田中 新吾

「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。

最近、大好きな「ジャンプ+」に期待の漫画が立ち現れた。

知っている人も多いだろう。

サラダ・ヴァイキング である。

第一話を乱暴に要約すれば、

「地球の命をすべて食い尽くしてやる!」という目的で、地球の外からやってきた狩猟生命体である主人公レオが、ひょんなことから「野菜」を食べることになり、その美味さにぶったまげて畑をはじめる、という具合になるだろう。

直感的に現代にふさわしい企画、テーマ設定だと感じた。

個人的に刺さったのは、野菜を「地を這う草」程度のものとして舐めきっていた主人公レオが野菜を食べた時の感想である。

キュウリを食べた時のレオの感想

なんだこの瑞々しさは・・・どこにこんな水分が隠れているんだ?

この清涼感・・・

日差して火照った体を内側から癒やしてくれる・・・

そしてなによりこの心地いい歯応え・・・

味覚だけではない・・・咀嚼音・・・

聴覚も至福を感じている・・・

(出典:サラダ・ヴァイキング 第一話)

トマトを食べた時のレオの感想

えぇ〜・・・

なにこれ〜・・・

鼻から抜ける個性的な香り・・・

なんと濃厚な風味だ・・・

ほのかに甘みも感じるぞ・・・

したたる水分は・・・

もはや肉汁・・・!!

体が・・・・・・この植物を欲している!!

(出典:サラダ・ヴァイキング 第一話)

きめ細かな描写が、まるで同じものを食べているような感覚をトレースさせ、私も本物の野菜を無性に食べたくなった。

この漫画を読んでいると、やたらと野菜が美味そうに思えるのだ。

「野菜嫌い」という問題解決の糸口になる可能性も大きく感じ得た。

そして、第一話を読み終えた後、トマトからしたたる水分のように、私の内からも様々なことが溢れ出てきた。

色々なものがあったが、中でも特に強く感じたことが、

「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。

というものについてだ。

個人的に思うに、サラダ・ヴァイキング 第一話の本質部分はここにある。

20代の中頃、一人旅にハマった

話は変わるが、私は20代の中頃、国内を一人旅することにハマっていた。

同じ職場の先輩から「一人でも行ってみたら意外と楽しいよ」という言葉をかけてもらったことが最初のキッカケである。

一人旅をするようになる以前の私は、

「一人旅の一体どこが楽しいんだ?」

「友情は喜びを2倍にし、悲しみを半分にすると言っているドイツの詩人がいるように、誰かと行った方が楽しいに決まっている」

こんな具合にだいぶ穿った見方をしていた。

ところが、初めて一人旅に選んだ大分県別府〜由布院での経験で私の一人旅に対する見方はガラリと変わってしまったのである。

一体何があったのか?

大分県別府市に私が上陸したのはこの時が人生初めてであった。

空港からバスに乗り、別府の中心地に到着すると、湯煙がそこ此処に上がるあの風景が目に前に立ち現れた。

一通り町の中を歩いて散策した後、地獄温泉が観光地というのでバスで向かい、7つの地獄を観賞。

そこでは関東では見ることもできない、迸る地球のエネルギーを体感した。

それから夜は「竹瓦温泉」へ。

この温泉、ご存知の方も多いだろう。

竹瓦温泉は、別府市営の公衆浴場でわずか100円で源泉かけ流しの温泉が楽しめる。

浴場のタイルの上でダイナミックに寝転がる爺さんがいたり、その時受けたカルチャーショックが随分懐かしい。

竹瓦温泉を出た後、空腹を感じた私は再び駅周辺を徘徊し、夕食のありかを探し求めた。

しかし、目にする店のいずれもが一元さんお断り感があり、別府初心者の私にとって入るには高いハードルを感じた。

「今夜の晩ご飯は抜きか・・・」と挫折感を感じ諦めかけていたその時。

向こうの方にまだ誰も入っていない小洒落たカフェ・バーのようなお店を見つけたのだ。

私にとってそれは希望の光だった。

すぐにそのお店に飛び込むと、入った時間が早かったせいか客は誰もいなく私一人だけ。

「初めての別府です。東京から一人できました。」

店の中にいた人にこう伝えると、その人は私を温かく迎え入れてくれた。

早速オススメの「鶏天南蛮」の定食を頂いた。

鶏天にがっついている私を見て、

「時間があるならまだいるといいよ。ここ面白い人が結構くるから」

とその人は言った。

その時、まだ18時を回っていなかったと思う。

あとは宿に帰って寝るだけだった私はお言葉に甘えてもう少し居させていただくことにした。

店員さんとの会話を楽しんでいると、確かに19時を過ぎると客足が増えてきた。

「どうもー」と次々と店に人が入ってくる。

そして、店の人はなぜか来る人来る人に「東京から一人できたんだってさー」と私のことを紹介してくれた。

酒も入っていたせいもあり、何人の方と話したのかは定かではない。

確か「オリンピック選手のお母さん(何の競技かはもう忘れてしまった・・・)」なんて人もいた。

初めての一人旅、初めての別府で、偶然にも私はディープな夜を過ごすことができたのであった。

カフェ・バーで出会った30代後半の男性からの提案

話は、おしゃべりさせてもらった人の中でとりわけ強く記憶に残っている人についてだ。

その人を仮にもKさんと呼ぶ。

Kさんは私と話をしはじめるまでは、店の2Fで株のトレードをやっていたということだった。

会話をしていくと、Kさんは、E○SON大分にお勤めのエンジニアで、フィリピン人の奥様と結婚し、今別府に住んでいるということが分かってきた。

年齢はその当時確か30代後半だった記憶。

そして、ちょうど奥さんが東京に仕事で言っているため暇だからここに遊びに来たということだった。

東京から一人できた私が物珍しかったのか、Kさんはとにかく色んな話をしてくれた。

時間はあっという間に過ぎ、気付けば時計の針も22時を回っていた。

「もうそろそろ宿に帰ろうと思います」と私はKさんに言った。

すると「明日はどんな予定なの?」とKさんから。

私が「明日はバスで由布院に行って、観光して、由布院駅から福岡に行こうかなと思ってました。」と返すと、

「よかったら由布院の案内しようか?車も出すからバスより楽だよ。明日も俺は暇だし」と彼は言った。

出会ってまだ数時間。

話してみて、たしかに人は良さそうなことは分かったがこの提案に乗っていいものだろうか・・・・。

正直私は疑心を抱いた。

ゆえに、

「・・・・いやそれは悪いですよ。せっかくのお休みでしょうしゆっくりされてください。」

という具合に私は返した。

すると、

「まあでも本当に暇なのよ。だからどう?オススメの温泉も案内するし、最後は由布院駅に送ればOKでしょ?」

「でも・・・」と私が口を噤んでいると、それを見ていた店員さんが横から口を開いてくれた。

「Kさんはうちの常連なんだけど多分本当に暇で案内したいんだと思うよ」

「悪い人じゃないからお言葉に甘えて案内してもらったら?」

こうまで言われたら断るのも気が引けると思った私はKさんのご好意に預かることにした。

「ではお言葉に甘えて・・・・」

「じゃ、明日9時に別府駅の油屋熊八の像の前で待ち合わせようか」

「油屋熊八ですか・・??」

「そう、バンザーイ!ってしてるおじさんの像があるから駅にいけばすぐ分かると思うよ。分からなかったら電話して」

「了解しました!では明日はよろしくお願いします。おやすみなさい。」

「はーい!おやすみ〜」

ということで、その日を終えた。

一人旅の面白さに取り憑かれ、見える世界の見方はガラリと変わった

次の日。

「昨日のことは夢だったんじゃ?」

まだ幾ばくかの疑心のあった私は、

「Kさんは本当に来てくれるのだろうか?」

そんなことを思いながら集合場所のバンザイおじさんの像を目指した。

すると時刻通り、集合場所にKさんはいた。

「Kさん、おはようございます!」

「おお、おはよう〜無事に来れたようだね」

「これが油屋熊八ですか・・・」

「そう、別府の観光や開発に尽力した人ということでシンボルになっているんだよね」

「へえー。このバンザイおじさんがですか」

「そうそう。じゃあ時間ももったいないので早速由布院までいきますか」

それから、私はKさんの車に乗せていただき、由布院の中心地に行くまでの道中、見れるとは思っていなかった観光名所を巡り、Kさん一推しの温泉に入り、由布院到着後はくまなく案内を受け、美味しいランチもご馳走になってしまった。

特急「ゆふいんの森」に乗る時間ギリギリまで本当に私を楽しませてくれたのだ。

今振り返ってみても、あれは至れり尽くせりだったと思う。

別府からバスで一人由布院に来ていたら、ここまで大きな満足感は絶対に得ることはできなかっただろう。

由布院駅で別れを告げ、私は時刻通り特急「ゆふいんの森」に乗車した。

別れた後、Kさんに対して度々疑心を抱いた自分が急に恥ずかしく思えてきたことも今やいい思い出だ。

この初めてにして至極の経験をさせてもらった別府〜由布院の件を通して、私は一人旅の面白さにすっかり取り憑かれてしまったのである。

そして、一人旅に対しての見方はガラリと変わり、ひいては、縁もゆかりも共通点もほぼない他人に対しての見方もガラリと変わったのだった。

「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある、はこの世の真理の一つ

話は冒頭の漫画「サラダ・ヴァイキング」の話についてだ。

主人公レオは、野菜を「食べる前」と「食べた後」で、野菜に対して、地球に対して、ガラリと見方を変えている。

to 野菜

「野菜を食べる前」 → 地を這う草、食べることは屈辱

「野菜を食べた後」 → 野菜は美味い

to 地球

「野菜を食べる前」 → 一族が血肉を貪るには最適な星

「野菜を食べた後」 → 危機に瀕している一族に革命を起こすヒント(野菜)がある星

変わりっぷりがなかなかに劇的である。

この変化に影響を及ぼした因子は一つ。

「美味しい野菜を食べた」という「当事者経験」である。

そして、これは決して漫画の世界だけに限らない。

別府〜由布院の旅を通して、私の見方が変わったように現実世界でも起こりえる話だ。

例えば、

「タバコを吸ってみれば、愛煙家にとっていかに窮屈な社会になっているかが分かる」

「お酒を飲んでみれば、シラフの時がいかに生産性が高いかが分かる」

「夜道を運転してみれば、いかに昼間の運転のストレスが少ないかが分かる」

「早起きが続くようになると、日々の幸福感が劇的に上がることが分かる」

「好きな人に勇気を出して告白をしたことがあれば、結果はどうであれ人生において何かに挑戦することの意義の大事さが分かる」

「メディア運営をしてみれば、コンテンツを作ることだけでよかった時とは大きく異なる働きが求められることが分かる」

こんな具合に日常のあらゆるところで起こりうる。

そして、こういうことを引き出すのは「当事者経験」を「する」ことに尽きるのだろう。

「しない人生」ではなく「する人生」を選ぶこと、とも言い換えられる。

私は、今まで

「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある

についてはこの世の一つの「真理」ではないか、と思ってきた節がある。

サラダ・ヴァイキングの第一話は、このことを私に改めて思い起こさせてくれたのだ。

人生において、どんな経験がどう活きるかというのは全く予測ができない。

だからこそ「とにかく何でもいいからやってみることは良い」ということは、前提として持っておいていい考えだと私は思う。

もしも、まだ サラダ・ヴァイキング を読んでいないということであれば是非。

きっと野菜を今よりももっと食べたくなると思う。

【著者プロフィール】

田中 新吾

別府〜由布院一人旅の経験が今になって活きるなんて。

人生において、どんな経験がどう活きるかというのは全く予測が不可能です。

プロジェクトデザイナー/ブロガー/ポッドキャスター。プロジェクトネーミングを起点にプロジェクトチームの運営をするのが得意です。元マーケティング支援会社。複業実践中。詳しいプロフィールはHTML名刺をご覧ください。

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