、私の考えを一変させたのは、サピエンス全史、ホモデウスで知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリが著した「21 Lessons」という本だった。

本書は何度読んでも新しい発見を与えてくれるという点で、本当に読み応え抜群だ。

2019年11月に出版されたものだが現時点のAmazonレビューの数も多く、流石は現代を生きる一人の賢人だと強く思わせる。

そんな本書の中で私が特に刮目したのが最終章の「ひたすら瞑想せよ」だった。

ハラリは、2000年にはじめて瞑想の講習を受けて以来、毎日二時間瞑想するようになり、それに加えて毎年1~2ヶ月もの長い瞑想修行に行っているそうだ。

そんなハラリは瞑想について下のように定義する。

原理上は、自分自身の心を直接観察するための方法はどれも瞑想だ

この定義が私にとって遥かに大きな発見になったのだ。

なぜなら「瞑想 イコール 座禅」だとすっかり思い込んでいた思い込みを見事にぶち壊してくれたからである。

参照:自分の「思い込み」が壊されたときに、「気持ちがいい」と感じる理由について。

そして「だとすれば、私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」という思いが芽生えるにも至った。

原理上は、自分自身の心を直接観察するための方法はどれも瞑想

ハラリが瞑想と接点をもったのは親友からのススメだった。

親友が「ヴィパッサナー瞑想」の講座を一度受けてみるべきだと言うので、一年間やんわりと促された末、2000年4月に10日間の講座に行くことにしたそうだ。

ヴィパッサナーとは、古代インドのパーリ語で「物事をありのままに観察する」という意味らしい。

足を組んで目を閉じて座り、鼻から出たり入ったりする息に注意をすべて向ける。

息が入ってくる時は、今息が入ってきていると自覚するだけ。

息が出て行っている時は、今息が出ていっているとだけ自覚する。

注意が散漫になり、心が記憶や空想の中を漂い始めたら今自分の心が息から半荒れてしまったと自覚する。

ハラリは講座で、自らの「呼吸」からはじまり「体中の感覚」を観察することを通して「自分自身の心を観察する方法」を教わったという。

そして、ヴィパッサナー瞑想の講座は、わずか10日間で「その時までの全人生で学んだことよりも多くを、自分自身と人間一般について学んだように思う」とハラリに言わせてしまった。

さらにが衝撃だったのは「瞑想の実践が提供してくれる集中力や明晰さがなければ「サピエンス全史」も「ホモ・デウス」も書けなかった」という発言だった。

こうして合理性の塊のようなハラリにとって、スピリチュアルの代表格のような「瞑想」が大絶賛に値するものとなった、という話である。

ところが、そんなハラリは「瞑想は万能薬ではない」とも言った。

どういうことか??

人間は自分自身の心、自分の内なる恐れやコンプレックスの対処法を理解すれば、効果的に行動できたり協力したりし易くなる。

ただ、こうしたことを理解する方法は「瞑想以外にもある」というのだ。

ハラリは偶然にもヴィパッサナー瞑想によって自分の心を観察し、集中力や明晰さを手にすることができた。

だが、瞑想ではなく、セラピーの方が効果が出る人もいれば、芸術の方が効果が出る人もいれば、スポーツの方が効果が出る人もいる。

要するに「自分にあった心の観察方法がある」というのだ。

そして「原理上は、自分自身の心を直接観察するための方法はどれも瞑想」だとハラリは定義した。

10年以上ブログを書いている

これをふまえた時「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」という思いが芽生えてきた。

私にも自分自身の心を観察する方法はあって、しかもそれを結構長い期間やってきたからだ。

しかし、ハラリほどの集中力や明晰さが獲得できているとは思わないため「瞑想的」としている。

それが何かと言えば「ライティング」だ。

現時点で私にとっての「ライティング」は二つに大別される。

一つは仕事としての「ライティング」。

もう一つはブログとしての「ライティング」である。

前者の仕事としての「ライティング」はここ3〜4年の間に依頼を受けるようになった。

これはご存じのとおり発注者のオファーに応じて書くものだ。

一方、ブログとしての「ライティング」については10年以上の取り組みとなっている。

学生の頃にスタートしたアメーバブログからはじまり、書く場所は転々としながらも、今では当メディア(RANGER)の運営をしながら習慣的に記事を書いているといった具合だ。

思うに「ライティング」というのは、何かしらの事物に対して「どう考えたか」「どう感じたか」を文章として表現する創作活動である。

そして、ブログは特に個人的な「どう考えたか」「どう感じたか」がモロに現れ出る。

書き始めた当初は自分の考えをブログにまとめる程度にしか考えていなかった。

がしかし、続けていくうちに分かってきたことは、「どう考えたか」「どう感じたか」を文章として見える形にすると、自然と自分の考えや心の動きの観察が行われるということ。

そして、それらの観察を通してメンタルバランスが調整されていく、という感覚だった。

私のTwitterアカウントは現在ミニブログという形で運用しているのだが、これもブログを書き続けてきた私なりの帰結である。

こうした実感とハラリの主張がモロに結びついたのだ。

「なるほど、私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と。

手書きで行う「書く瞑想」

他に何か参考になりそうな資料や文献がないか調べていると「書く瞑想」という本を見つけた。

書く瞑想は、別名「ジャーナリング」とも呼ばれる。

5万人を変えた習慣化のプロによって書かれた本書では、「書くこと」で現実を整理して心を整え、「どうしよう」を「こうしよう」に変えていくメソッドとして「書く瞑想」の効果や具体的な実践の仕方が紹介されていた。

筆者によれば、書く瞑想の実践は1日15分の時間の中で下記のとおりに行われる。

まず1日の中で「あなたの感情、気分、エネルギーを下げたものは何か?」という問いに対して思い浮かぶものを網羅的に書き出す。

今度は「あなたの感情、気分、エネルギーを上げたものは何か?」という問いに対して思い浮かぶことを網羅的に書き出す。

これを「手書き」で行う、ということだった。

ブログが誰かに見られることも想定して書くのに対して、書く瞑想はあくまでも目的は自己対話であり、思いついたことをひたすらに書き出していく。

「誰かに見せるものではない」という部分はブログとは大きな違いだ。

しかし、本書で紹介されていた書く瞑想から得られる効果は、私がこれまでの「ライティング」を通して感じてきたこととそう大差はないという印象を受けた。

気づき効果

書くことを通して、洞察的(インサイト)、着想的(インスピレーション)な「気づき」が生まれる。

片付け効果

自分の生活・人生で大切なことが何かを見極められるようになり、不要なことが明確になる。

自己認識効果

自分が何を深く求めているかを知る源は自己認識。書くことはこの自己認識力を高めてくれる。

さらに、書く瞑想の科学的な効果も示されていた。

ネガティブな感情の浄化効果

客観視による浄化効果

書くことで自ら気づくオートクライン効果(※)」

※オートクラインとは医学用語で「自己分泌」を意味するもので、現在は「自分で話した言葉で自ら気づく」ということでコーチングでも使われるらしい。

詳しい内容を知りたい場合はぜひ本書を手にとっていただきたいが、いずれの効果にしても私はライティング(特にブログ)を通して多かれ少なかれ感じてきたことだった。

これをふまえて思うに、手書きなど、方法によって効果の感じ方に違いはあれど、自分を感じることができる「ライティング」には瞑想的な効果が少なからずある。

そして、それによって現実は整えられ、心は落ち着き、目の前のことにエネルギーを注ぎやすくなると言っておそらく差し支えないのだろう。

アルゴリズムが自分自身についての現実を観察するのを不可能にしてしまう可能性がある

「21 Lessons」の最終章を、ハラリは下記のような言葉で締め括っている。

テクノロジーが進歩するうちに、二つのことが起こった。

第一に、燧石で作ったナイフが徐々に核ミサイルに進化すると、社会秩序を乱すのは、前より危険になった。

第二に、洞窟壁画が長い時間をかけてテレビ放送に進化すると、人々を騙すのが前より簡単になった。

近い将来、アルゴリズムはこの過程の仕上げをし、人々が自分自身についての現実を観察するのをほぼ不可能にするかもしれない。

そのときには、私たちが何者で、自分自身について何を知るべきかは、私たちに代わってアルゴリズムが決めることになるだろう。

あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残されている。

努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。

だが、この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ。

なんと数年あるいは数十年のうちに、「アルゴリズム」が自分自身についての現実を観察するのを不可能にしてしまう可能性があると示唆しているのだ。

私にとってなかなか衝撃的なメッセージだった。

歴史を見れば、人間は、異国の文化、未知の種、彼方の惑星などを理解するための努力を惜しまない生物であることを知ることができる。

であれば、同じくらい「自分自身の心を理解すること」にも一生懸命に取り組む価値があるのではないだろうか?

もしかするとハラリが言うように近い将来、私もアルゴリズムが決めることに従っている可能性はある。

しかし、まだ選択の余地が残されているのであれば、書くことを通してじっくり自分のことについて吟味して、自己というものを探究していきたい、そう切に思うのだ。

今回書きたかったはこんなところである。

Photo by Thomas Franke on Unsplash

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|プロジェクトデザイナー|タスクシュート認定トレーナー|WebメディアRANGER(https://ranger.blog)管理人|ネーミングの仕事も大好物|白湯の魅力や面白さをお伝えする活動もしています(@projectsau

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

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