田中 新吾

あらかじめ話したいことを話しておくからこそ、目の前の相手の話を真剣に聞くことができる。

タナカ シンゴ

『自分が話す時間を最小限に、相手の話を聞く時間を最大限に。』

人と出会い、話をする機会に直面した時のスタンスとして、これを確立してから早いものでもう3年以上になった。

※後述しますがこの当時は「聞く」ことよりも「聴く」ことの方が難しい行為だと思っていました。

現時点では、この当時から比べると「リアル」の出会い以上に「オンライン」での出会いが増えた。

が、このスタンスは今もなお変わらない。

むしろ確立した当時よりも一層意識しているくらいである。

そして、このスタンスを実現するために日頃から意識して行ってきていることが「あらかじめ話したいことを話しておく」というもの。

具体的には「話題の提供(言い換えれば自分が話したいこと)」をTwitterやブログ、現在では音声メディアなども含めてあらかじめ話しておく・発信しておくのだ。

当然、話したこと・発信したことが多くの人に受容されるわけではないし、一切反応してもらえないことだってままある。

インターネット上にこれだけ情報やコンテンツが溢れていれば見向きもされない時の方が多いと考えた方が無難だ。

しかし、実感としては発信したことの幾つかのうち一つ二つでも反応が得られた時、私の「あらかじめ話したいことを話しておきたい」は満たされる。

これを淡々とやってきていると言えばいいだろうか。

今日まで淡々と続けることができていて、これから先もまた引き続きやっていこうと思えるのはこの取り組みに対してメリットを感じていることに他ならない。

明らかに20代の頃と比べて目の前の相手の話を真剣に聞けるように自分が変わったことを実感している。

これは月日の経過と共に、経験を重ねたことがこの変化に影響しているようにも思う一方で、感覚的にはあらかじめ話したいことを話し続けてきたことの影響が個人的には大きいと思えてならない(そう思いたいだけかもしれない)。

それゆえここ数年の間は、あらかじめ話したいことを話しておくからこそ、目の前の相手の話を真剣に聞くことができる。という考え方を持ちながら行動してきた。

話を聞けないときには、あなた自身が誰かに話を聞いてもらう必要がある

そんな私は最近になって以上のような自分の意を見事に食った本に出会った。

「居るのはつらいよ」や「心はどこへ消えた?」などの著作で知られる、臨床心理学者東畑開人さんの「聞く技術 聞いてもらう技術」である。

早速だが、意を完全に捉えた箇所は以下のとおり。

私が今まで考えながら、試行錯誤してきたことが、シンプルに、わかりやすく、見事に言い表されておりこの箇所を見つけた時は本当に感動せずにはいられなかった。

「分かりみが深すぎる」というツイートはその自分の感動を端的に表したものである。

この他の箇所も自然と首を縦に振ってしまうところばかりで、読み終えるまでにどれだけメモを取ったかは数えきれない。

本のタイトルのとおり「聞く技術」と「聞いてもらう技術」が「小手先編」として紹介されていたりするのだが、私が心から素晴らしいと感じたのは、本書の「問い」の設定。

そして、その問いに対する東畑さんの「考え方」である。

ここで少し紹介してみたい。

まず前提となる「問い」の方から。

本書の問いを掻い摘んでまとめると、

・「聴く」は語られていることの裏にある気持ちに触れること。「聞く」は語られている言葉通りに受け止めること。

・聞くは素人でもできる当たり前のことで、聴くこそが専門的で高度と思われているが、実は語られている言葉通りに受け止める「聞く」の方がずっと難しい。

・では、私たちはどうしたら「聞く」ことができるのか?

といったものになるだろう。

まずこの「問い」に衝撃が走った。

何を隠そう、私も同じく「聴く」の方がずっと高度で難しいものだと思い込んできたからである。

しかし、この思い込みは東畑さんからの問いかけで早々にひっぺがされ、その考え方を受け「聞く」の方がはるかに難しいことに気付かされたのだ。

たしかに、語られている言葉通りに受け止める方が難しいことだなと。

そして続けて、この「どうしたら私たちは聞くことができるのか?」という問いに対する「考え方」に私は震撼することになる。

こちらも掻い摘んで言ってしまうと、

・「聞く」は「聞いてもらう」に支えられている。

・「聞く技術」は「聞いてもらう技術」によって補われなければならない。

そして、前出のツイートでもご紹介した、

・話を聞けないときには、あなた自身が誰かに話を聞いてもらう必要がある。

というものである。

本書は、「聞く技術」にしても「聞いてもらう技術」にしても、以上の問いと考え方が通底・前提にあると思っていただいて問題ない。

そして、紹介されている細かい技術はすべて「聞く」と「聞いてもらう」を切り離すことのない関係性の中で捉えたものとなっている。

この前提で読み進めるからこそ、一つ一つの小手先の技術にも本当によく納得できるのだ。

詳しいことは是非本書を手にとって読んでみていただきたいのだが、本書を読んだことで私は、これまで考え、そして実践に移してきた「あらかじめ話したいことを話しておくからこそ、目の前の相手の話を真剣に聞くことができる。」は完全に確信へと変わった。

聞く人が少ない時代だからこそ「聞く」の価値は高い

少し話は変わるが、私は村上春樹の「1973年のピンボール」という本を好んでいる。

この本、書き出しの部分から非常に良い。

見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。

一時期、十年も昔のことだが、手あたり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話を聞いてまわったことがある。

他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれた。

見ず知らずの人間が何処かで僕の噂を聞きつけ、わざわざ話しにやって来たりもした。

彼らはまるで涸れた井戸に石でも放り込むように僕に向って実に様々な話を語り、そして語り終えると一様に満足して帰っていった。

あるものは気持良さそうにしゃべり、あるものは腹を立てながらしゃべった。

実に要領良くしゃべってくれるものもいれば、始めから終りまでさっぱりわけのわからぬといった話もあった。

退屈な話があり、涙を誘うもの哀しい話があり、冗談半分の出鱈目があった。

それでも僕は能力の許す限り真剣に、彼らの話に耳を傾けた。

(太線は筆者)

他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代

この本が出版されたのは「2004年」だが、思うに今がまさしくこういう時代なのではないだろうか?

自分のことは一旦棚に上げた上で、ツイッターやフェイスブックやユーチューブやボイシーなどに触れていると、誰もが自分の話を聞いて欲しそうにしている。

みんながみんな自分のことを書いたり話したりと表現して、別の第三者にそれを受けとめて欲しいと思っている。

しかし、残念ながらその数に対して「受け手の数」は圧倒的に少ない。

第三者に何かを伝えたい人は溢れかえっているのだ。

これに対して、思うに「他人の話を進んで聞くというタイプの人間」は極端に不足している。

きっといまこの社会に不足しているのは話す人よりも断然「聞く人」の方なのだろう。

「誰かの話を進んで聞く人」になることの方が、其処此処から、自分の話を話すために沢山の人が集まってきて、実は人気者になれるのかもしれない。

「1973年のピンボール」の人物のように、である。

「話す」ことよりも「聞く」ことの方が今の時代は遥かに価値が高い。

「1973年のピンボール」は、 今の時代における「話す」ことと「聞く」ことの価値を考えるきっかけを与えてくれる本当に秀逸な作品だと個人的には思う。

目の前の相手の話しを真剣に「聞く」ための準備として二つ

ここまで考えを整理しながら書いてきてみて、あらためて強く思うのは私は、目の前の相手の話しを真剣に「聞く」ことをしたい、ということ。

そしてだからこそ、これから先も「あらかじめ話したいことを話しておく」という聞くための準備を淡々としていきたい。

具体的には二つある。

一つは今までと同じく、Twitterやブログなどを使って自分が話したいと思うことを話し切っておくこと。

自分の今の意見をしっかりと表明しておくこと。

ただ冒頭にも言ったとおり、話したいことを話したからといってその全てが誰かに聞いてもらえるわけではない。

であるからこちらに関しては聞いてもらえる人が現れたら御の字くらいの捉え方。

今の私は二つ目の方をより重要視している。

それは「あらかじめ話したいことを話すことができて、それを ”たしかに” 聞いてもらえる状況および関係性を丁寧に作っていく」ということ。

この状況や関係性が日常の中にしっかり形成されていくことで、私の「聞く」は今よりも更に駆動していくはずだと思うからである。

そしてこれを形成していくために「対話する時間を増やす」をしていきたい。

身近なところでは「家族」。

もう少し広げると自分が関係している「コミュニティ」。

こういった関係性の中で丁寧に時間をかけて作り上げていくイメージを持っている。

以前も記事にした通り「対話をする」のはその言葉が持っている様子以上に難しい。

関連記事:「対話」は、なんとなく思ってきた通り、気軽に増やしたり減らしたりできるものではなかった。

しかし、この難しさの前提に立ち「対話」に丁寧に取り組んでいくことで「あらかじめ話したいことを話すことができて、それを ”たしかに” 聞いてもらえる状況および関係性」を形成することができればできるほど、その他の状況や関係性において、目の前の相手の話を真剣に「聞く」ことができるようになっていくものだと個人的には思う。

今回書きたかったことはこんなところである。

「聞く」に対してまた何か自分の変化を実感することがあれば報告してみたい。

UnsplashYolanda Suenが撮影した写真

【著者プロフィール】

田中 新吾

この考え方に則っていくと、誰かと出会った時にとにかく自分が話をしてばかりの人というのは「普段聞いてもらえていないんだな」といった思考が生まれてきたりもします。

プロジェクト推進支援のハグルマニ代表。プロジェクトデザイナー。タスクシュート認定トレーナー。X・note ではプロジェクトの推進に役立つコンテンツを発信。Webメディア(http://ranger.blog)管理人・ライター。一般社団法人の代表もしています。

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