田中 新吾

「推し活」の流行は、どのように捉えると納得ができるか。

タナカ シンゴ

推し活」が、2021年の「新語・流行語大賞」にノミネートされたというニュースを目にした。

「新語・流行語大賞」候補に “副反応” “ピクトグラム”など

そこで「推し活」の流行について、自分が納得するまで考えたことを話してみたい。

この記事の内容を先にまとめてしまうと、

● 私にとっての初めての「推し活」は「ももいろクローバーZ(百田夏菜子)」だった

●「推し活」の流行には、二つの社会変化が大きく影響している

1.インターネットとSNSの発達によって「ネガティブな感情に触れる機会」が増加した

2.より「自由に生きること」ができるようになった

「推し活」の流行は、現代人が、社会に生きづらさを感じ、その中で自分たちがより生きやすいように「適応」した証

●「推し活」は、気が遠くなるほどに長い「人生100年」という時代を、よりよく生きるための「社会適応の技法」として定着する可能性が高い

といった内容になる。

記事の要点はもう話してしまったので、以降はこの補足として読んで頂ければ有り難い。

まず、私が「推し」に出会い「推し活」をすることになった時の話から。

キッカケは「ももいろクローバーZ」だった。

遡ること、時は2012年4月。

前職マーケティングファームにいた時、大手IT企業のマーケティングプロジェクトを一緒に運営していた先輩から突然、「今度、ももクロのPV(パブリックビューイング)あるけど、お前いかないか?」と誘われたことがあった。

当時の状況をもう少し詳細に書く。

喫煙所で一服をしていた時、たしかこんな会話があった。

先輩:「そういえば、お前、音楽何聞くの?」

私:「そうですね。大学3、4年の頃はPerfumeにめちゃくちゃハマってましたかね。最近いいなと思うのはサカナクションですかねえ」

先輩:「そうなんだ。俺今ももクロにハマってんだけどさ、多分お前も好きになる気がするなー。」

私:「ももクロですか??なんか好きになる想像が全然今のところできないんですが・・・でも、Perfumeもアイドルといえばアイドルか・・・」」

先輩:「今度 ”春の一大事2012 〜横浜アリーナまさかの2DAYS ”っていうライブがあって、そのPV(パブリックビューイング)が川崎の映画館でやるからもしちょっとでも興味あるなら来てみなよ。チケットはあるから。」

私:「わ、わかりました!!せっかくいただいたお誘いなので是非参加させていただきます。」

マーケティングという仕事柄、なぜ「ももクロ」に(ひいてはアイドルに)、人気が集まっているのかには単純に興味があった。

パブリックビューイング当日、先輩に言われたとおりにドンキホーテでサイリウム(ペンライト)を仕入れ、待ち合わせ場所に向かった。

予定時刻になったのと同時にライブはスタート。

先輩や周囲の様子を窺いながら見様見真似でサイリウムを振ったりした。

全てが初体験でほとんど知らない楽曲だったが、その場に創られる一体感と高揚感は、私にとってかなりエキサイティングなものだった。

パブリックビューイング終了後、先輩とたしかこんな会話をした。

先輩:「おつかれー。で、どうだった?」

私:「理由は自分でもまだよく分かんないんですが、、、なんかめっちゃ楽しかったです!これはハマりそうですね・・・」

先輩:「おーそれはよかった。んで、お前は「誰推し」なんだよ。」

私:「お、推しですか?」

先輩:「そう、推し。推しを決めると更に楽しくなるぞ。」

私:「なるほど。推しというのがあるのですね。なかなか決めづらいですが強いて言うと、、 ”かなこ” ですかね。」

先輩:「そう言うと思ったわw かなこ、いいんじゃない?赤で、センターで、可愛いよね」

私:「本当ですか?? では ”かなこ” を推しにしてみたいと思います。」

この時から私はももクロのリーダーである「百田夏菜子」の推しになった。

そして、2014年3月。

グループの悲願だった「国立競技場」の舞台に立つところまで、私はももクロと百田夏菜子の「推し活」をしてみたのだ。

「子供祭り in 東武動物公園」

「夏のバカ騒ぎ in 西武ドーム」

「秋の二大祭り 男祭り/女祭り in 日本武道館」

「春の一大事 星を継ぐもも in 西武ドーム」

現地にいけるライブには出来るだけ現地へ。

難しい場合でもPVで参加した。

ライブDVD・BDが発売されると銀座のコートダジュールに集い鑑賞会を開催。

CDをはじめグッズにもそこそこ投資をしたと思う。

ライブ後に、セトリ(セットリスト)を肴にして飲む酒は、まさにベストオブベストだった。

完全に私は沼にハマり「オタク」と化していたのだ。

周りの目も気にせず、兎に角その時を楽しんでいたと思う。

そしてなんと、私の推し活はももクロだけに留まらなかった。

私立恵比寿中学、アップアップガールズ(仮)、BiS、でんぱ組.inc 、BABYMETAL、PASPO☆、LinQ。

ももクロ熱は2014年の国立競技場で冷めたものの、結局私の「推し活」は2015年の終わり頃まで続いたのだ。

・東西大学芸会2014 エビ中のおもちゃビッグガレージ

・エビ中 夏のファミリー遠足 略してファミえん in 長岡2015

・BABYMETAL 武道館ライブ2Days(赤い夜と黒い夜)

いずれも珠玉のライブだったと思う。

ところが、2016年になると私の推し活は今までの勢いが嘘だったように、完全に鳴りを潜めた。

主たる理由は、休日に外部のスクールに通いはじめたというのもあって、推し活をするための時間をしっかり捻出できなくなってしまったのだ。

急激に冷めてしまったものが再び熱を取り戻すことはなく。

これ以降、私は「推し活」から完全に身を引いた形となった。

以上が私の推し活のダイジェストである。

それから約6年がたった今。

2021年の「新語・流行語大賞」ノミネートの中で、私は久々に「推し活」という単語に出会った。

これを目にした時、私は

「推し活って今流行している言葉なの??」

といった具合にかなり大きな違和感をもった。

こう言うと現オタクの人の鼻について反感を買うかもしれないが、私にとっては「過去に流行っていたこと」だったのだ。

しかし、一体なぜ今「推し活」が、流行語になろうとしているのだろうか?

わたしには不思議でならなかった。

そう思って色々と調べていたところ、一冊の本がきっかけとなって、「推し活」の流行について、私の中でつながりが生まれ、納得のいく解釈が出来上がってきた。

キッカケとなった本は、イケメン俳優オタクでエンタメライターの横川良明氏が書いた「人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた」というものである。

[itemlink post_id=”8420″]

2021年1月に初版発行された比較的新しい本だ。

最初に、なぜ「応援する」のではなく「推す」であるのか?

似ているが異なる二つの言葉について触れておきたい。

この本によれば、

応援」とは、読んで字のごとく「援ける(たすける)もの」と「応えるもの」の2者によって成立するもの。

一方で、「推し」という言葉は、ファンと芸能人アイドルの2者にとどまらず、「推薦される」第3者の存在が含まれているもの。

ということだった。

要するに、単に声援を送っているだけであれば「応援する」で事足りる。

だが、第三者に推しの良さを語り、あわよくば好きになってもらいたいという「布教精神」が、自己完結型の「応援」では生まれない熱狂を生んでいる。

昔、私もこの二つの言葉の違いについて深く考えたこともあって、この整理はまさに我が意を得たりであった。

そして、この本を読んだことがキッカケとなって、「推し活」の流行には、二つの社会変化が大きく影響している、と私は考えるようになった。

一つずつ取り上げてみたい。

まず1つ目が、インターネットとSNSの発達したことによって「ネガティブな感情に触れる機会」が増加した、という社会の変化である。

言わずもがな、インターネットとSNSが私たちの生活に与えているメリットは計り知れない。

しかしその一方で、デメリットもかなり目立つようになった。

自分の意思とは関係なく人の不満、愚痴、陰口などが常に浴びせられるようになり、私達は知らず知らずのうちにネガティブな感情に汚染されてしまっている。

そして、あまりにも否定的な言葉に侵食されると、体に毒素が溜まり、身も心も重くなっていってしまうのだ。

私が「推し活」をしていた頃と比べて、このような社会の変化が極めて著しい。

そしてだからこそ「推し活」の必要性は高まり、流行にまでなって来ているのだ。

好きなものを好きだと語ること。

愛のある言葉に触れること。

ネガティブな感情に対抗できるものとして「好きの共感」ほど、適当なものはない。

「推し活」は、悪意や嫉妬、そしてマウントが充満する現代社会における最高の「デトックス」になっているのだろう。

そして2つ目が、より「自由に生きること」ができるようになった、という社会の変化である。

現代は「生きている実感を得にくい時代」と言われる。

一体なぜか?

諸説あるが、私が思うに、その主たる要因は「自由に生きること」ができるようになった からだ。

仕事も、趣味も、人間関係も、私が「推し活」をしていた当時と比べて明らかに選択肢は増えた。

この結果、各自が好きなように「自分の価値観」で生きることが、よりできるように変わっていっている。

以前は、「バッタが乗ったピザを自作して食べる」ような人はいなかったと思うし、「野糞をしている様子をポッドキャストで配信する」ような人もいなかった。

このように自分の価値観で自由に生きることができれば、「生きている実感」を得ることができそうな気がするかもしれない。

しかし実はそうではない。

自分の価値観で自由に生きることができたとしても、自己価値を確認できなければ、生きている実感を私たちは得ることはできないのだ。

要するに、誰かの「承認」が必要なのである。

よほどの自信家でもない限り、「他人の承認などどうでもいい」というわけにはいかない。

そして、価値観は多様化すればするほど、承認されるかどうか分からなくなり「承認不安」が増してくる。

いまの社会は自由に生きることが制度上は可能な社会なので、各自がそれぞれの価値観で生きることができます。

ところが、価値観の多様化は承認不安の増大を招くため、いざ自由に生きようとすれば、承認されないかもしれない、という不安が増してくるのです。

[itemlink post_id=”8444″]

「自由に生きることができるようになったら、生きている実感が得られなくなった」というと可笑しな話にも聞こえてくるが、実際のところだろう。

結局「自由」は「タダ」ではないということである。

でもこういう状況だからこそ、「好き」で、他者からの「承認」を得ることがしやすい「推し活」を人生に加える人が増えている、のだと思う。

SNSで推しについて投稿すれば、推し仲間からは「いいね」という承認がもらえて、それは当然推しの活動を支えることにもつながる。

私が昔「推し活」をしていた時は、私自身は全くSNSを使っていなかったが、このように考えると納得がいった。

以上、2つのことをふまえると、

「推し活」の流行は、現代人が、社会に生きづらさを感じ、その中で自分たちがより生きやすいように「適応」した証、と考えることはできないだろうか。

歴史学者 ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史(上)」の中で、人類にとっての卓越した武器は「適応力」であると述べている。

アメリカ大陸を席巻した人類の電撃戦は、ホモ・サピエンスの比類のない創意工夫と卓越した適応性の証だ。

どこであっても事実上同じ遺伝子を使いながら、これほど短い期間に、これほど多種多様な根本的に異なる生息環境に進出した動物はかつてなかった。

[itemlink post_id=”8422″]

思うに、「推し活の流行」の根底にあるのは人類が持つこの力だ。

少なくとも私は、このように捉えたらとても納得することができた。

そして、自分が納得のいく解釈ができると、思考も発展していく。

例えば、「推し活」が流行で終わるのか、それとも定着するのかという話だ。

個人的な考えでは「推し活」は流行では終わらず、恐らく社会に定着する。

理由は、前出の「2つの社会の変化」が無くなる(あるいは軽くなる)ことは考えづらく、むしろさらに進む。

そして「推し活」は、私たちを「楽しい気持ち(快楽)」にさせてくれるからである。

18世紀の博識家ジェレミイ・ベンサムは「自然は人間を、苦痛と快楽という二人の王の支配の下に置いた」と遺した。

これは要するに、私たちが何をしても、何を言っても、何を考えても、それは結局「快楽」を求め「苦痛」を避けようとするということだ。

苦痛を感じる社会の変化を避け、快楽を与えてくれる「推し活」が定着すると私が思う根拠はここにある。

むしろ、気が遠くなるほどに長い「人生100年」という時代を、よりよく生きるための「社会適応の技法」として定着する可能性が高いと思う。

今回調べてよく分かったことは「推し活」の対象は今や生身の芸能人やアイドルに限定されない。

アニメ、漫画、ゲーム、2.5次元、歴史、鉄道、スポーツ、などあらゆるところで「推し活」は可能である。

私が「推し活」をしていた当時よりも、明らかに対象は広がり、これも流行に強く影響しているのだろう。

そして、今まで自分は「推し活」とは思っていなかったものが、実は「推し活」だったということも多分にあった。

例えば、執筆している時は何とも思ってもいなかったが、下の記事はそれに該当するだろう。

白湯(さゆ)が教えてくれた、「丁寧に暮らす」の本質。

「腹巻」は、お腹を温めるだけで人生が変わる超絶素晴らしいライフハック、という話。

長年の試行錯誤の末、ついに辿り着いた「普段履き」の決定版 アルトラ「パラダイム」について紹介させてください。

2015年を境目に、「アイドル」の「推し活」からは離れたものの、このように何かしらで「推し活」はずっとしてきた、ということである。

私も、より生きやすいように現代社会に「適応」していたし、「推し活」が流行するために一翼をしっかりと担っていたのだ。

Photo by Anthony DELANOIX on Unsplash

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|プロジェクトデザイナー|タスクシュート認定トレーナー|WebメディアRANGER(https://ranger.blog)管理人|ネーミングの仕事も大好物|白湯の魅力や面白さをお伝えする活動もしています(@projectsau

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

ハグルマニの週報

「いつでも順風満帆というわけでもない。3歩進んで2歩下がるでもいいから、1歩ずつ前に進んでいきたい。」百田夏菜子の発言も良いものが多かったです。流石リーダー。

会員登録していただいた方に、毎週金曜日にメールマガジン(無料)をお届けしております。

「今週のコラム」など「メールマガジン限定のコンテンツ」もありますのでぜひご登録ください。

▶︎過去のコラム例

・週に1回の長距離走ではなく、毎日短い距離を走ることにある利点

・昔の時間の使い方を再利用できる場合、時間の質を大きく変えることができる

・医師・中村哲先生の命日に思い返した「座右の銘」について

メールマガジンの登録はコチラから。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

記事URLをコピーしました