タナカシンゴ

「コントロール欲求」を満たすのに、自分で決めた「ルーティン」はとても良い。

モーニングルーティン」は、今やYoutubeの定番企画となった。

動画を公開しているのは著名人だけに限らず、ごく一般人にまでその輪は拡がっている。

つい最近も、パラリンピックに関連してNHKの公式Youtubeに

「1人暮らし全盲女性のモーニングルーティン」

「1人暮らし車いす女子のモーニングルーティン」

といった動画も挙がった(*1)。

現代社会は価値観が多様化しているとはよく言われる。

それでもほとんどの人が疑問を持つことなくシェアしている価値観や通念がないわけではなく、例えば「健康」はその中での筆頭格だろう。

思うに「モーニングルーティン」も「健康」と同じとはいかないまでも、かなりの多くの人がシェアしている価値観や通念となった。

ごく凡人な私ですら取り入れるようになったのが何よりの証拠だ。

私のルーティンは朝だけでなく夜にもある。

なぜこうも現代人はこぞって「ルーティン」を取り入れるのだろうか。

思うに、決まった所作をすることで「集中力を高められる」「気分を切り替えられる」「やる気のスイッチが入る」などを理由に挙げている人は多い。

だが、私は自分でルーティンを決め、実践していく中でこれとは少し違う理由持つようになった。

何かというと、自分で決めた「ルーティン」は、「コントロール欲求」を満たすのにすごく良いのだ。

コントロール欲求とは

私たち人間は、何かをコントロールできている時は、気持ちがいいし、幸せになれるし、この次もがんばろうと活動的になれる生き物だ。

卑近だが例をいくつか挙げてみる。

今まで解くことのできなかった数学の問題がスラスラと解けた時。

使い方の分からなかったソフトが自在に使えるようになった時。

サッカープレイヤーであれば、自分の思うままにボールコントロールが出来た時。

こういう時はほとんど多くの人が気持ちいいと感じるはずで、しあわせな気持ちにもなるだろうし、この次もまた頑張ろうと思うはず。

ではなぜこのようなことが起こるのか。

それは人間の中には食欲、睡眠欲、性欲の基本的な3大欲求以外に、それらと並ぶくらい強度のある「コントロール欲求」というものが備わっているためである。

何かをコントロール出来ていることがこの欲求を満たし、私たちの感情や行動の引き金になっている。

つまり、私たちは、食欲、睡眠欲、性欲の3つが顕在化してくる以外の時間は、「その他の欲求」や「感情」に従い行動を行う。

現代社会において、コントロール欲求は承認欲求と並んで、その他の代表的な欲求と言っていいだろう。

私たちにとって「コントロール欲求」は非常に大きな存在なのだ。

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コントロールはできないものでも「コントロール欲求」を満たそうとしてしまう

神経科学者のターリー・シャーロットは、脳にスローガンがあるとすれば「周囲の環境を支配せよ」というのがぴったりかもしれないという。

これはまさに「コントロール欲求」のことではないだろうか。

脳の究極の機能は思考すること。想像し、塾考し、着想を得るための体内の司令部が、脳という臓器

一般的には脳に対してこのようなイメージを抱く。

これももちろん脳の大切な機能ではあるが、第一の目的ではない。

脳は私たち人間が体を動かし、それによって周囲の環境に作用できるように進化してきたのだ。

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少し話は変わるが、東京オリンピック2020のサッカー男子は結果的には4位と待望のメダル獲得には至らなかった。

しかし、欧州リーグで鍛えられたオーバーエイジ3人に後から支えられ、久保建英、堂安律を中心とした若い力が強豪国相手に確かに躍動していた。

そんな彼らの熱戦を、私はテレビに向かって「そこだ!いけ!久保!入れ!」と思いながら観て楽しんだ。

スポーツを観るのならやはり録画よりもリアルタイムがいい。

だが、いくら自分がテレビに向かって何を念じようとも、私の念力で久保選手や堂安選手のシュートが入る確率が高くなったりすることは絶対にない。

にもかかわらず、テレビを見ながらついつい、ボールの軌道や選手の動きをコントロールしようとしていた。

そして、その念力が通じたかのようにゴールが決まった瞬間は、繭に包まれたような感覚に浸った。

こんな具合に、人間は、実際にはコントロールはできないものでも「コントロール欲求」を満たそうとしてしまう

ふろむだ氏は著書「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」の中でこれを、

「コントロールできないもの」をコントロールしているという幻想に浸ること。

と説明している。

コントロール欲求を満たせないと死に至ることもある

一体、なぜ私たちは「コントロールできないもの」をコントロールしているという幻想に浸ろうとしてまで、コントロール感を得ようとするのだろうか?

ふろむだ氏の本の中に刮目すべき実験結果が載っていた。

ある老人ホームの老人に「観葉植物」を配ったというものだ。

この実験中、老人のうち半数は職員が観葉植物の世話し、残りの老人は自分で観葉植物の世話をしたという。

6ヶ月後、職員が世話をした老人の30%が死亡した一方、自分で観葉植物を世話していた老人は15%にとどまったという。

自分で植物に水をやり、手入れをすると生存率が劇的に上がるという結果になったのだ。

さらにもう一つ別の実験もある。

それは老人ホームの老人を、学生ボランティアの子たちが何度か訪れるというものだ。

半分の老人は、学生ボランティアの子たちが訪問する日時を、その老人が決めることができた。

しかし、残り半分の老人は自分では日時を決められなかった。

2ヶ月後。

日時を自分で決められた老人は、そうでなかった老人と比べて、よりハッピーで、健康で、活動的で、薬の服用量も少なかったという。

しかし、この実験が終わった数ヶ月後。

ボランティアの訪問日時を自分で決めていた老人の死亡数が極端に多くなったという知らせがあったのだ。

この実験結果が示していること、それは「コントロール欲が満たされないと、心身を害しそれが死に至ることすらある」ということ。

「コントロールできないこと」に対して、我々人間は恐ろしいほどに苦痛を感じるようにできており、その影響は遥かに切実なのだ。

だからこそ、その苦痛を受け入れるぐらいなら「コントロールしているという幻想の中で生き続ける方がよっぽどマシ」と考えるようにできている。

思うに、私たち人間が「コントロールしているという幻想に浸ってでも、コントロール感を得たい」と考え、とにかく何かをコントロールすることに貪欲な生き物と認識してもし過ぎることはないのだろう。

「コントロールできないもの」から「コントロール感」を得ようとして痛い目を見る

「コントロール欲求」は、「幻想」であったとしても「実際」であったとしても、コントロール感が得られさえすればそれで満たされていく。

だが、コントロール感が得られなければ欲求不満の状態となり、最悪の場合は老人ホームの研究のとおり死に至ることだってある。

だからこそ、この欲求を満たすことに私たちは必死だ。

満たされていないと脳が感知すれば、幻想であろうと実際であろうと構わない。

「他者」や「自然」のような、「コントロールできないもの」にもその触手をグングンと伸ばし、コントロール感を得ようとする。

同時に、この強欲さがゆえに「コントロールできないもの」から「コントロール感」を得ようとして痛い目を見ることも数多くある

例えば最近、某所で起きた盛り土流出による土砂災害もその一つと言えるだろうし、人間関係においても度々その手の問題は勃発している。

自分が「コントロールしたい」と思っているのならば、それは「相手」だって同じなはずだ。

相手をコントロールしようとするということは、同時に、相手からコントロール感を奪うことにもなる。

人間は、自分の「主体性」が失われると思えば抵抗し、逆に、主体性が強まると考えたらその経験を受け入れ報酬としてみなす存在と言われている。

そういう生き物なのだから、こちらがコントロールしようとすれば抵抗するのは当然だ。

そして、悲しいことに、「コントロールしている」という幻想が解けた後には、コントロールしようとしていた先にはもちろんのこと、自分にとってもほとんどメリットが残らない。

個人的な経験則だが、対象との関係は悪化の一途を辿るばかりである。

したがって私は「コントロールできないもの」からコントロール感を得ようとすることは極力排除していくことが、自分にとって、また全体にとっても良いのではないかと考える。

そして、そのために大切にしていることが

自らがコントロールできるもので、コントロール欲を満たすように努める

という方針だ。

自らがコントロールできるもので、コントロール欲求を満たすように努める

昨年「新型コロナによる予測がつかない今の状況をどう乗り越えるか?」といったテーマで、元ネイビーシールズ(アメリカ海軍の特殊部隊)の方がアドバイスをしていた記事を読んだ。

記事には「自らがコントロールできるものにエネルギーを注ぐことが大切だ」と記述があり、読後私は「ウォーキング」と「ランニング」を生活に取り入れることに決めた。

理由は「ウォーキング」と「ランニング」は自らがコントロールできるものでかつ、手軽にコントロール感を得ることができそうだったから。

そして、この目的意識で取り組んでみて分かったことが幾つかある。

まず「自分の足で前に進んでいる」という感覚を得られるのがとても良い。

自分の身体を思い通りに動かせているという感覚はもちろん。

「前に進むこと」をコントロールできている感覚を得ることができるのだ。

思うに「何か物事を前に進めることができている」という「進捗」は、私たちに多大なコントロール感を授けてくれる。

動きたいのに世の中の空気感によって身動きが取りづらい。

そんな中だからこそ、この手応えを強く感じたのかもしれない。

そして「自分でコースを選びながら移動する」という感覚が得られるのも良い。

私はいつも走り出す前に「仮コース」を決めるのだが、その通りにいくこともあればいかないこともある。

走ってみたら自分のコンディションが分かることは多々あり、途中でコースを変えたり、距離を伸ばしたり減らしたりは日常茶飯事だ。

仮コース通りに走ることで得られるコントロール感は当然大きい。

だが、途中で意思をもってコースを変えたり、意思をもって知らない道に入ってみたりすることでも実はコントロール感は結構得られる。

知らない道に入ると脳の違う部分が刺激されるようでそれもまた良い。

私はこんな具合に、自らがコントロールできるものを探し、それを生活行動の中に組み込むことで、コントロール欲求を満たすことを意識している。

思うに、自らがコントロールできるものでこの欲求を満たすことができていれば、コントールできないものまで触手を伸ばし、闇雲にコントロールしようしてしまうこともない。

運転、ゲーム、運動、ピアノ、なんだっていい。

自らがコントロールできるものは周りを見渡せば結構たくさんある。

自分で決めた「ルーティン」は「コントロール欲求」を満たすのにとても良い

そして、話はようやく冒頭の「ルーティン」だ。

「ルーティン」とは「決まった動作」や「日課」のことである。

したがって、

「私はお風呂上がりにはストレッチをするのがルーティンです」

「私は商談前には大きく深く一回深呼吸をするのがルーティンです」

といった使われ方がされるものだ。

習慣的に行っている行為の中でも、特に日々の中で「定型化」されたものだと言えるだろう。

したがって、私における「ウォーキング」や「ランニング」は「習慣」ではあるが「ルーティン」ではない。

例えば、今私がしているモーニングルーティンは、

朝起きてから、鉄瓶で白湯をつくり、それを飲みながら、頭の中にあるモヤモヤしたものを書き出す

といったようなもの。

そして、このルーティンをほとんど毎日行っている中で分かったことが「自分で決めた「ルーティン」は「コントロール欲求」を満たすのにとても良い」というものである。

ルーティンとはより詳細に言えば、自分で決めた所作に対して、自分をコントロールして、それに自分を狂いなく合わせていく行為と言える。

仕事のような不確実性も少なく、ほぼ間違いなく実行が可能だ。

これほど確実にコントロール感を、しかもお手軽に、毎日得れるものは「ルーティン」を除いてないのではないだろうか

それに「これをルーティンにしよう」と自分で主体的に決めた時点から、コントロール欲求は既に満たされはじめている。

だから、ルーティンを実行するならば、誰かの意見は参考程度に、自分で考えて、自分で決めて実行するのが良いだろう。

私は自分の脳が反応するところを見たこともないのだが、ルーティンを行った後の私の脳の「大脳辺縁系部」は落ち着き、それによって「大脳新皮質部」が働きやすくなっているイメージを勝手に持ったりする。

だからこそ、目の前のことに「集中」しやすくなっているのだろうなと。

「コントロール欲求」を満たすのに、自分で決めた「ルーティン」はとても良い。

ルーティンの効用を、自分が思う形で言語化してみたものだが、何かの参考になれば幸いである。

*1 全盲女性や車いす女子の「モーニングルーティン」からみる、“ふつう”のアップデート

Photo by Ava Sol on Unsplash

【著者プロフィール】

タナカ シンゴ

最近ふと、経営経験のある人が昔「経営者時代は辛いことの方が多かった」と言っていたこと思い出しました。でもその人はまた経営をするそうです。

人生の醍醐味は、山と谷の数なのかもしれません。

理工学部卒業後、マーケティングファームに7年間勤務。国内大手企業や外資系企業をクライアントに、営業、リサーチ、コンサルティング、商品開発、集客、マネジメント、リーダーシップの現場経験を積みジョブチェンジ。

現在は一人会社とNPOも兼業で、商品開発と集客のプロジェクト運営をしたり、記事を書いたり、Podcastを配信したりしています。

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◯noteマガジンで「事業の役に立つネームコレクション」を運営中

○Podcastで白湯専門番組「白湯FM」を配信中

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