田中 新吾

「比較する」が持って生まれた機能で便利なものならば、もっと上手く使おうではないか。

以前「考えすぎない人」の考え方が示されている、というので面白そうだと思い手にとった本がある。

<最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方>

これを最近パラパラとまた読み直していた。

すると以前はひっかからなかったところが私の目に飛び込んできた。

なぜヒトは比較する動物になったのか?」という項目だ。

言わずもがな、私たちは常日頃何かと「比較」を行いながら過ごしている。

「あっちの道を行くよりもこっちの道を行った方が早い」

「AというスーパーよりもBというスーパーで買う方が今はお得」

「あの時のキツさを思えば今のキツさは大したことがない」

「前作よりも今作の方が面白い」

「あの人よりもこの人の方が髪が茶色」

「オフィスワークよりもテレワークの方が自分には向いている」

本書によれば、このように私たちがごく自然に比較を行うのは、人間という生き物はめんどうくさがりで、よく言えば効率主義なので、より少ないエネルギーで判断ができて便利だから。

もっとシンプルに言えば、人間は生きやすいから「比較する」という機能を身に付けた。

ということだった。

ドイツの心理学者トマス・ムスワイラー氏は以下のように述べている。

たとえば、自分の身体能力がどれくらいか知りたければ、スポーツテストの結果を見たり、走ったときのタイムを比べたりすればわかります。

学力ならばテストのスコアや順位を見ればすぐですよね。

しかし、これらを比較なしに割り出そうとすると、膨大な情報を処理しないとなりません。

というかそもそも、客観的な指標を割り出すのは非常に難しいと思います。

人間というのは基本めんどうくさがりで、よく言えば効率主義なので、より省エネで判断するために社会的比較を行うということです。

そう考えると、比べることは人間が身につけてきた社会を生きるための重要な機能なのです。

この部分、前に目を通した時は「ふうん」と思う程度だったのだが、今回読み直してこの内容が妙に私に引っかかってきたのだ。

そして改めて読んだことで「比較する」ことが「生きるために便利だから備わった機能」であることがだいぶ腹落ちした。

だが実際のところは、この機能を使っていて感じるのは「便利」というよりも「不便」の方が多いのではないだろうか。

例えば、

「あの人に比べたら私はカッコよくない・可愛くない」

「あの人に比べたら私はフォロワーが少ない」

「あの人のやっていることと比べたら私がやっていることなんて大したことがない」

誤解を恐れずに言えば、私たちの悩みの多くはほとんどが「人との比較」の中から生まれる。

そして「比較する」ことに対して、プラスよりもマイナスのイメージを強く持つ。

少なくとも私に関してはそう考えていた。

しかし、この本に再び目を通したことをきっかけにして「比較するという機能を上手く使えていなかったから不便を感じていたのであって、比較することは本当は便利なもの」というように、比較に対しての解釈が大きくプラスに転じたのである。

どうやら私は、比較という機能の使い方をよく分かっていなかったようだ。

話は変わるが、この件を端にして一つ思い出したエピソードがある。

昔、ある男性から「自分が変わったキッカケ」を教えてもらうことがあった。

その人を仮にもAさんと呼ぼう。

私が話を聴いた時、Aさんの年齢はたしか40代半ばだった。

Aさんとたしかこんなやりとりをした。

Aさん 「今では自分にも自信が持てるようになって情報発信をするようになったんですが、30代の頃はそんなタイプじゃなかったんですよね」

私「え、そうなんですか??そんな感じは全然しないというかむしろ元々得意だったように思います」

Aさん「いや得意なんてものじゃありませんでしたし、人と比較してばかりで自分はダメだなと思うばかりでしたよ。」

私「差し支えなければなのですが、なんでそんな人が変わったような劇的な変化があったのでしょうか?」

Aさん「思うにですね、今の自分でも人の役に立てることが自覚できたからかなと思います。」

私「役に立てることが自覚できた、ですか?もう少し詳しく教えてもらえませんか?」

Aさん「私、数年前からコーチ(コーチングをする人」をつけてまして、コーチとの会話の中から自分にもいいところがあったり、それで相手の役に立てることがわかってきまして、そうやって今の自分ことがよく分かってきたら、なんか急に悩んだりすることがなくなったんですよね」

私「なるほど・・・」

Aさん「はい、人と比較して相手を妬んだりするようなこともなくなり、その人をむしろリスペクトできるようになったというか・・・」

私「それは本当に素晴らしい変化ですね。私もコーチつけようかな(笑)」

Aさん「コーチつけるのオススメですよ」

私がAさんからこの話を聴いた当時は、

「自分のことを客観的に理解するって大事なことなんだな・・・」

ということくらいまでしか考えが及んでいなかった。

しかし、久々に読んだ「考えない人の〜」にあった比較の話をふまえてあらためてこの話を捉え直した時に、私の中に新しい解釈が生まれたのである。

それが、

・人間が生き抜くために持って生まれた比較という機能は、比較の元となる対象のことをよく理解した状態であればあるほど上手く機能し、便利を感じる

・逆に、比較の元となる対象の理解が不十分であればあるほど比較は上手く機能せず、不便さを感じる。

といったものだ。

何にしてもそうだが比較をする場合には、必ず比較をするための「元(もと)」が存在する。

Aさんの場合の比較の元はAさんご自身である。

思うに、Aさんは「自分」という比較の元について、コーチングを通して理解が深まっていったことで、他者と比較をして悩んだり落ち込んだりというような不便を感じることがなくなったのだろう。

むしろ他者との比較を通して得た情報を、自分をより成長させるためのポジティブな要素として捉えられるように変わられた。

逆に、コーチングを受けず自分に対しての理解が不十分だった頃のAさんにとって比較というのは自分をただただ苦しめるものでしかなかった。

Aさんの話から、私たちが持つ「比較する」という機能に対して、このように解釈をすると私は非常に納得がいったのである。

仕事で、5C分析やSWOT分析に代表されるフレームワークを使いながら事業戦略を立てたりすることがあるのだが、それぞれの情報が不十分で理解が弱いと良い比較分析ができない。

このような経験とも結びついた。

冒頭のとおり、私たちは自分たちが楽に、省エネに、判断をするために「比較する」という機能を持ってこの世に生まれてくる。

そしてこの機能は私たちの意思とは無関係に勝手に動き出す。

そんな「比較する」という機能について、私たちは使い方をしっかり教わることがないまま、人と比較をしてよく悩む。

本書にはSNSを見て人と比較をし過ぎて疲れたら、一旦その場から離れて回復に努めること、といったアドバイスが書かれている。

これも確かに一理ある。

だが結局は一時的なその場しのぎでしかなく、比較するという機能そのものの使い方を示しているわけではない。

今の私が思うに、比較するという機能を上手く使うためには、比較の元となるものの理解を深めて認めること、これに尽きる。

他者に対しての元は「自分」。

他社に対しての元は「自社」。

という具合だ。

冷静に考えて、生きるために便利だからといって持って生まれたはずの機能の使い方を誤って、不便を感じるというのはなんとも滑稽なことだと私は思う。

「比較する」が持って生まれた機能で便利なものならば、もっと上手く使おうではないか。

今回書きたいことはこんなところである。

Photo by Amy Hirschi on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

この間乗ったローカル電車が、倒木にぶつかり、鹿にもぶつかり、予定よりも30分以上到着が遅れました。

なかなかできない経験をさせてもらいました。倒木はともかく鹿、大丈夫だったかな・・・

幅を愉しむWebメディアRANGER(http://ranger.blog)の管理人・ブロガー・複業実践者。長年のマーケティングの経験があり、商品やサービスとお客さんの出会いを演出するのが得意です。

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