田中 新吾

人間は「交換」することができれば、かなり満足できる。

山の民と海の民の物々交換。

経済はこの営みから始まったという話は聞いたことがある人も多いはずだ。

そして、このお話は「山の民と海の民、それぞれに「余剰」があったから交換をしはじめた」という解釈が流布しているように思う。

少なくとも私に関してはそう思っていた。

ところが、フランス文学者の内田樹氏の著作「疲れすぎて眠れぬ夜のために」の中でこれとは異なる解釈があることを私は知った。

それが「山の民と海の民は物が余ったから交換したのではなく、交換したかったからたくさん収穫した」という説である。

別に要るだけ採っていればそれで十分足りたはず。

なのになぜ余るほど採ったのか?

それは山の民も、海の民も、交換することが愉しかったから。

だから多めに作り、多めに採った、というのだ。

それから分業が生まれ、階級が生まれ、国家は生まれた。

そして内田氏はこの「交換したかったから」こそが人間性の本質だというのだ。

私たちは交換ができればそれでよい

本書の中で内田氏は、人類学の用語の中に「交話的機能」と呼ばれる概念があることを紹介している。

曰く、これを提唱したのは言語学者のローマン・ヤコブソンという人物だそうだ。

ヤコブソンはこの概念を説明する上で「新郎新婦の会話」を実例として挙げている。

「とうとう着いたね」

「着いたわね」

「いい景色だね」

「ほんと、いい景色」

「気持ちいいね」

「ええ、すごくいい気持ち」

このように新郎新婦というのはお互いに「同じこと」を繰り返す、というものだ。

お分かりの通り、この会話というのは情報交換のためのものではない。

これらは「ここにあなたからのメッセージを一言漏らさず聞いている聞き手がいますよ!」という事実を告げるためのコミュニケーションである。

ヤコブソンはこのようなメッセージ交換こそが「交話的機能」だとした。

私たちは電話をかけた時に相手に当たり前のように「もしもし?」と尋ねる。

これも「このメッセージはあなたに届いていますか?」という「コンタクトが成立していることを確認するためのメッセージ」であるため「交話的機能」に類するものと言えるだろう。

そして、交話的機能が人間にとって遥かに重要であることを示すエピソードがある。

とある社会学者による話だ。

昔まだコンピューターが初期の頃、アメリカで「イライザ」というソフトが開発された。

イライザはこちらが何かメッセージを打ち込むと返事をするソフトだったという。

参考:ELIZA

つまり「私はタナカです」と打てば、「あなたはタナカさんですね」と返ってくる。

「私は今日は疲れているんです」と打てば、「あなたは今日お疲れなんですね」と返ってくる。

こんな具合のやりとりが行われるのだ。

見ての通りだが「イライザ」は私たちに新しい情報を伝えてくれるわけではない。

あくまでも、こちらが発したメッセージに対して「あなたのメッセージを受け取りました」というメッセージを返してくるだけである。

ところが、これを神経症の方の治療に使ったら「はっきりとしたポジティブな効果があった」というのだ。

以上をふまえて内田氏は下のように主張をまとめている。

・ただ言葉を送り言葉を返すという「やりとり」があるだけで人間は「もつ」

・この「やりとり」というのが人間性の本質で、これさえ満たされれば人間はかなりの満足を覚えることができる

これらは以前私が書いた記事にも関係して正しくその通りだと思った。

参照:仕事の飲み会における「くだらない会話」にも大きな価値があることが、ようやく分かった。

そして内田氏は以下のように続ける。

・「やりとり」というのは「交換」で人間は交換が好き

・「交換」こそが人間性の本質

私たちは交換ができればそれでよい」というのは言語化すると大したことはないと思うかもしれない。

しかし、私にとっては慧眼に思え、とても大切な発見となった。

自分が満足できる交換さえできていればお金など要らない

話は変わるが、私が大好きな漫画の中に「こづかい万歳」という漫画がある。

「毎月こづかいの遣った額を発表し合い、どちらが遣った額が少なかったかを勝負して「ゴチになります」的に日々を楽しんでいる夫婦」

「人の邪魔にならない駅構内の片隅を「ステーション・バー」と勝手に命名し、少ないこづかいでも「飲み」を楽しんでいる47歳のサラリーマン」

「毎月のこづかい(2万円)を使うたびに、「ポンタポイント」が溜まるような仕組みをつくり、ポイント交換で楽しみを増やしているご近所さん」

作者である吉本浩二先生のご近所さんやお知り合いなど、様々な人の「実話」に基づくこづかいをめぐる話がいずれも本当に面白い。

そんな中、個人的にとりわけ好きなエピソードがある

第12話「こづかい0円」の超人「谷健さん」が出てくる回だ。

作者の吉本浩二先生は谷さんを「こづ界の金メダリスト」と太鼓判を押している。

以下に該当箇所の一部を引用させていただく。

この嘘のような話も、「私たちは交換ができればそれでよい」という考え方を通すと満更でもないと思えてくるのだ。

手作りのクッキーでお菓子と「交換」し、

そのお人柄でお古の本やCDを「交換」し、

日々の同僚との充実した人間関係の中でメッセージを「交換」する。

そして、これら沢山の交換が成立することによって谷さんは十分すぎるほど満足しているのだ。

こづかい0円の谷さんから学べる教訓とは一体何なのか?

それは「自分が満足できる交換さえできていればお金など要らない」ということなのだと私は思う。

私たちにとって最も価値ある大切なことは「交換」というやりとりができることなのだ。

どのようにして「交換」というやりとりを成立させていくのか?

言うまでもなく、近代の資本主義というのは「お金」を中心にして動いている。

しかし、マルクスが分析した通りお金はそれ自体にはなんの価値もない。

だが、そんなお金にも唯一の価値と言えるところがある。

それは一体何か?

内田氏の主張をふまえれば、お金の唯一の価値は「持っておくと何かと交換できる」ところにあるのだと私は思う。

Aという車を手に入れるために必要なお金があれば、お金と車を「交換」することができる。

Bという技術を持っている人にその技術を提供していただくために必要なお金があれば、お金と技術を「交換」することができる。

Cという会社の株を保有するのに必要なお金があれば、お金とビジネスオーナーという権利を「交換」することができる。

こんな具合に、山の民と海の民の「交換したい」からはじまった人類の交換は、お金という便利な道具を発明したことによって、交換量を爆発的に増やし、私たちの「交換したい(交換欲求)」を満たしてきている、と言っていいだろう。

しかし思うに、ここで内田氏の主張をあらためて持ち出して考えると、結局人間は「交換」ができれば十分に満たされるということから、必ずしもお金を使った交換でなくてもいい、ということになる。

実際、こづかい0円に登場する谷さんのように、お金を一切介さず「交換」という概念とらえたムーブも見かけるようになってきた。

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「交換したい」という欲求が人間性の本質なのであれば、これを満たそうとしなければ良い人生を送ることはできないのだろう。

しかし思うに「交換したい」を満たすのがすべてお金との交換でなくてもいいはずだ。

お金と時間を交換する。

お金と物を交換する。

お金とスキルを交換する。

だけでなく、

メッセージとメッセージを交換する。

物と物を交換する。

スキルとスキルを交換する。

気持ちと気持ちを交換する。

というように、実際に成立するかしないかは別にして、選択肢は複数あり交換の仕方に決まりはない。

交換できる量が少ない人に比べて、交換できる量が多い人というのはより自由と言っていいだろう。

更に、交換パターンが少ない人に比べて、交換パターンが多い人というのもより自由だ。

これから先の人生において、私はどのようにして「交換」というやりとりを成立させていくのか?

QOL的な観点からも、この問いを持っておくことは結構大事なことなんじゃないかと今思う。

Photo by Clay Banks on Unsplash

【著者プロフィール】

田中 新吾

ポケットモンスター赤緑が大ヒットとなったのは通信ケーブルを使った「対戦」や「交換」という仕組みがあったからと言われていますが、今ならそれもよくわかります。

プロジェクトデザイナー/ブロガー/ポッドキャスター。プロジェクトネーミングを起点にプロジェクトチームの運営をするのが得意です。元マーケティング支援会社。複業実践中。詳しいプロフィールはHTML名刺をご覧ください。

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