田中 新吾

「人生一生自己紹介」を「アウトプット中心の生き方」だと捉えたら、腹に落ちた話。

タナカ シンゴ

人生一生自己紹介

これは私が昔お世話になった経営者の方の「座右の銘」だ。

その方から、この言葉を教えていただいたのは今から10年以上も前になる。

若干うろ覚えだが、確かこんな具合の説明を受けた。

「今日きちんと自分を紹介できて、明日、今日よりもうまく自己紹介ができるようになる事が大切」

「自己紹介なんて面接の時くらいしかないと思うかもしれないが、仕事では毎日だ」

「社長なんて一日中自己紹介している」

「ある時は自分を、ある時は会社を、ある時は商品を売っていかなきゃいけないから」

ということだったが、当時まだ社会人経験が少なかった私には、なんとなーく分かる程度でその説明を聞いてもいまいちピンと来ていなかった。

むしろ「人生一生自己紹介」という言葉に対して、

「言ってもそんな自己紹介する機会あります?」

「それはちょっと大袈裟では?」

といった考えが先行していたことは、隠すつもりも毛頭ない。

そして実は、30代になってもこの考え方を引きずり、なかなか喉を通らずに痞えていた。

ところがである。

30代半ばになってようやく「人生一生自己紹介」という言葉が、私の腹の中に落ちていくタイミングがやってきたのだ。

何かというと、

「人生一生自己紹介」を「アウトプット中心の生き方」だと捉えたらストンと腹に落ちた、のだ。

以下に詳しく書いていきたい。

「人生一生自己紹介」とは「アウトプット中心の生き方」

私が「人生一生自己紹介」を「アウトプット中心の生き方」と捉えるようになったのは、ふとパラパラ読み返していた「自己紹介2.0」という本がきっかけだった。

この本に目を通したのはこれで二度目なのだが、再読後、自分にとっての「自己紹介」は下のように再定義された。

自己紹介とは、相手との間に「信頼を創造する」ために、自分が「何を考え、何をしているのかを、周囲に伝えること」のすべて。

広辞苑には、

じこ‐しょうかい【自己紹介】
〘名・自サ変〙 初対面の人などに、自分で自分の名前・経歴・職業などを知らせること。

とあるが、私の中ではこのような一般的な意味ではもうなくなった。

そして、「何を考え、何をしているのかを、周囲に見せること」は、一言でいえば「アウトプット」である。

アウトプットの考え方については以前別の記事にも書いたのだが、

参照:「信用」を積み重ねない「アウトプット」を見ると愚かだなと思ってしまう。

図らずもこのような形で、今まで私の中で1ミリも繋がっていなかった「自己紹介」と「アウトプット」の間に、新たな関係性が出来上がった。

相手との間に信頼を創造することを目的とするアウトプットは、すべてが「自己紹介」だと捉えるようになったのだ。

したがって、

・提案書を書く

・議事録をまとめる

・メールを送る

・会食をセッティングする

・会議に参加する

・電話に出る

・部下にフィードバックする

・礼儀正しく振る舞う

・雑用をする

・部下の相談に乗る

・協力者や発注者へのオリエンをする

・記事を書く

これらの「アウトプット」はすべて自分にとっては「自己紹介」となり、

・家の掃除をする

・挨拶をする

・洋服を着る

・食事の支度をする

・子育てをする

・どこかに一緒に出掛ける

・農作物をつくる

・相手を楽しませる

といった、仕事に直接的に関わらないような「アウトプット」も、「自己紹介」として捉えられるようになった。

「人生一生自己紹介」とは「アウトプット中心の生き方」。

実際には、冒頭の経営者の方の真意とは異なるかもしれない。

しかし、このようにして捉えることで「人生一生自己紹介」という言葉は、私の腹の中にストンと落ちていった。

抽象化とは、私たち人間の思考を進化させ、営みを発展させてくれる「技術」

これに対して「なんだそんな当たり前のことか」と思う人もいるかもしれない。

だが、私にとってこの発見は大変目覚ましかった。

なぜなら、私の頭の中で「複数のものをまとめて一つのもの」として扱う「抽象化」が行われたからである。

抽象化を制するものは思考を制す

このように述べるのは「具体と抽象」の著者 細谷功氏 である。

細谷氏は本の中で「抽象化の本質」について下のように述べている。

これほど役に立ち、人間の思考の基本中の基本であり、人間を人間たらしめ、動物と決定的に異なる存在としている概念なのに、理解されないどころか否定的な文脈でしか用いられていないことは非常に残念なことです。

(中略)

鮪(マグロ)も鮭(サケ)も鰹(カツオ)も鯵(アジ)も、まとめて「魚」と呼ぶことで、「魚を食べよう」とか「魚は健康に良い」という表現が可能になり、「魚類」の研究が進むことになります。

「魚」という言葉(や同等の言葉)を使わずにこれらを表現しようと思うと、いちいち個別の魚の名前をすべて挙げることになります。

さらにいえば、「鮪」という名前も、何万匹といる個別の鮪を「まとめて同じ」と扱っているからつけられたのです。

「いま、○○沖のA地点で群れて泳いでいる先頭の鮪」と「昨日××さんが築地に揚げて、今セリを待っている手前から三列目、左から五番目の鮪」を鮪という言葉を使わずにすべて区別していたら、どれだけ大変なことになるか、文字どおり「想像を絶する」ことになるでしょう。

(中略)

抽象化なくして科学の発展はなく、抽象化なくして人類の発展もなかったといってよいでしょう。

鮪(マグロ)、鮭(サケ)、鰹(カツオ)、鯵(アジ)をまとめて「魚」とできるから、

「魚を食べよう」「魚は健康に良い」という表現が可能になり、「魚類」の研究も進む。

「いま、○○沖のA地点で群れて泳いでいる先頭の鮪」と

「昨日××さんが築地に揚げて、今セリを待っている手前から三列目、左から五番目の鮪」

をまとめて「鮪」とできるから、商売が成り立つ。

要するに、抽象化とは、私たち人間の思考を進化させ、営みを発展させてくれる大切な「技術」なのだ。

実際に私は、

「会議に参加すること」も

「メールを送ること」も

「協力者にフィードバックすること」も

すべて、「自己紹介」だと捉えるようになってから、一つ一つの品質に以前よりもエネルギーを注ぐことができるようになったことを感じている。

これは「自分事にする」の文脈でよく語られることだが、「自分のため」と思えた瞬間に沸き出るエネルギーというのはやはり一味も二味も違う。

最初の自己紹介は「自己紹介のはじまり」

言うまでもなく、ほとんどの仕事が、上司、部下、外部協力者、そして顧客といった、周囲の協力を取り付けることではじめて「成果」につながっていく。

結局、どんな「成果」も一人では為し得ることはできない。

したがって、相手との間に「信頼を創造する」ことは仕事をはじめ他者と協働することにおいて、何よりも重要なことと言えるだろう。

アウトプットというのは、あらゆるものに私が「何を考え、何をしているのか」が宿り、私の「自己紹介」となって、相手の目に入っていく。

そして、「アウトプットという形をした自己紹介」を受けとった相手は、その内容や、過去のアウトプットを参照し、私を信頼するに値するかどうかを見定める。

結局、人間社会ではこれが常に繰り返し行われているのだ。

冒頭の話の通りに、私は今まで「誰かとはじめて会ったときにする自分の紹介」だけを「自己紹介」だと思い込んできた節がある。

しかし、この捉え方は自己紹介の意味や価値をギュッと狭めてしまっている。

そのことにようやく気付くことができた。

よくよく考えてみれば、最初の一回で自己紹介が終わるはずもない。

思うに「最初の自己紹介」は「自己紹介のはじまり」と捉えるのが本質的だ。

それに、個人的な経験則だが、

最初の自己紹介以上に、それから先の「アウトプットという形をした自己紹介」の方が相手によく覚えてもらっている。

だから、仮にも最初の自己紹介があまり上手く出来なかったとしても、そんなに落ち込まなくていい。

実は最近、最初の自己紹介が上手くできずに落ち込んだことがあった。

そんな自分を擁護し、自分で自分を励ますようでもあるのだが、自己紹介をするチャンスは後にいくらでも待っている。

明日、今日よりもうまく自己紹介ができるようになればいいだけだ。

「人生一生自己紹介」という座右の銘の意味、そして、それが持っている価値が今になってようやく分かってきた。

Photo by LinkedIn Sales Solutions on Unsplash

【著者プロフィール】

著者:田中 新吾

「諦める」は分断を生み、「分かる」は偏見を生む。

だから、「問い続ける」こと、「理解しようとし続ける」ことが大事。

これは最近知った伊集院光さんの言葉なんですが、共感値が今年一高いかもしれません。

お客様(企業や自治体やNPO)が求めるプロジェクトの歯車になるのが仕事。プロジェクト推進支援専門のハグルマニ(https://hagurumani.jp)代表。PJメンバー共通の景色となるネーミングやコンセプトの構築もします。タスクシュート認定トレーナーとして自分らしい時間的豊かさを追求する方々の支援にも注力中。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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これからもRANGERをどうぞご贔屓に。

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