田中 新吾

社会人になったばかりの頃、悪くもないのに「すみません」と言わないこと、と教わった。

タナカ シンゴ

すこし前に、はてな匿名ダイアリーでこんな記事を読んだ。

自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと

一部を引用させていただく。

会社の後輩に何を言っても謝る子がいて、1年くらいは謝る必要がないことで謝らないでと注意していたのだが一向に理解してもらえずにいた。

私は1年で諦めたが、私以外の社員もそれぞれがきちんと数年かけて悪くもないのに謝らないでと伝えている。

しかしこれが本当に1ミリも伝わらない。

同じ言語話してますよね?っていうくらい、ここに関しては伝わらない。

褒めても注意しても、こちらの言動が丁寧でも雑でも、返事には申し訳ございませんがついてくる。

なので、数年経った頃から「どうせ申し訳ございませんしか言わないんだし丁寧なコミュニケーションは時間の無駄だ」と思うようになった。

雑に扱うようになった。

返事は一言。

雑談はしない。

だって、責めてもないのに謝罪されるから。

責めてもいないのに、必要以上に謝罪されるのは苦痛だ。

ホルモンバランスが最悪の時なんかは、被害者ぶって私を悪者に仕立て上げようとしているのか、とすら思う。

さすがに言わないけど、そう思ったことがある。

「優秀なのに腰が低い後輩」だったはずのその子は、「優秀だけどコミュニケーションコストが高くて面倒くさい後輩」になり、時期に差はあれど、私のようにコミュニケーションを諦める社員が増えた結果、優秀とは言い難くなった。

いつも怯えて誰にも相談できない子になり、大きなミスをするようになった。

それゆえに謝罪は止まらない。本当に疲れる。

もうこの子の謝罪に意味も価値もないのだ。

もうほとんど挨拶代わりなのだから。

(太線は筆者)

このエピソードを要すると、会社で「悪くもないのに謝ってくる後輩」に対応していたら、いつの間にか「自分が他人を軽く扱う側に立っていた」という話である。

この記事の中に登場する「悪くもないのに謝ってくる人」は、私も今までそれなりの数会ってきた。

特にその人たちは「すみません」という言葉を連発した。

そしてその度に、匿名ダイアリーの筆者のように私は心地よくはない気分になった。

そんな私が「悪くもないのに謝ってくる人」に対して、心地よくはない気分になる理由に納得がいったのは前職(マーケティング会社)にいた頃だった。

「すみません」は「便利な言葉」

入社して間もなかった頃、私は社内の人間関係によく目がいった。

というのも、社会人になったばかりで、仕事上の人間関係やコミュニケーションはどうやって進んでいくのか学ぶ必要を感じていたからである。

「観察して学べるものがあるならば何でもいいから学びたい」

こういう気持ちが強かったことを今懐かしく思う。

そんな私の目に留まった人がいた。

会話の中で「すみません」を連発する人である。

耳に入ってくる内容を私は聴きながら「そんなにすみませんて言う必要なくないか?」と率直に思った。

そして、会話の中で「すみません」を連発する人に対して、小さくない違和感を感じていた私は、時々飲みに誘ってもらっていた別の会社のT先輩に酒席でこの疑問をぶつけたことがあった。

その時にとっておいたメモを頼りに先輩とのやりとりを思い起こしてみる。

私:「Tさん、意見をお聞きしたいことがあるんですがよろしいですか?」

T先輩:「何?」

私:「会話の中で「すみません」を連発する人っていませんか?」

私:「そういう方の会話を聴いていると「そんなにすみませんて言う必要なくないか?」って思ってしまうんですが、これって何だと思いますか?」

T先輩:「あーなるほど。わかるわ。」

私:「わかりますか?」

T先輩:「うん、わかる。いるよねそういう人。」

私:「どう思われますか・・・?」

T先輩:「んー多分だけど「すみません」が「便利な言葉」だからそうなるんだと思うな。」

私:「便利な言葉だから、ですか?」

T先輩:「そう。」

私:「もう少し詳しく教えて欲しいです。」

T先輩:「何かの本にも書いてあったんだけど「すみません」て、「ありがとう」と「ごめんなさい」の両方のニュアンスを持っている言葉なわけよ。だから便利でよく使っちゃうってこと。」

私:「なるほど。そう言われるとしっくりきます。」

私:「つまり、謝罪の意味での「すみません」だけじゃなくて、感謝の意味での「すみません」が混ざって「すみません」が連発されていたってことなんですかね。」

T先輩:「その可能性は高いかもしれない。」

私:「悪くもないことに対して「すみません」て言われるとどうも違和感を感じるというか、いい気分ではないんですよね。」

T先輩:「そうだなー。いい気分にはならないよな。」

私:「はい。」

T先輩:「俺個人のことを言えば、そう思うので、相手に感謝を伝えたい時は「すみません」ではなく「ありがとう」か「ありがとうございます」をできるだけ使うようにしているかな。」

私:「なるほど・・・。」

T先輩:「だからお前もそう思うなら、感謝を伝える時は「すみません」ではなく、「ありがとう」や「ありがとうございます」と言うように意識していったら?」

私:「はい、そうしていきたいと思います!」

T先輩:「なるべくなら、悪くもないのに「すみません」は言わない方がいい、ってことだな。」

私:「了解です。ありがとうございます。」

若干うろ覚えではあるが確かこんな感じのやりとりをさせてもらった。

この時を境に、私は「すみません」という言葉が口から出そうになった時は、少し間を置き、感謝の気持ちを述べたい時は「ありがとうございます」を。

そして、謝罪の気持ちを述べたい時はできる限り「ごめんなさい」または「申し訳ございません」「申し訳ないです」を使おう、と意識するようになったのだ。

ただ今でも時々つい「すみません」が口から出てきてしまうことはもちろんある。

そんな時にT先輩から教えていただいたことをよく思い出す。

結局、意識し過ぎるくらいでちょうど良いのだろう。

「すみません」は、とにかく便利な言葉なのだ。

悪くもないのに「すみません」とは言わないこと

それから、人に何か「頼み事」をしたい時にも「すみません」を使ってしまうことが結構ある。

思うに、これもできるかぎり連発しない方がいい。

なぜなら「人は助けを強いられるのを嫌がる」という性質を持っているためだ。

コロンビア大学心理学博士 ハイディ・グラントは、人は生まれながらにして誰かを助けたがっているのと同時に「助けを強いられるのをとても嫌がる」という性質があると述べている。

そして、相手に「コントロールされている」と思った瞬間、相手を助けようとするモチベーションを大きく下げてしまう、とも報告している。

つまり、「すみません、すみません」とやたらと謝りながら頼み事をされると、「進んでそうしたいからではなく、しなければならないからする」という「助けることを強いられている(=コントロールされている)感覚」が相手の中に生じてしまい、その結果、頼み事を受容してもらえなくなってしまうのだ。

突き詰めると、仕事のコミュニケーションというのは「頼み、頼まれる」という関係にある。

だからこそ「人は助けを強いられるのを嫌がる」は必須の知識だと私は思うのだ。

最近、新年度になり新しく社会人になった方々に向けた、諸先輩方からの激励の言葉やアドバイスをSNS上でいくつも見かけた。

下の投稿もそのうちの一つだ。

私が新卒入社した時(2010年)には考えられなかった光景がSNS上に拡がっている。

これを見た新社会人の人たちはどんなことを思うのだろうか。

思うに、人が言うことと、人が実際にやることというのは大きく異なる。

したがって、言っていることは話半分で聞けばいい。

重要なことは、話半分で聞いたことや教えてもらったことを自分の身体で「検証してみる」という行動の方である。

かくいう私が今「新入社員の方々に向けて何か一つアドバイスをお願いします」と求められることがあったら、どんなことを言うだろうか。

思うに、T先輩からの教えは色々とある中でも実際に私が言いそうなアドバイスとしてかなり上位に来る。

なるべくなら、

悪くもないのに「すみません」とは言わないこと

これも話半分で聞いてもらって、少しでも参考になれば嬉しい。

Photo by NONRESIDENT on Unsplash

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

毎年来る新年度ですが、今年はなぜかよく「新入社員」「新社会人」という言葉が目につきました。そういうわけでこの記事を書くことにもなったんですが、これって何、歳のせいですかね?

会員登録していただいた方に、毎週金曜日にメールマガジン(無料)をお届けしております。

「今週のコラム」など「メールマガジン限定のコンテンツ」もありますのでぜひご登録ください。

▶︎過去のコラム例

・週に1回の長距離走ではなく、毎日短い距離を走ることにある利点

・昔の時間の使い方を再利用できる場合、時間の質を大きく変えることができる

・医師・中村哲先生の命日に思い返した「座右の銘」について

メールマガジンの登録はコチラから。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

記事URLをコピーしました