RYO SASAKI

やっぱり成り行きだけではうまくいかない。自分にも環境にも抗って生きなければならないのだ。

タナカ シンゴ

数年前から「自分の持って生まれた資質を大切にしよう」という思いが私の中にある。

三つ子の魂百まで、と言われるように、もって生まれたものに抗うことなく自分らしく生きるのが自分の人生なのだと思うようになった。

なぜそう思うようになったかというと、私の生まれた時代は弱みを克服して完璧な人間になることを強要されることが当たり前だったのだが、強要されて自分ではない何者かになろうと頑張ることでストレスが溜まり、体が蝕ばまれたという話をだんだんと見聞きするになったからだ。

王家の継承者として生まれてその才能には恵まれなかった子供の苦しみや医者一家に生まれた子供の苦しみなど、わかりやすいものにも触れる機会があった。

自分の弱みは知るだけで無理に直さなくてもいい、と思っているところもある。

ところが・・・である。

自分の弱みを克服できないだろうか?という思いが、ぬぐい切れずに私の中にあることを最近確認してしまった。

私の家系に共通していている弱みに「落ち着きのなさ」があるのだが、「呼吸」を意識したことがキッカケで、呼吸法によってこの「落ち着きのなさ」を克服できるのではないか?

という思いが生まれてしまったのだ。

今回は二枚舌でバツが悪いのだが、それでも「呼吸法」によって弱みの克服を試みようとしたこと、や、そこから発見した意外なこと、などについて書いていきたいと思う。

やっと気づいた呼吸の癖

私の子供の頃に、父親の呼吸にある種の違和感を持っていた。

父は何かの作業の一区切りのところで、大きく「ハーッ」と息をつくことが頻繁だった。

時にはテレビを見ている途中で息をつくこともあった。

これは、息を止めていていた状態から呼吸が再開されるシグナルで、父は何かの作業をする時に息を止めていたのだ。

テレビを見る時にも、ある瞬間息を止めていた。

固唾を飲んでいたとはこのことなのだ。

遺伝なのだろうか、私も同じような状態にあることを最近になって初めて自覚するようになった。

集中や緊張状態の時に息を止めることは誰にでもあることのようなのだが、最近ではスクリーン無呼吸症候群電子メール無呼吸症候群などとして問題視され始めている。

無呼吸症候群はどれほどよくないことなのだろうか?

呼吸法でこの無呼吸症候群が解消されるだろうか?

などという疑問が出てきたので呼吸法について調べてみることにした。

呼吸法について

まず驚いたのは、呼吸法の本が最近かなり多く出版されているということだった。

多くの本が共通して、現代人の自律神経の乱れを改善するために呼吸法が必要であると言っている。

これは世相を反映しているのだろうか。

自律神経は、緊張・集中・戦うモードの交感神経と癒しやメンテナンスモードの副交感神経のバランスで成り立っているのだが、現代人はその環境から交感神経が働いている時間が長くなり、体調に支障が出ていると言われている。

スピードが早くなり、情報、刺激、それによる興奮が多い現代は、交感神経が優位になりやすいのだ。

この現代の環境の問題は、

・1日1分の呼吸法

に詳しく書かれている。

原始時代、狩りの時には獲物との戦いのために交感神経が働くのだが、獲物の方の体力に限界があるから交感神経優位の時間は限られていて、それが終われば安息時間となり副交感神経優位に戻せていた。

これに対して現代は情報量が多くて、その情報に便利にいつでも触れることができるようになった。

そのことが緊張と集中がどこまでも続く環境になってしまった。

現代人は交感神経優位の時間が多い状態になっている。

この対比が非常にわかりやすい。

交感神経優位の時は呼吸が浅くなるから、呼吸法によって副交感神経優位に切り替えようというわけだ。

浅い呼吸ばかりだと酸素不足になり疲れやすくもなるし、人間は副交感神経が優位な状態で免疫機能が高まるようにできているから、病気にかからないようにするために交感神経優位に傾いては危険だということになる。

呼吸法を改善することは、自分の力だけで副交感神経優位に戻すことができる唯一の方法だともいう。

疲れないためにも病気にかかりにくくするためにも、特に現代は呼吸法が大切だということなのだ。

姿勢について

こちらの二冊には姿勢について詳しく書いていて、呼吸法と姿勢がセットである、というところまで言い切っている。

姿勢の大切さを身に染みている私にとってこれには驚きがあって、そこに新たな発見があった。

・世界の最新医学が証明した究極の疲れない呼吸法

・1日3分で医者いらず こころとからだを整える「呼吸法」

ニュートラルな姿勢、これは本来の自然で力が入っていない姿勢のことで、いい呼吸にはこのニュートラルな姿勢が必要であるという。

ニュートラルな姿勢でないと、体がどこかでバランスをとろうとして必ずどこかに緊張が走ってしまう。

この緊張によって、十分な呼吸ができないのだ。

例えば、体の緊張や硬化によって呼吸に大切な横隔膜が上下に動かないということがわかりやすい例である。

また、胸だけしか使わないで呼吸をすると首や肩が凝り、逆に姿勢が悪くなることもある。

つまり、呼吸法がうまくいくには緊張がない体が必要であって、よくない呼吸法は緊張や体の歪みを助長するものである。

呼吸法と姿勢(弛緩)の両方が一対となって効果がしっかり出るということのようなのだ。

正しい姿勢をとる方法として、1日3分で医者いらず こころとからだを整える「呼吸法」に、あごをひく、とあった。

あごをひくという表現はよく聞くフレーズだがどうも間違って捉えられていることが多いようで、本当は頭全体を地面に並行に後ろに引くというイメージらしい。

出典:知らなかった人続出!写真を撮る際の「アゴを引く」キレイに写る正しい方法が話題に

実際に、頭全体を後ろに引いて胸を前に出す姿勢をしてみると、頭が背骨にしっかりと乗っていることが感じられて、非常に安定した歩行になることが確認できた。

骨盤立位の姿勢が大切だと散々言ってきた私なのだが、この頭のずれには意識が行かなかった。

言われてみれば、なるほどと思えるのだが、そのわずかなことに気づけなかった。

ここなんだ、正しい頭の位置とは!

このほんのわずかなことで体感が大きく変わり、目から鱗だった。

これは骨格が歪んでしまって久しい私だからこそ、感じたことかもしれない。

最近スマホの影響でストレートネックの人が増えていることは知っていたのだが、以下のストレートネックのセルフチェックでも私はストレートネックに該当しなかった。

出典:ストレートネック

だから、ストレートネックはスマホ世代の若者のものだと何となく思い込んでいた。

ところが、あごをひく姿勢を体感したことで、最近スマホを持ち始めたおじさんにもストレートネックが着実に忍び寄っていると認識せざるをえなくなった。

確かに、スマホに限らず、パソコン、テレビのディスプレイの凝視や読書など、頭が前に出っぱるタイミングは日常生活の中にたくさんあるということは、今となっては当たり前に思える。

無呼吸を改善させる

呼吸法に戻って、無呼吸症候群は体によくないということはわかったのだが、では姿勢と呼吸法によって私の無呼吸症候群を改善できるのだろうか?

残念ながら、いろいろな本に紹介されている呼吸法の中に、無呼吸症候群の改善について書いているものがなくて無呼吸症候群に対しての特攻法はなさそうだ、ということがわかった。

例えば、本に書いてあるように毎日数分だけ意識して呼吸法を実践したとしよう。

そのことの効果がないわけではないのだろうが、問題になっているのは無意識に行っている普段の呼吸であって、これは意識した呼吸とは別に考えないといけないようだ。

通常の無意識の呼吸がどんな精神状態から起こっているかを考えないといけない。

そこを考えてみると呼吸のストップは、作業や取り組みに対してMAX集中して真面目に向き合うことによって起こっているのではないだろうか?

そしてまた、作業や取り組みを素早く一気にやって片づけてしまおうという焦りが無呼吸を産んでいるのではないだろうか?

そんなところに思い至った。

私には、何事に対してももう少しリラックスして70%くらいの力で気軽に取り組むという意識変革が必要なのではないだろうか?という思いが続いて浮んだ。

これはあくまでも私の仮説なのだが、自分との長い付き合いからなぜか自信がある。

ということで、まずは自分の呼吸のストップに気づいて、力を抜いて呼吸を続けるように自分を習慣づけていきたい、というのが私がとりあえず決めたことになる。

意識した呼吸法を実践したらならば呼吸数は減ってそれが精神を落ち着かせることにつながるのだと思うのだが、それよりも、普段の無呼吸を減らすことの方が、何事にも全力で取り組みあくせくして落ち着かない私の性格の根本的な改善にもつながるのではないかと期待している。

自分にも環境にも抗う

無呼吸のタイミングを減らして、通常呼吸のままの時間を増やしていくという習慣が、私の落ち着かない三つ子の魂にどこまで抗えるのかわからない。

むしろ、無呼吸という自分の癖に抗うことのストレスの方が大きいのかもしれない。

それでも、私の弱みを克服したい自分がこの呼吸のことを知ってしまったからには、癖をもつ自分に抗わざるをえない。

呼吸も無意識でやっていてそれが自然だから、それでいいではないか?

呼吸についてこれまで考えたこともなかったのだが、どうもそうはいかないようになってしまった。

そしてまた、この社会には緊張を高める環境、骨格を歪ませる環境が常に立ちはだかっている。

これからの社会も豊かで便利な環境によって、人は昔よりも肌艶よく若々しく寿命が伸びるだろうけれど、その便利になる変化=今回でいう呼吸や姿勢の変化=によって不健康に傾く逆の面も出てくるのだろう。

自分の弱みを克服せずにそのままに成り行きで強みを活かして生きていければそれに越したことはないし、環境を受け入れて成り行きで生きていけばそれはそれで楽でいいのだが、ここまでのことからどうもそれだけではうまくいかないように感じ始めてしまった。

自分が何歳まで生きるのかはわからないのだが、人生100年時代は成り行きだけでは間に合わない時代になったと言わざるをえない。

私は、「自分は大丈夫だ」といったような自信を持てはしないし、楽観的ではいられない。

また、不健康になっていく自分を静かに受け入れる覚悟がまだない。

ならば、やっぱり成り行きで生きるわけにはいかない。

つまり私は、自分にもそして環境にも抗って生きなければならないのだ。

<その他参考図書>

・すべての不調は呼吸が原因

・丹田発声・呼吸法で医者要らず

・入門! 「全集中」の呼吸法 – 自宅ですぐ始められる最強エクササイズ

Photo by Надя Кисільова on Unsplash

【著者プロフィール】

RYO SASAKI

自分が無呼吸症候群だとは、今の今まで気づきませんでした。

自分が揺らぐ中にあって、抗って生きるというささやかな決意表明でした。

工学部を卒業後、広告関連企業(2社)に29年在籍。 法人顧客を対象にした事業にて、新規事業の立ち上げから事業の撤退を多数経験する。

現在は自営業の他、NPO法人の運営サポートなどを行っている。

ブログ「日々是湧日」

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