RYO SASAKI

私はどこまで変われるのだろうか?

タナカ シンゴ

30年以上ぶりに大学時代のサークルの同窓会に参加して感じたことは、同期や先輩に再会してその当時のまんまに戻れるなあ、というものだった。

それは、同期や先輩のそれぞれの語り口調や会話のリードの仕方(ある人は)、会話に入るタイミングや言葉数など当時と全く変っていないからで、音量は当時に比べて落ち着いてきてはいるが、それぞれの驚き方、笑い方、おどけ方なども変わっていない。

更に言えば、世の中を楽観的に捉えるのか?慎重に捉えているのか?話のどこの部分を面白がるのか?などそれぞれが持つ感覚の特徴が当時と変わっていないようにも思う。

もちろん自分も含めて皺も白髪も増えて容姿は明らかに変ってはいるのだが・・・。

やっぱり「三つ子の魂百まで」なんだなあと確認する。

それぞれが長年の社会生活で様々なことを経験してきているし、知識も増えるなど変化しているはずなのにそこが感じられないことを不思議に思ったのだが、大学の頃も今も深いところまで話すことがないから、変化を感じようがないんだな、とあっけなく答えが出てしまった。

人は見かけの変化は気づきやすいが、中身の変化はよっぽど親しくない限りは気づきようがないものなのだ。

さてはて、自分はどこまで変化してきているのだろうか?

人のことは観察できるが、自分のことはさらにわからないものだ。

そして、この先に自分の何が変わらないもので、どこまで変化できるのだろうか?

こんな疑問が浮かんできた。

変化もいろいろ

変化と言ってもいろいろなものがある。

容姿は間違いなく変わる。

能力もトレーニングによって高まる変化と老化によって落ちる変化の両方がある。

仕事の内容や仕事における役割(地位、役職)が変わることも大きな変化のひとつだろう。

ここでは、容姿、能力、役割の変化を除いた心の持ちようの変化というものに焦点を当てたいと思う。

心の持ちようは幸せに生きる上で非常に大切な要素であり、他のものと異なって自分だけで変えられるもののように感じるからだ。

心も持ちようも幅広いが、人生に対する見方、社会に対する見方、人に対する見方、自らの生き方などがわかりやすいところになるだろうか?

人は日々何かを経験して、知恵を得ているのだから、それから自分の心の持ちようを変化させていけるものではあるのだが、一方で大きな試練(例えば、病気や怪我、トラブルなど)を経験しない限り、人は大きく変わることはないと言われたりもする。

何が変わって何が変わらないのかはわからないが、ひとつ言えるのでは?と思えたことは、人は困らない限り変わらない、ということだ。

人は現状ままのコンフォートゾーン(心地よい居場所)に留まりやすいからだ。

困ったことから逃れるために人は変っていく。

自ら、こうありたい、と立てた目標をもつことで新たな困難が生み出されてそれを解決することで変わっていくということもそれに含まれるのだろう。

一方で、困ったことがあってもそれを困ったことだと思わずに変わらない部分もある。

困ったことがあっても放置して変わらない部分もある。

変わることはこれまでの自分が否定されたようで怖いという感覚があるかもしれないし、ただただ面倒くさいと思ってしまうこともあるかもしれない。

つきなみだが、まずは変わろうと思わないと変われない、ということに帰着するのだろう。

ここで、私が直近数年で変わろうと思ってきた心の持ちようをひとつ上げてみたい。

一般的に人は本来の自分ではない役割をいくつも演じていると言われる。

親として演じる、職業のある地位として役を演じている。

だから変化には、素の自分から役割を演じるようになる変化と、役割から解放されて素の自分に戻る変化があると思う。

自分の素と役割が混合しているのが人というものなのだろうが、私はできるだけ素で生きるように変化したいと思うようになった。

自分とは何者なのか?自分の純粋な部分を怖がらずに誤魔化さずに見つめて、そこに責任を持とうとやっと思うようになった。

その理由は、素で生きる方が体に負担が少ないような気がするから、ということと周りの方が親しみを持ってくれるのではないか?という、それはたわいもない、何ともかわいいものでしかない。汗。

自分がどこまで変わってきたかはわからないが、見栄っぱりが少し減って子供の時に戻ったような感覚が出てきているように思う。

変わらない自分の特徴とは

今度は、私がいくつになっても変わらない、と思うことの中から2つほど上げてみることにする。

①中長期的な目標を持たないこと

②周りを助けるというよりは周りに助けられて生きてきた人であること

①中長期的な目標を持たないこと

唯一中長期的に健康でありたい、という漠然とした思いがある以外は、若い頃からどんな家に住みたい、どんな車に乗りたい、どんな生活をしたい、どんな職業に就きたいというような像を描いたことがない。

目標とする人もこの人という方がずーっといない。

もちろん世の中にたくさんいる素晴らしい人々の考え方を真似たいとずーっと思ってきたのではあるのだが・・・。

目の前に都度現れる目的を随時追いかけてきたように思う。

大学進学の時は大学を選択し、就職の時は会社を選択し、配属された各部署での目的に向けて進む。

係長になれば課長を目指し、課長になれば部長を目指すのではなく、その時の仕事の目的を達成しようとしてきた。

それは目の前のことに流されて生きているとも言えるのかもしれないのだが、自分は中長期の目標を立てようとすると、抑圧されるようで急に居心地が悪くなってしまう。

これはどうあっても変わらなかった特徴?欠陥?のようなものだとも思う。

②周りを助けるのではなく、周りに助けられて生きてきた人であること

子供の頃の私を形容する言葉として「幼い」というのが適切だろうと今振り返っている。

子供の頃は、寝小便が治るのも遅く、車酔いがひどかったから、遠出することが少なく、見聞は広がらなかった。

概ね健康ではあったが、季節の度に毎回風邪をひいて熱を出した。

学校の勉強以外のことは無知だったし、不器用で何をするにも努力が要った。

同級生もほとんどが大人に見えて、常にビハインドで何とか追いつきたい、という思いで生活していた。

同級生でも3月生まれのような存在だ。

常に自分のことで精一杯で、人を助けるなんてことには全く目が行かなかった。

この幼い自分は小学校3年の時に、学校の水道の出しっぱなしを先生に注意されたことに対して、私が水道代を払うわけではないから、などと大人っぽいであろうと思う抵抗を見せた。

これが私だって世の中を知っているんだぞ!という数少ない知識の中のひとつだった。

何ともしようもないひどい抵抗だった。

それを先生から伝えられた母親はしばらく落ち込んでいたことを覚えている。

大学に入学した頃、もう大人なんだからそろそろ人の役に立ちたいという思いがもたげたことがあって、同級生を何かで助けようとしたことがあった。

その時にその同級生に言われた言葉がこれだった。

「ちゃっぱたげるな!」

これは秋田の方言で「人におせっかいを焼くな!」というような意味合いだ。

「自分のこともできない癖に・・・」というニュアンスも含まれる。

この言葉は、このことだけに限らずに同級生にとって、私からにじみ出る器ではない感の結果なのだと思った。

的を射たこの言葉が、今でも私の心に強く刻まれている。

会社では組織長として役割を演じたこともあったが、今思えばしっくり来なかったように思う。

大きな組織であればあるほど、それによって自分が人のために組織を動かすことにどこか偽善と分不相応を感じる自分がいた。

こんな自分と長く付き合っていると自分について、ふとこんなことを思うことがあった。

人は生まれ変わりを繰り返しているという説(定かではないが)がある。

前世記憶がある人がいるというし、前世で経験した仕事を今生で選択すると前世も含めて修行期間が長くなるわけだから、上手くいくという話も聞いたことがある。

この話がもし本当ならば、自分は人間として生まれ落ちるのが、初回の人間なのではないだろうか?

だから、前世記憶もなければ、世の中のことを学ばない限りは何も知らない。

そして、前世で培ってきた子供の頃から得意だという尖ったものもない。

のちにプロ野球選手になる人が子供の頃から意識せずともその頭角を表すところから始まって、その後に意識するようになるように、多くの人のためになるリーダーというものも子供の頃から無意識にその頭角を表すものだろう。

自分のキャンパスに頭角を表すような羅針盤がなく、真っ新のようだ。

よって、最近世の中の常識を疑い出してこだわりが徐々になくなってきた私は、逆に確信がない根なし草のように思える。

だから、右にも左にも揺らいでしまう。

揺らぐことが悪いことだとは思っていないものの。

そして、今の自分は子供の頃に戻ったように、なぜ?なぜ?と、世の中に対して疑問だらけになった。

持っている人は子供の頃から、確信を持っていて大人顔負けにしっかりしているものだ。

精神年齢が自分とは明らかに違う。

こんな幼き私は、一体どこまで変われるものなのだろうか?とも思うのだ。

変わろうと思って変わるのか?自然に変わっていたということなのか?

以前にスナックで志村けんさんの従妹の志村さんにお会いした。

しばらくすると外の寿司屋からその方が購入したお寿司が届いて、店中のお客様に振舞われ、私もご馳走になった。

店の人曰く、差し入れはいつも志村さんがやっていることで、テイクアウト専門寿司では美味しくないので、必ず普通の寿司屋から取り寄せるというこだわりもあるんだそうだ。

志村家は元来食に携わる家系とのことで、

「けんちゃんは珍しくお笑いの方に進んだんだよね。」

と志村さんは話してくれた。

更にお話を聞くとこの方は、年金のうちの半分をすべて5,000円札にして一枚一枚を封筒に入れて日頃から持ち歩いている。

そして、街で見かけた人に5,000円ずつ配っているとのことだった。

未だに料理関係の仕事の現役でいらっしゃって、決して裕福なわけではないが生活するには問題ないのだ、という。

ならば、人の喜ぶ顔が見たい、だからそうしているらしい。

志村さんはその言葉どおり美味しいお寿司をほおばって喜ぶ私の顔をみて、満足そうだった。

このことは、自分との心の持ちようの差を感じる出来事だった。

はたして自分は、この先にこのような心の持ちように変われるものなのだろうか?

変われないのであればなぜ変われないのだろうか?

まず初めに感じるのは、人のために何かをするような器ではない、という思いが私の中のどこか根底に横たわっていること。

これは固定観念であり、逃げ口上なのかもしれない。

自分からお金が離れることへの恐怖を感じる、ことも事実だ。

人に迷惑をかけないようにまずは、自分で生きていかないとならない、とも思う。

さて、中長期目標を持つという今までずっとできなかったこと、私はこれを変えることはあるのだろうか?

自分のことだけでなく、例えば志村さんのように人の役に立つことができるようにどこまで変われるのだろうか?

これまでに頭で気張っているうちはまだ変化してなくて、知らない間に心のざわつきがなくなって、後から自分が変化したんだ、と結果として気づくような経験がある。

変わるとはそういうことなのかもしれない。

人には変わろうとしても変われない広大な範囲が広がっているのは間違いないのだが、一方では変われる範囲も必ず存在している。

幼き私ならば、なおさらなのだろう。

変わることも最初から決まっている運命なのだろうか?

それとも変わることは運命に抗ったことなのだろうか?

変わろうが変わるまいがその人の人生であることは変わらないのだが、変わりたいし変われるのに我慢して変わらないのは、もったいないことだとただただ当たり前に思う。

だから、私は私の純粋な本音と対話しながら、その本音が変わろうと思うならば、いくつになっても諦めずに変わっていく自分を楽しみにしている。

ずっと自分の変化を観察しながら、最期には自分がどこまで変わったのか?何が変わらなかったのか?について自分を総括したいものだと思った。

Photo by Johannes Plenio on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

今度また、約30年ぶりに後輩に会う機会に恵まれました。

その時の印象と今では、私の何が変わって、何が変わらないのか、是非聞いてみたいです。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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