ウェイブマン参上!?〜量子力学と対話してみた~
前回はたまたま紹介してもらった本から、お金による等価交換に対して、お金で買えないもの=不等価交換のものを「贈与」と呼ぶことを知ったわけだが・・・
世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学
そのタイミングで、今度は30年ぶりに出会った後輩から次の本を紹介された。
時間と空間を操る「量子力学的」習慣術
量子力学というものは学ぶにも難解なイメージがある。
量子力学に限らず、そもそもどうして小難しい学問を学んできたんだろう?
そんなことを思ったのは、円周率を生活に役立てたことが未だにないからなのだろうか?
若い頃の受験勉強が苦痛だった記憶があるからなのだろうか?
学びはそれが「日々の生活に直結して役に立つならば意味がある」と、ずいぶん長い年月を経て私の今はハッキリしている。
言うのも恥ずかしいくらいなのだが、私はここのところ、「ハッピー」に目がない。
この本はそういう意味で非常にわかりやすいもので、量子力学が日常をハッピーにできるのかも!と私の鼻息は荒くなった。
そしてまた、「贈与」の話ともすぐにつながった。
今回も、お金では買えないものを延長して、日常生活を変化させられるか、探ってみたい。
量子力学を簡単に・・・
量子力学で言われていることに、物体をミクロの世界まで見ていくと、原子に行き着き、原子はひとつの原子核の周りに渦巻く電子雲である、というものがある。
出典:水素原子の電子雲
この電子雲は実際に雲なのではなくて、電子がどこにいるか特定できないので、範囲を飛び回っている様子を雲のようなイメージで表現したという、苦肉の策らしい。
人間の身体であっても同様に、すべて原子核と電子雲でできていて、原子核と電子の間に距離があるから我々はスカスカな存在であって、しかもあらゆるところでジリジリと?動いている存在であるということになる。
更に、意識や感情というものも、その電子雲の中から飛び出しては電気のように流れるフォトン(素粒子=最小単位の物質)であるという。
ちなみに、これら素粒子も原子も分子も粒でもあるが波のような性格も同時に持ち合わせているらしい。
参考:粒子と波動の二重性
もはやなんだかわからないが、単純にいうと我々の身体の中身は粒子が飛び回っているとも言えるし、我々の身体は振動でもあると言えるわけだ。
一旦、鵜呑みにして進んでみる。
世の中はすべて振動であり、動くエネルギー体である。
人は個体という意識が強すぎる、とも言っている。
このことは世の中がすべてエネルギー体だというのだから納得せざるを得ないのだが、私においてももちろん個体意識が強すぎて、とても宇宙と一体化しているなんていうことを感じられはしない。
ちなみに振動(波)は周りの振動に干渉するものだから、自分は周りに干渉を与え、そしてまた、自分は周りから干渉を受けるということになる。
そして、自分の波動に共鳴した同じ波動が集まってくることが、いわゆる引き寄せの法則なのだそうだ。
更に、意識、感情=フォトンは、言動に表さなくても周りに伝播してしまっているということになる。
愛や感謝などはいわゆる良いフォトンとして、攻撃や恨みなどはいわゆる悪いフォトンとして伝播する。
そしてもう一つ、自分が発したフォトンのエネルギーは、ゼロポイントフィールドに蓄積され、ある時に自分に戻ってくるという。
※ゼロポイントフィールドについては詳細の説明はここでは割愛します。
このことは意志=フォトン、が強ければいずれ実現するということにつながる。
一般的に因果応報と言われてみたり、あの世と言われるところには、ランクがあってこの世でひどいことをするとランク最下層の地獄に落ちる、とも言われたりするが、なんだかそれとも似ているなあ、と思ったりもする。
意識や感情というものでさえ、エネルギーであってどこかに蓄積されながら循環する。
ここである先輩から、自分と人との境がなくなるんだ、と言われたことを思い出した。
言われた時にそんなのは自分にはできないと思ったし、今でもその感覚はよくわかっていないが、理屈上は量子力学が何となくこれを裏付けているような気がした。
利己的と利他的について
ここでまた思い出したことがある。
とかく私なんかは、あの人は自分勝手だとか、あの人は人のために働いていて素晴らしいなどと偉そうに評論しながら、日々の生活を送ってたりする。
自分に対してはこの身勝手(=利己的)な性格はいつになったら直るんだろうか?などとも。
利己的な性格の人と利他的な性格の人。
私は利己的な性格で生まれ、変わらずに死んでいくんだろうか?
ん?そもそも利己的な性格、利他的な性格、というのは正しい表現なのか?
そんなどちらかの人なんかがいるもんなのか?
まあ、これについてはおいておいて、人間を生物としてみると、一人では生きていけないからお互いに協力するように進化してきたんだ。
困っている人を助けようとすることはDNAに刻まれてきたことで、その方が生存確率が高くなるからに違いない。
結局、困っている人をかわいそうだと思い、人を助ける、という行動の究極の目的は、自分が生きるためなのではないのか?
これは利他的行動の目的が利己的なものである、ということを意味しているのだ。
この利他的な行動によって自分(あるいは自分の子供)の生存確率が高くなる、という風に頭が意識して打算でもってやってしまえばまさに利己的であって、一方では、DNAに刻まれているのだがそのことも知らずに無意識でやっていれば利他的のように感じるのだが・・・。
う-ん、どうも釈然としない。
考えてみれば、利他的行動の原動力が、因果応報を信じているから、だろうが、地獄に落ちないようにするため、だろうが、ゼロポイントフィールドにエネルギーが蓄積されて戻ってくるから、だろうが、すべて利己的だと言われてもしかたがない。
利他的だと自分が思った人からは、「人が喜ぶことが嬉しい」というような言葉をよく聞くことがある。
嬉しいのはその人の幸せであって、それを求めるならば、利己的だと言えるのではないか!
・・・・・
まあ、私という人間は、どこまでひねくれているんだろうか?
これを量子力学から眺めてみると、宇宙が一体ならば利己的も利他的もない。
そこがゴールなのかもしれない。
しかし、そうはまだ思えない自分は利己的と利他的についてよくわからないまま。
そして、たぶん利己的と利他的について私の頭では、到底決着がつかないことをこれをもって確信した。
そして、もうどうでもよくなった。
利己的と利他的という二項対立だって、人間が創造した概念なだけなんだ、と何とか自分を納得させてみる。
更に、「どうでもよくなった」まで行きつけばそれはゴールなのだ、と更に強がってみるのだ。
ウェイブマン参上!?
スピリチュアルという言葉は、非常に怪しく、時には危険に感じるのだが、スピリチュアルという言葉を調べると、「目に見えない世界」のことらしい。
今回の量子力学の話は、スピリチュアルの領域に入っていると言えるのかもしれない。
カミオカンデ等で素粒子が見えると確かにそこまでは科学(見える世界)だ。
素粒子によって引き寄せが起こったり、願望が実現したりすることは理屈ではわからなくもないのだが、そこまでを顕微鏡で視認するまでにならないと、スピリチュアルの領域を出ることはできないだろう。
しかし、それでもこの量子力学という科学がスピリチュアルの領域を減らしていくのではないか?という期待はある。
そんな中で、この見えない話をどこまで信じたらいいのだろうか?
たぶん、私が生きている間に視認するところまでは行かないだろうから、今生は諦めるべきか?それとも見切りで信じるべきなのか?
もし信じるとすると、どうも厄介なことになりそうだ。
今まで思っていた社会人としての責務は、犯罪を犯さない、税金を払う、犯罪でないにしても迷惑をかけないようにマナーを守る、こと。
それさえしていれば、あとは何をしても自由だ!
そして、どんなことを思っていても顔や態度に出さなければ問題なし、としていたのだが。
それだけに収まらず、見えない世界での自分からほとばしるフォトンや波動にも責任をもたないとならないということになってしまう。
私なんかにはとても担えないし、息苦しく思える・・・。
では贈与についてはどうだろうか?
物理的に見える贈与以外に、見えないエネルギーの贈与があるということになる。
物理的な贈与に縛られなくていいから、こちらはむしろ気楽になる。
思いを馳せればいいし、相手のために祈り、願えばいい。
そんな損得をウダウダと考えながらも、この本の私の読後感は、まるでヒーローものを上映した映画館から出てきた時のようだった。
自分がヒーローの力を持ったかような感じになったのだ。
私は波動なのであ~る! ※みんなそうなのだけど。笑。
そう、私はウェイブマンだ!
ウルトラマンや仮面ライダーのようなヒーローだ。
カメハメハーぁぁぁっ!!!
DRAGON BALLの孫悟空には到底及ぶまいが、私からの波紋はどこまでも広がって世の中に力を与えるのだ。
その波は波長が小さければ、別の波に飲み込まれることも承知の上だ。
このヒーローの力を借りて、とりあえず自分が波動であることだけはイメージしてみよう。
私の中にヒーローが残像として保持される期間は、残念ながら今までの経験からなかなかの短さなのだけれど・・・。
せめてその期間だけは、お金や物理的なこと以外の意識・感情から生まれる波動にも責任を持とうと思う。
ウェイブヒーローならば、自分の心を調律して良い波を発信しないとならない。
良い波動は、自分の中から発生するものだから、自分の中で気持ち良さを感じ、愛を感じ、信頼を感じ、自信を感じ、良いフォトンを多く出すことがスタートなのだ、と思った。
しばらくは、勢いでウェイブマンを演じてみよう!
よし!今日はまず、美味しいものを食べよう!
何とも頼りないヒーローで申し訳ない。
最後に、今回もあるテーマに向けて同時期にいくつかの書籍が集まってきたのだが・・・。
これは、ただの偶然かもしれない。
あるいは、自分が意識している=アンテナを張っているから情報を見つけられるという、カラーバス効果と説明できるのかもしれない。
いや違う、量子力学的に振動の共鳴が起こったからなのだ!
今回らしい言葉で締めて終わることにしよう。
Photo by Mike Lewinski on Unsplash
【著者プロフィール】
RYO SASAKI
家の観葉植物に毎日「ありがとう!」と言い続けると生き生きと育ち、「馬鹿やろう!」と言い続けたら枯れてしまった、という話を聞いたことがあります。
こういうことなのでしょうかね。
工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。
現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。
ブログ「日々是湧日」
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