RYO SASAKI

自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)

タナカ シンゴ

前回は、幸福になりたいならば幸福とは何かがハッキリわかった方がいい、という気づきがあった。

そうしていると、「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」の著者マイケ・ファン・デン・ボーム氏のこんな言葉が飛び込んできた。

幸福度の高い国の大半は何百年も前から”幸福を求める文化”をもっていたように思える。

その通りだ。

当たり前のようだが、腑に落ちる言葉だ。

幸福を求めずして幸福にはなれない。

そして、求めた幸福が間違っていても幸福にはなれない。

こう言われると、私の人生では幸福とは何かについてしっかりと考えるということがなかった。

幸福について周りの誰かが語るのを聞いたこともなかった。

日本では幸福というものについていつから語るようになったのだろうか?

さて、幸福というものが、自分の外にあるのか?自分の中にあるのか?

制度や経済等の環境によるものなのか?自分の心の持ちようによるものなのか?

この両方が、前回の国別幸福度ランキングの中にも混合して絡み合っている。

だから、どうも簡単ではなさそうなのだが、環境は自分の力だけでどうこうできないので、コントロールしやすい自分の中の気持ちを中心に、今回も幸福というものを学んでいきたい。

幸福度が高い国から学ぶ幸福の秘訣

まず初めに「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」という本から、幸福上位国の秘訣をいくつかピックアップするところから始めてみたい。

(幸福になる秘訣)

・人間関係を大切にすること

・他者を信頼すること

・自由であること

・意志力(抑制力)をもつこと

・人間誰しも同じ価値を持つと思っていること

・単純なことを大切にすること

・楽観的に生きること

・生きがいをもつこと

ここからは、これらの秘訣に関連する調査を「最先端研究で導きだされた『考えすぎない』人の考え方」という本からいくつか紹介したい。

人間関係については、以下のハーバード大学の調査がある。

ハーバード大学卒の男性とボストン育ちの貧しい男性の計700名を75年間追跡した調査。

(結論)

「私たちの幸福と健康を高めてくれるのはいい人間関係である。」

家柄でも学歴でも職業でも家庭環境でも年収でも老後の資金の有無でもなかった。

信頼できる人との人間関係は、緊張関係がほどけて脳が健康になる。

たった1人でもいいから、心から信頼できる人がいさえすればよい。

次に紹介する調査は「自由であること」に関連するだろうか。

バルセロナ大学の調査。

161人のうつを抱える人と110人の健康な人の思考の違いを検証。

葛藤(理想と現実のギャップ)をもつ人の割合

健康な人 34.5%

うつの人 68.3%

そして葛藤をかかえるうつの人の約86%の人は自殺しようとした経験があった。

(結論)

「こうあるべきを持っていて、それが実現しない人は不健康になりやすい」

あるべき理想が、いかに正しいとしても、それが実現できないものならば幸福につながらないということのようだ。

もちろん理想を追いかけることが、人生を満足させる面もあるし、個体差があるからこれだけを言うのはどうかとは思うが、追いかける理想というものにも適度が大切だ、ということになるのだろう。

どうも心の中の不安が大きければ大きいほど理想が高くなる傾向があって、現実とのギャップが大きくなるということのようだ。

不安というものによって自分の自由を狭めてしまう、とも言えるだろう。

ここでひとつ非常に意外だったのは、中庸という考え方がスウェーデン社会を赤い糸のように貫いているということだ。

適度に、控えめに。

(というスウェーデン人が)バイキングの血を引いているとは思えない

「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」より

東洋に限らず、中庸の精神は幸福になるために必要のようだ。

生きがいをもつことに関しては、以下の言葉があった。

人生に目標がないから、お金とモノを優先させるようになっている。

「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」より

また、こんな調査もある。

スペインのポンペウ・ファブラ大学の3.7万人を対象にした調査。

(結論)

「ポジティブな感情だけでなく、さまざまな感情を経験している人の方が幸福感を感じられる」

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方 より

ポジティブな感情

喜び・畏敬・希望・感謝・愛・自尊心など

ネガティブな感情

怒り・悲しみ・恐れ・嫌悪・罪悪感・不安など

ネガティブな感情を経験をすることでその逆のポジティブな感情がより際立つといった相対的ギャップが幸福感を高める、という理由のようだ。

喜びの追求は一時的に幸せにはなれるが、全般的な幸福感を長時間維持する上では効果がない。

ノーベル経済学賞受賞の心理学者ダニエル・カーネマン

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方 より

幸福を感じるためには、不幸あるいは苦労を経験しないとならないということだ。

一方では、幸せな時間が多ければ人は幸せになる、という反対のようなメッセージもある。

私は、両方に一理あると感じ、これを両立させる思考法があるだろうと思っている。

幸福とは何か?

ここまでの幸福に関する本を見てきて、幸福になる秘訣を私の言葉でいくつか上げてみたい。

・幸福にはするべきことを制御するといった意志力は必要だが意志力には限度があるから、意志力を働かせない時間をつくるべし。

・悪いこと、悲しいこと、苦しいことが起こっても、幸福の一部だと捉えるべし。

・幸福だけを追いかける必要はなくて、ある程度成り行きにまかせるべし。

ついに、幸福になるために幸福を追いかけるな、という矛盾した言葉にまでなってしまった。

この内容にどのくらいの方が共感するだろうか?

あるいはピンとくるものだろうか?

遡って、先に上げた幸福度ランキング上位国の方々の幸福の秘訣についてはどうだろうか?

ピンとくるものがあったかもしれないが、当たり前だと思うものもあったのではないだろうか?

あるいは、そういうけどうまくできなさそう、というものもあったのではないだろうか?

日頃考えてはいないが、言葉にすればそういうことだったかもしれない、という人もいるだろう。

また、全部の秘訣がクリアされなくても十分幸せな人もいるだろう。

近年、幸福に関する書物はものすごく量が出版されていて、それらを読むにつけ、幸福の概念は複雑であり、また、デリケートなものなのだと思う。

ここで紹介している幸福の秘訣は、その本のほんの一部から、更に私が気になったものだけをピックアップしたにすぎない。

私がピックアップしたものは、私がここまでのあまり気にしていないものであったり、私に足りていないものであったり、私が逆方向に偏り過ぎているものだったりしていると思う。

そう、私固有のものだ。

どうやら、普遍的な幸福は存在しなくて、幸福の秘訣に多くの人に共通しているものはありそうだが、それでもそれが誰にでも当てはまるわけではないということのようだ。

例えばどんな町に住みたいかに関して、都会は便利で華やかでいい、という人がいる一方で、人込みもビル群も嫌いだという人がいるように、求める幸せは人それぞれで異なる。

更には、人は都会のいいところと田舎のいいところを両取りしようという欲求を持ったりもする。

そこに物理的な制約があるから、ただ欲を満たすだけで完璧な?幸福など得られようはずもなく、優先順位を付けてどこかは諦めなければならないものでもある。

また他には、家族を筆頭として周りの人と共感して協力して生活することは人が幸せになる上で大切な要素であることは間違いないだろうが、時にそれは煩わしく自分自身の幸せを求めると周りとの軋轢が生じることもあったりする。

ここには、対人の制約がある。

例えば、日本は緻密すぎて真面目すぎて息苦しいから、オージー(オーストラリアの人)をマネようとした時に、例えば遅刻するなどルーズになるような場合、日本では人間関係にヒビが入る=別の不幸が現れる、ということがあるだろう。

どうも自分の中の幸福と対人と共に生きる幸福は一致する部分もあるのだが、別物でもあると考えた方が良さそうだ。

また別のポイントとしては、幸せであると日頃感じていないとしても、自分が幸せではない、とか、辛いとか、満たされていないなどと思わないのであれば、周りからどんな状態に見えても幸福であることには違いない。

たとえ、もっと今と違う幸福があるのに気づいていないタイミングがあったとしても・・・。

気づかないままでもいいし、何か満たされないものを感じた時に、幸福を求めればいい。

偏りに気づいた都度に、幸福に向けて修正していけばいい、ということなのだろうと思う。

幸福というものについて、このような言葉にすれば当たり前のようなこと、それは無意識でやっているものかもしれないが、一旦自分なりに押さえておきたい。

私の幸福は?

さてここまできて、最後に、私と幸福について何とか決着させたいと思う。

まずは、私の幸福は私固有のものでしかないから私が決めないとならない、ということ。

そして、私の幸福には私が創造できる範囲があるという、大前提から始まる。

幸せだ、不幸せだと思うようなことは、あるいはラッキーだ、アンラッキーだと思えることは、根拠がはっきりしていないものが多い。

また、物事にはポジティブな側面とネガティブな側面を持つからどちらを見てもいいし、決めようによってどのようにでも捉えることができる。

幸福も不幸もひとつの幻想であると言えるかもしれない。

だからこそ、逆に創ってしまう=思い込んでしまう、ことでそれを現実にすることができるのだ。

正解や真理、あるいはあるべきを求めることに片寄ってはいけない。

正解も真理、あるいはあるべきも存在しないと言ってもいいのだから。

自分の解釈があるだけだ。

自分の解釈を創造することで幸福を造れるのだ。

ただし、物理的な制約はあるから、どこかで幻想と現実の制約との折り合いをつけなければならない。

そこで幸福のために具体的に始めてみたことは、

●自分自身の幸福と他人とわかち合って生活する幸福を両立させるために、相反する別物として分けて眺めること。

→人が幸福に生きるために良好な人間関係は不可欠であるだけに、人は人間関係を重視しがちである。

対立する自分自身の幸福と人間関係による幸福が曖昧になるから、敢えて別に捉えるということ。

これは現実の制約との折り合いをつけることの大切なひとつであると思う。

●幸福な時間を可能な限り増やすこと。

→これは、喜怒哀楽の怒哀はほっといてもやってくるから、それも前向きに受け入れる覚悟でいるとして、喜楽に積極的になるという意味合いだ。

幸福な時間を増やすには、月並みだが物事を前向きに捉えることだ。

例えば、物事のポジティブな面とネガティブな面の両方を見て、ポジティブな面に光を当てるという方法もよいだろう。

どんなことも幸せに感じることができる。

昨日、傘を忘れたので雨の中、行列に並ぶことになってしまった。

普段だと雨に濡れている苦痛に目が向く自分なのだが、雨ガッパをきて楽し気に前を横切る幼稚園の児童を微笑ましく観察することに意識を向けた。

例えば、このようなほんのちっちゃなことでもいい。

幸福な時間を増やすまた別の方法として、オージーに倣って過去の出来事で自分がラッキーだったことを思い出してみることにした。

①ロードバイクのライトを買った後すぐにぶつけて壊してしまったが、自転車屋さんが無償で付け替えてくれたこと。

②お寿司屋さんで初対面の方と意気投合してつぎの店に流れて次の店の代金は全部ご馳走してもらったこと。

③首都高で運転中に後ろの覆面パトカーに着かれていて、スピード違反を覚悟したが、パトカーは私を追い抜いて行って、先頭の車を捕まえてキップを切ったこと。

普通に切られることの方が多いだろうが、たまにはこんなこともある。

④岐阜に旅行した時に訪問させてもらった岐阜在住の方から、帰り際に偶然に横浜の凄腕の整体師の先生を紹介してもらったこと。

⑤ハワイ島の空港付近で運転中、飛行機の搭乗時間ギリギリだったためスピード違反をしてしまって警察に捕まった。

警察がいろいろ調べられたあげくに、なぜか無罪放免となり搭乗にも間に合ったこと。

⑥人生唯一の富士山登山で、途中でライトの電池が切れて視界が失われ、真っ暗やみの中登り続けることになった。

現在の場所もわからないからペースが全くわからなくなり、体力が限界に近づいてあきらめかけた時に、頂上が見えて無事登頂。

そのわずか1分後にちょうどご来光を見ることができたこと。

⑦ロードバイクで秋葉原ビルの下に路駐したところ、ロードバイクは盗まれてしまっていた。

約1ヶ月後同じビルに用事があって、用事を終えてビルから出てきた時に盗まれたはずのロードバイクが盗まれた時と同じ場所に戻っていたこと。(ビルに入る時にはなかった)

どれも何ともちっちゃなことで恥ずかしい限りだが、不思議なことも含まれているし、ラッキーなことはまだまだ思い出せるから、世の中が私を包んでくれているように錯覚する。笑

そう、私はラッキーな男なのだ。

周りから冷ややかに見られようとも、私の中だけでは私はラッキーなのだ。

ん?アンラッキーなことはなかったのかって?

それは忘れてしまった。

思い出したら笑いにしてしまおう。

それはそれでおいしいはずだ、芸人さんのように。

オージーに見倣って、

「他の人は知らないけれど、私はまあまあいい方だ。ビールでも飲みませんか?」

という言葉を自分でも放ってみる。

うーん、なじまない。

オージーの自信に感服してしまう。

そんなオージーにはとても及ばないが、今の私の心境は幸福を無理くりに求めなくてもラッキーに十分包まれているから、あるがままに思うままに、成り行き任せでちょっとした工夫だけを心がけていこう!というものにやっとこさなった。

平日に落ち着かない自分にどう向き合うのか?

幸福を考えるキッカケになった平日の落ち着かなさについては、「急がないとまずい」といった焦りが若い頃から沁みついてそのまま残ってしまっていることがその理由だった。

そして、その反動なのか今はゆっくりとした流れの人と関係をもち、わかち合える幸福を求めている自分がいる。

このことの捉え方をどう創造すればよいだろうか?

周りの流れるスピードは環境だから、自分では変えられない。

例えば幸福ランキング上位国のスウェーデンは時間が日本よりもっとゆっくり流れているらしいから、そこに移住するなど現実との折り合いをつけなければならない。

次に自分の中だけで捉える、この焦りがあることのポジティブな面は何だろうか?

若い頃、急いだことで頭の回転が早まり、仕事の処理能力が上がって、ここまで成し遂げたことも多々あったことは、誇らしいことなのだ!

ということにしてみよう。

まあ、環境のことはおいておいて、自分の中で誇りがあるという幸福とこれから改善にチャレンジしようという生きがいという幸福の両方がある、という解釈を創作して都合よく、少しだけお調子者で、前に進んでいこうと思う。

<参考書籍>

世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方

Photo by Elijah Potter on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

幸福というものは各国で長きに渡り追い求められてきているものですから、とてもこれだけのことで理解したなんて言えるものではないとは思いますが、一度でも考えられたのはいい経験でした。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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