田中 新吾

「何を考え、何をしているか、周囲に見せるからこそ、コラボレーションすることができる」は、この先もきっと役に立つ。

タナカ シンゴ

昨年が終わる頃、知人と「日報」についてコミュニケーションをする機会があった。

若干うろ覚えなところもあるがだいたい以下のような内容だったと思う。

知人「20代の頃は日報ってめんどくさいなと思う時もあったんですけど、今思うと日々振り返る時間を仕組みで作れていたのは良かったなと思うんです」

私「なるほどです」

知人「忙しくなるとPDCAというよりも、PDPDやDDDDになってしまうので、毎日きちんと振り返って次に活かすための努力は本当に大事だなと」

「だから今の仕事には日報を書くという決まりはないんですけど、自分のルールとして帰宅中に振り返るようにしてるんですよね」

私「それは素晴らしいですね、僕も日記を書くという習慣で同じようなことをやっているので共感するところがあります!」

ちなみに下のツイートはこのコミュニケーションに関連して投稿したものだ。

思うに「ふりかえりの中身のクオリティで学びの取れ高は決まってくる」という考え方の礎が築かれたのは、間違いなく前職マーケティング会社での「日報を欠かさず書く」という経験が影響している。

この経験は私にとって本当に大きなものとなった。

しかし実を言えば「日報を欠かさず書く」という経験から得た学びとして大きなものはもう一つある。

何を考え、何をしているか、周囲に見せるからこそ、コラボレーションすることができる」というものだ。

知人とのコミュニケーションで思い出されたのもあったのでここで書き残しておきたい。

日報が会社における人間関係構築を支えてくれていた

前職で私が業務日報を書くことを課されていたのはたしか入社してから3年目くらいまでだった。

当時のシステムは自社でスクラッチ開発されたもので上司や先輩からの教えを参考に、

・何をやったか、何が起こったか

・やったこと、起こったことについてどう考えたか

・考えたことで得られた学びは何なのか

・次はどうするか

について私はできるかぎり書くように心がけていた。

日報には、

「直属の上司」と「事業部長」からの「愛のあるコメント」というフィードバック欄が設けられており、上司も部長も私の日報に対してコメントを書き込んでくれた。

そうでない先輩社員や同期ももちろん見ることができ、たしか「他の社員さんからの愛あるコメント(確かこんな名前)」という欄でコメントをもらうことがあった。

皆さんから頂いたコメントには基本的に翌日の日報でお返しをする。

そうやってコミュニケーションのラリーが行われていった。

2年目、3年目にもなってくると喫煙所や食事のタイミングで「日報に書いていたあれなんだけどもう少し詳しく教えてくれない?」などと振られることも徐々に発生。

まだ若手で大した実績もなかった私の会社における人間関係構築を、日報は間違いなく支えてくれていた。

そして、このような経験の中から、人間関係構築において何よりも重要なのは、自分は何を考え、何をしているか、周囲に見せること

そうやって見せるからこそ、人同士がコラボレーションでき、仕事が進んでいく、という仕事における超基本的な学びを得ていった。

ツイッターで検索してみても分かる通り、一般的には「日報は面倒くさいもの」としてラベルがベッタリ貼られている。

しかしかくいう私が貼っているのは「面倒くさい、でも続けていると後から効いてくる」というラベルだ。

脳が持っている「意識」という機能

30代半ばを過ぎた今あらためて考えてみても、この「何を考え、何をしているか、周囲に見せるからこそ、コラボレーションすることができる」という学びは、この人間社会を生きる上では極めて有効なのだと思う。

というのも、人間の活動のトリガーの大部分は「意識」に基づくため、意識できないものは残念ながら活動には変換されないからである。

そして、意識の手前にあるのが視覚や聴覚などの五感への「入力」

入力したものの全てが意識されるわけではないが、入力がなければ意識されることは絶対にない。

「意識」という人間の脳が持っている機能については養老孟司さんの話に詳しい。

人間の脳に備わった「意識」は、できるだけ多くの人に共通の了解事項を広げていくために発展をしてきた歴史があり、その中で「同じにしようとする力」を育んできた。

交換を生み、お金を生み、相手の立場を考えられるようになったのも「意識」の「同じにしようとする力」に依るもの、ということ。

生きていると「相手が考えていることややっていることが理解できる」や「相手の状況に共感する」ということが頻繁にあるが、これが起こるのはまさに自分の「意識」が、相手と「同じ」を見つけて理解しようとしているから。

脳が持っているこういった能力から考えても、何を考え、何をしているか、周囲に見せたり、伝えたりしないことには私たちの間では何一つはじまることはない。

脳がそうである以上これは厳選たる事実だ。

最近も実感することがあった。

少し前にNHKスペシャル「超・進化論」という番組の中で、人間の目には見えることはないが、植物はメッセージを発していて、植物同士、昆虫たちとコミュニケーションをとっている、という驚くべき話を知った。

NHKスペシャル 超・進化論 (1)「植物からのメッセージ ~地球を彩る驚異の世界~」

そこでは研究成果などと一緒に植物が発するメッセージが非常に美しく「見える化」されていたのだが、思うに、私が番組を視聴した後にそれについて深く考えるように変わったのは、見える化された植物のメッセージが私に入力され、それを意識できるようになったから。

だいぶ前になるが「見える化すれば大抵の問題は解決する」という主張をどこかで聞いた事があったが、これもあながち間違いではない。

見える化されても意識されなければそれまでなのだが。

でも逆に言えば、見える化しないことには何にも解決しないということにもなる。

高度AI社会になっても多分変わらない

思うに、人間が持つ脳の機能が今のものと変わらず、活動のトリガーが「意識」に基づくことも変わらないかぎりは、「何を考え、何をしているか、周囲に見せるからこそ、コラボレーションすることができる」という考え方は役に立つ。

誰かの協力を仰ぎたかったり、コラボレーションしたいと思うのであれば、やることはこの考え方に則り、淡々と何を考え、何をしているか、周囲に見せていくのみである。

個人的な見解だが高度AI社会になっても多分これは変わらない。

会社組織であれば日報や資料作成などあらゆるアウトプットがその機会となる。

インターネットを通したコラボレーションを希望するのであれば、ブログやnoteのようなもので文章を発信するも良いだろう。

五感に入力することができて、相手が意識できるものであれば良いのでポッドキャストのような「音声」だっていい。

そうやって、周囲に見てもらい、意識してもらう事が叶えば、見知らぬ相手との社会的不確実性は減じられ、逆にコラボレーションの可能性は高まっていく。

ブロックチェーン上に残る「改ざん不可能な取引の履歴」や、使っている道具、着ている服、住んでいる場所だって相手からすれば入力されるもの、見えるものの一つになるのだろう。

今回の話は最近書いた「いいパス」についての記事ともリンクする。

「いいパス」を出すためには「そのパスはチームをより好ましい状況にするのか?」という本質的な問いかけが欠かせない。

何を考え、何をしているか、周囲に見せることは「パスを出すこと」ときっと言い換えてもいい。

「何を考え、何をしているか、周囲に見せるからこそ、コラボレーションすることができる」

こう聞くと当たり前のことじゃん、と思う人も多いかもしれないが私にとってはこれまでの人生における大きな学びの一つだ。

ということで引き続き淡々と取り組んでいきたいと思う。

UnsplashKaleidicoが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車

最近「超・進化論」コンサートをNHKオンデマンドで視聴したのですが、これも本当に素晴らしい60分でした。オススメです。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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