田中 新吾

「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は重要な学びだった。

私がマーケティング会社にいた頃に学んだことの中で「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は重要な学びだった。

言うまでもなく、コミュニケーションが成立するには「送り手」の他に、それを受け取る「受け手」の存在が欠かせない。

しかし、ただ受け手がいるだけでは成立するわけもなく、送り手が送ったものを受け手に受け取ってもらう必要がある。

そうして初めて成立するのがコミュニケーションというものだ。

コミュニケーションとはキャッチボールのようなもの」と喩える人が少なくないのはこうしたことからだろう。

さらに、コミュニケーションの成立とは「伝える」ではなく「伝わる」ことだ、と説明する人も多い。

「伝える」という概念には送り手しか存在しない。

伝えるのは誰にでも、例えば、小さい子供にもできることで、話せばいいし、書けばいいし、見せればいい。

つまり「伝える」というのは極めてイージーなことなのだ。

しかし、言葉としては「え」が「わ」に変わっただけだが「伝わる」となるとその難易度は爆発的に上がる。

なぜなら、話したとしても、書いたとしても、見せたとしても、それが「伝わる」かどうかは全て受け手次第だからだ。

さらに「伝わる」ことがなければ他者は絶対に動くことはない。

これだからコミュニーションは難しいのだ。

送り手がいくら頑張って話しても、書いても、見せても、受け手がそれを受け取ることがなければディスコミュニケーションとなってしまう。

「コミュ障」と呼ばれる人が生まれてしまうのもこういう難しさが大きく影響していると言っていいだろう。

どんなにいい物語を書いても、どんなにいい資料を準備しても、どんなに感動的な広告を作っても、受け取ってもらえなければ、それはただの戯言。

誠に厳しいが、これがこの世の真実だ。

私はマーケティング会社での実務を通して、このようなことを嫌というほど叩き込まれ「コミュニケーションの主導権は受け手にある」が、コミュニケーションの要諦として身に染み付いていった。

神経細胞という「ミクロな世界」でも、情報の「受け手」の方に主導権がある

話は変わるが「海馬の神経細胞」の実験について大変興味深い結果がある。

「A」と「B」という神経細胞があった時。

これらが繋がってペアを作る場合、Aから神経道路を伸ばし、Bがそれを受け入れて繋がる。

これはつまり、Aが情報の発信側で、Bが受け手という関係性だ。

そこに「C」という別の細胞を置いてみたらどうなったか?

Aは元々Bと結びつくため、Cを近くに置いたとしてもCとは全く結びつくことはなかったそうだ。

こうなるのは神経細胞は「常に正しい相手をきちんと探し出せる」という性質があるためだという。

お次に、まったく同じBの細胞があった場合にどうなるのか?という実験が行われた。

二つ目のBというのは要は「Bのクローン」のようなものである。

それを置いてみた結果はどうなったか?

なんとAはその二つのBに等しく結びついたというのだ。

この現象を「A男さん」と「B子さん」として説明すれば、A男くんは二人のB子さんに手を出した、「二股掛け」をした、ということになるだろう。

そして、A男くんとB子さんを「あらかじめつなげて夫婦にしておいて」まだ誰とも繋がっていない「独身のB子さん」をそこに近づけたらどうなるか?という実験も行われた。

するとA男くんはもう一つのB子さんにも手を出そうとしたそうだ。

A男くんは今の妻もキープしつつ新しいB子さんとも関係を持とうとした。

つまり、A男くんは浮気性と解釈ができる。

今度は逆に、A男くんとB子さんの夫婦関係に、誰とも組んでいない「独身のA男くん」を近づけると今度はどうなるかという実験が行われた。

するとどうなったか?

なんと独身のA男くんは、B子さんに手を出すことができない。

A男くんは既婚者のB子さんをモノにできない、ということが分かったそうだ。

これらの実験から言えるのは「神経細胞のつながる鍵を握っているのはBという神経細胞」であるということ。

Aが情報の送り手。

Bが情報の受け手。

こういう組み合わせでは、情報の受け手の方が圧倒的に重要でイニシアチブを持っている。

神経細胞というミクロな世界でも「情報の受け手の方に主導権がある」というのだ。

<参考文献>

コミュニケーションの主導権は「受け手」にあるの実感

思うに「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は誰もが実感しているはずだ。

思い返してみて欲しい。

昔小学生の頃、友達に言われたことがずっと心に残っていることはないだろうか?

その友達はまさかそんなにあなたの心に残るとは思ってもいなかっただろう。

社会人になってから、仕事が大変でキツかった時、先輩に言ってもらったことがずっと心に残っていることはないだろうか?

それにしたって、先輩はそこまであなたの心に残るとは思ってもいなかっただろう。

かくいう私にはもちろんある。

色々と思い当たるところはあるが中から一つエピソードをご紹介したい。

あれは30代に入ったばかりの頃だったと思う。

当時私はプロダクトデザイナーの友人に誘われて、都合がつく週末に「陶芸」をしに行っていた。

「通う」というほどでもなく行ける時に行っていたため「趣味だった」とは決して言えるようなものではない。

しかし、作りたいものをイメージし、土を練り、土を成形し、というプロセスは、子供の頃に「最強の砂団子作ってみせる!」と息巻いていた過去の自分の姿とリンクして非常に楽しいものだった。

そして同じ時を一緒に過ごす陶芸の先生や友人達との触れ合いが、当時の私にとってはとてつもなく価値のあるものだった。

この活動を通して知り合ったデザイナーの女の子(Tさん)が、何気なしにかけてくれた言葉が今でも心によく残っている。

それは陶芸のプロセスの「本焼き」と言われる場面で、登窯に夜通し皆で薪を焼べていた時だった。

若干うろ覚えだが確かこんなやりとりをした。

Tさん「田中さんて、いい声してますよね。」

私「え、声ですか?そうですか?それは初めて言われたかもしれないです・・・」

Tさん「本当ですか?他の人も多分思っていると思いますよ〜」

私「自分ではあんまり自分の声が分からないというか、自分はあんまり好きではないんだけれども・・・」

Tさん「いやいや本当に。話も結構面白いし、ラジオ番組とかやれたらいいのにと思いますよ」

私「ラジオか、、確かに聴くのは好きですが。やるとなるとまた別では?」

Tさん「まあとりあえず、いい声しているってことでいいじゃないですか〜」

私「あ、ありがとうございます。面と向かって言われるとめっちゃ恥ずかしいですが・・・」

薪を焼べている途中、眠い目を擦りながらも私はTさんとこんなやりとりをさせてもらった。

そして、Tさんが私に向かって放った「いい声してますよね」の一連の話が、その時を境に今もなお心にずっと残っているのだ。

思うに、Tさんは自分の言った言葉がまさかここまで私の心に残るとは思ってもいなかったはずだろう。

会話の流れの中で何気なしに思っていることをただ言っただけ。

しかし、私にとってはTさんのそれがとても価値のあることに今なっている。

このように、結局コミュニケーションというのは「誰が何を言ったか」ではなく「相手がどう受け取ったか」がすべて。

送り手から送られてくる情報の価値決めは、受け取る相手本人にすべての主導権が委ねられているのだ。

Tさんとの件が省みるための例示として適切かどうかというのは分からない。

だが思い返せば誰の中にも「コミュニケーションの主導権は受け手にある」の実感がある、と私は思うのだ。

「送り手」はどのようなことに気を付ければいいのか?

では「コミュニケーションの主導権は受け手にある」をふまえたうえで、「送り手」はどのようなことに気を付けたらいいのだろうか?

言い換えれば、どうすれば「伝える」ではなく「伝わる」を実現することができるのか?という話である。

私が思うにそのポイントは「相手を受け取る気にさせる」ことだ。

「受け取る気にさせる」というのは、より詳しく言えば「あなたの情報を受け取ってもいい・あなたの情報を受け取りたい」という気持ちに相手をさせるということである。

具体的には、

(1)雑な言葉は使わない

(2)日常的に信頼関係を作る

(3)相手が聞きたいことを言う(送る)

などがあげられる。

個人的な経験則からになるが、これらの実践はコミュニケーション相手を受け取る気にさせやすい。

例えば(3)について補足すれば、人間は自分にとってメリットのあることには耳を傾けやすい生き物だ。

だからこそ、Tさんがかけてくれた言葉を私はすんなり受け取ることができたということである。

これがもしも「田中さんの声って気持ち悪いですよね」と言われていたらどうだっただろうか?

即座に耳を塞ぎそれを全力で忘れるように努めていたに違いない。

そして、より重要度の高いものとして認識しているのが、

(4)相手との「共通項」を知ること

である。

例えば、「フォートナイト」というオンラインゲームのプレイヤーからすれば「ビクロイ」や「アンチ」という言葉は「伝わる」ことだろう。

だが「フォートナイト」のプレイヤーでない人には何を言っているかさっぱり分からず「伝わる」わけも無い。

こう言うと、極めて基本的なことだと思う人もいるだろう。

しかし私が思うに、相手との間に共通項が有るか無いかはコミュニケーションにおいて恐ろしいほどに重大だ。

なぜ「共通言語」と言わず「共通項」なのか?

これは言語にかぎらず「共通映像」や「共通体験」などによっても「伝わる」が生まれるからである。

以前、スタジオジブリ プロデューサーの石井朋彦さんがオンラインイベントで「いいクリエイターの定義は”昔のことを良く覚えていること”」と述べていた。

これは昔のことをよく覚えていると「こういう経験を持っている人がいるだろう」という仮説から、共通映像や共通経験を企画の軸にして「懐かしい」といったような共感を生み出すことができるから、ということだった。

そして思うに、コミュニケーションをする相手との間に共通項が存在すればするほど、その共通項にアクセスすることで「伝わる」は生み出しやすくなる。

私の観測の範囲では、(1)(2)は人間関係の大前提であり、(3)と(4)は「相手を受け取る気にさせる」上でかなりの部分で有効だ。

ところが実はこれら以上にさらに大切なことがある。

一体何か?

それは「相手のことをよく知る」ことである。

「雑な言葉を使わない」にしても、何を雑だと感じるかは「相手」によって異なる。

信頼関係というのは、「相手」の要求や要望に応えた時にしか積み上がらない。

相手」が聞きたいことは何なのか?を知らなければ、相手が聞きたいことを言うことはできない。

相手」とこちらの間の何が共通項なのか?を知らないことには、共通項を軸にしたコミュニケーションを取ることもできない。

このように(1)〜(4)は「相手のことをよく知る」があってはじめて有効となるものなのだ。

昔、私が所属していたマーケティング会社でお世話になったコンサルタントの方は、まず「顧客のことをよく知る」ことに最大限にパワーをかけていた。

最初その姿勢を見た私は「なぜそうするのか?」がよくわからなかった。

しかし、今となれば納得がいっている。

思うに、コミュニケーションの本質を掴んだ人が選択する生き様というのは、皆「相手のことをよく知る」ことなのだ。

Photo by Ingrid Vasconcelos on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

コミュニケーションが難しいと言われるのは「実践の中からでしか分からないことばかり」だからなんだと思ってます。

プロジェクトデザイナー/ブロガー/ポッドキャスター。プロジェクトネーミングを起点にプロジェクトチームの運営をするのが得意です。元マーケティング支援会社。複業実践中。詳しいプロフィールはHTML名刺をご覧ください。

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