「世の中をより面白がるための方法」という人生の中で探求していきたいテーマについて。
先日、NHKオンデマンドで歌人「俵万智さん」のプロフェッショナルの流儀を視聴した。
「短歌」というものからは縁のない人生を送ってきた私にとっては本当に学ぶことだらけ。
終始食い入るように観てしまった。
番組の中で俵さんがおっしゃっていた言葉が今も強く頭に残っている。
「見方が変わることで自分の人生が変わる そのきっかけが短歌」
「平凡な日常は、油断ならない」
「平凡に生きている中でも歌はいくらでも詠める」
そんな俵さんは番組取材を通して以下のような短歌を詠んでいた。
渋いことあったら
私も試そうか
皮をむいたり
茹でて干したり
(27文字)
この歌には(息子さんの?うろ覚えです)学校を訪れた際に、干し柿を作っている学生を見て、人生の上で自分も渋い目にあった時には、それを渋いって言って捨てるのではなく、皮を剥いたり茹でて干したりするようになんか工夫してそれを甘くできないかなということをやりたいなとその子らをみて思った、という背景があるという。
むっちゃ夢中
とことん得意
どこまでも努力できれば
プロフェッショナル
(32文字)
これは番組最後のお決まり「俵さんにとってプロフェッショナルとはなんですか?」という問いかけから生まれたものだった。
視聴してからだいぶ時間は経っているがどちらも強烈に私の頭に残っている。
短歌の力がここまですごいとは本当に思いもしなかった。
そして、今私が視聴を通して思うことを短くまとめてみると以下のようになる。
世の中をより面白がるための方法。
短歌はそういうものの一つなのだと思う。
今、短歌がブームになっている
改めての復習をすると、短歌とは「5・7・5・7・7」の31文字で表現するものということ。
俵さんの作品をみると現代短歌においては、このルールは必ずしも守らなければならないわけでもなさそうだ。
ピッタリハマるとベストという感じなのだろうか?
初心者の私にはまだよく分からない部分である。
つい最近、NHK朝ドラ「舞い上がれ!」で赤楚衛二さんが演じた貴司くんの短歌が話題になっていたのはつまみ食いで観ていたので知っていた。
今回、短歌を題材に記事を書こうと思ったのをきっかけに、初めて短歌についての情報を集めてみるとそこには私の知らない状況が広がっていた。
例えば、
2022年から2023年にかけ、1万部を超える歌集が続けて出ている。
SNSで短歌を投稿して批評しあう「ネット歌会」が盛ん。
クローズアップ現代では「短歌がブームになっている」という趣旨の番組も放映されていた。
一体なぜ?いま“空前の短歌ブーム”が起きている。
ヒット歌集が次々と誕生し、各地の短歌イベントは大盛況。
牽引するのは20~30代の若い世代だ。
ポップな言葉で自ら歌を詠み、SNSに投稿する人が増加。
見知らぬ人同士を、短歌でマッチングする自治体も現れた。その初顔合わせの結末は…。
令和のいま、全国で短歌が広がりを見せる真相とは?コロナ禍でつながりが薄れた時代、人々が短歌に託す知られざる“物語”とは―。
個人的な観測範囲ではあるが、短歌に関連するWebサイトを探してみるとその数も結構あった。
この方のツイートを見ると、短歌人口は俳句人口の約1/3。
俳句の方が字数が少ないことを考えれば1/3というのも納得がいく。
それにしても短歌を使って、世の中をより面白がろうとしている人が思いの外、結構いた(毎回2,000首)のは驚きだ。
松尾芭蕉の俳諧的生活
少し話は変わるが、そういえば昨年読んだ本の中にも俵万智さんと似たような生き方をしている人物の話があったのを思い出した。
「松尾芭蕉」という人物である。
この名前、「おくのほそ道」という紀行文とセットで、誰もが一度は聞いたことがあるものではないだろうか?
しかしながら、聞いたことがあるというだけで歴史通でなければ詳しくは知らないという人の方が多いようにも思う。
現に私は芭蕉のことを本書を読むまで全く知らなかった。
正直に言えば、興味関心は微塵もなかったと言っていい。
この本では、芭蕉の「俳諧的生活」というライフスタンスについての紹介があった。
俳諧的生活とは一体何か?
例えば、あるところに物忘れの翁(おきな)という人がいた。
彼はあまりに物忘れをするため誰も彼にものを頼まなくなったという。
ところが物忘れの翁(おきな)には実は2ついいところがある。
一つは良い聞き手であること。
大阪の陣の話が好きな老人がいて、彼がその話をしだすと「また始まった」とみんないなくなるのに対して、翁は忘れているのでまだ新鮮な気持ちで聞くことができる。
もう一つは読んだ本の内容も忘れてしまうため、本をたくさん買わなくてもいいこと。
書庫に2、3冊本があれば彼は一生足りてしまうのだ。
このように、普通であれば困った人だと思われるような人も、味方を変えればとてもいいひとになる。
こうしてあらゆることを「和とユーモア」の視点で世界を読み直す。
そして、これぞ芭蕉が薦めた俳諧的生活だという。
俵万智さんが短歌という方法を使って世の中をより面白がろうとしていることに対して、芭蕉は俳諧という方法を編み出し、人生という旅路を面白がっていた、と言えるのだろう。
楽しさ自給率の高い人
もう5年〜6年も前からにはなるが私は「楽しさ自給率」という言葉を時々用いる。
この言葉、私が発明したものではなく出所はコミュニティデザイナーの山崎亮さんという方だ。
昔、どこかの記事か本かで知ったのだが素晴らしい概念だと思った。
棒切れ1本落ちていたら100通りの楽しみ方を作れる。
石が3つあったら100種類の遊びを作れる。
こういう人は、どんな地域に住んでも、自分の人生を楽しく変えていく力を持っていると思うという話で、このような「楽しさの自給力の高い人」が地域にたくさん増えると、楽しさの自給率の高い地域ができあがるという話。
エネルギー自給率も、食料自給率も高めてほしい。
しかし、それ以上に「スタバがないとウチの地域は楽しくない」というのではなくて、自分たちで楽しさを作れる比率を高めていくことが地域を元気にすることではないか?
若干うろ覚えのところもあるが確かこんな主張だったと思う。
前出の俵万智さん、松尾芭蕉も、この「楽しさ自給率の高い人」と呼んでもいいのではないだろうか。
翻って私自身はどうか?
短歌を作ったこともない人間がすぐに作ることはできないし、ユーモア研鑽中の私にはまだまだ芭蕉のような鮮やかな視点移動をして楽しさを自給することはできない。
でも、ある事象に対して、自分はどう考えるのか、どう思うのか、をブログや音声配信のような形でアウトプットしていくことで、世の中を多少なりとも面白がれている実感はある。
個人的に色々なプロジェクトを起こしているのも一つかもしれない。
以前書いた「自分ではない他の人が一生懸命生み出したものに一生懸命ついていく」も自分にとっては世の中をより面白がるための方法として確立されている。
短歌に、俳諧に、世の中をより面白がるための方法はまだ他にもあるのだろう。
そしてそれぞれがきっとちゃんと奥深い。
生成系AIが台頭してきている社会になってきたからこそかもしれないが、こういうことを人生をかけて探求し続け、面白さ、楽しさを自給していくことは、自分にとって「豊かさ」のように今あらためて思う。
一生向き合っていきたいテーマだ。
UnsplashのJOSHUA COLEMANが撮影した写真
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスク管理術)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|「お客様のプロジェクトを推進する歯車になる。」が人生のミッション|座右の銘は積極的歯車
俵さんの「平凡な日常は、油断ならない」もとてもキャッチーで好きになりました。短歌もチャレンジしてみます。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
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