一人の女性と出会って「人生に遅すぎることはない」と思った話。
10月に私が運営しているとある講座(フィールドワーク)で、一人の傑出した50代の女性に出会った。
その人は、私が知っている誰とも繋がりのない全く初めての方だった。
彼女と他数人に、現地まで私の車に同乗してもらうのが合理的という考えに至り、お互いに初対面だったが行きの車から行動を共にさせてもらった。
先に結論を言ってしまうと、私はその女性に同乗していただいて心の底から良かったと思っている。
行きの2時間弱の車の中で、彼女の口から出て来た話で最も驚いたのが「50歳になってから鍼灸師になった」というものだ。
聞くと、それ以前は「異文化コミュニケーション」に関連する仕事をされていたという。
50歳になった時、思い立った彼女は「東洋医療/鍼灸」の専門知識と技術が学べる学校へ入学。
そして「はり師・きゅう師・あん摩指圧マッサージ師」の国家資格を取得するに至った。
その後、在学中に知り合った男性と二人で鍼灸サービスを開業。
「頭脳が興奮するまま、何時間もPC作業をしてしまいうまく睡眠がとれない」
「熱中するあまり同じ姿勢で本や資料をよみふけり、肩こり・腰痛が悪化する」
「オンラインの会議が何時間にもわたってしまい自律神経失調症気味」
「いつも仕事のことが頭を離れずリフレッシュできない」
このような悩みを抱える方に対して、日本伝統の鍼灸を提供しているということだった。
そして、そんな彼女との会話をしていた私の頭の中には、ある言葉が思い出されていた。
それが「人生に遅すぎることはない」というものである。
人生に遅すぎることはない。50歳でも、60歳からでも新しい出発はある。
「人生に遅すぎることはない」という言葉を聞いてピンとくる人は多いかもしれない。
なぜなら、日本を代表する会社「日清食品」を創業した人物が遺した言葉だからだ。
その名は、安藤百福(ももふく)。
NHK朝の連続テレビドラマ小説「まんぷく」のモデルになった人、と言えばよりピンとくるだろうか。
日清食品といえば、今最もビジネス・マーケティングを見習いたいとされている企業でもある。
参照:マーケティングを見習いたい企業 日清が国内トップ、斬新な挑戦に評価
そんな日本を代表する会社を立ち上げた人物の生き様が「40歳から成功した男たち」という本の中で紹介されている。
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以下に、要約をご紹介したい。
1910年に生まれた百福は、立命館大学専門学部経済科を修了。
第二次世界大戦後、製塩、漁業、栄養食品などの「食品加工事業」で成功を収め財を成した百福は、高級な服装を身に付け、高級車を乗り回す生活を送っていた。
しかし、そんな彼の周りにはいつも多くの人が集まっていた。
地元の若者たちを多く雇い入れていたからである。
地域住民からの評判もよかった。
ところが、ある男の口車に乗せられて理事長になった信用組合の倒産をきっかけに、家を除く財産のすべて失ってしまう。
百福はしばらくの間、何もやる気が起きなかった。
ただ家の中に引き篭もり生活をするだけ。
しかし、一度財産を手にした男は違った。
「私はすべてを失ったつもりでいたが、よく考えれば失ったのは財産だけではないか。しかもその分貴重な経験ができた。それは確かに私の血となり肉となっているはずだ。」
「さて、次は何の事業をはじめようか」
財産を失い無一文になっても、彼の起業家としての魂は失われていなかったのだ。
当時、百福は47歳だった。
そんな百福はある日、戦後またとないところに見たラーメン屋台の行列を思い出した。
実は百福は倒産する前から麺食を広めたいと考えていたのだ。
しかし、パンに比べて麺は大量生産するシステムがなく、毎日手打ちで作るのが普通であった。
誰に話しても、ラーメンは家で食べるものではなく屋台で食べるものという発想。
しかし、百福にはラーメンに需要がないとは思えなかった。
「ラーメンが売れていないのは、工夫が足りないから」
そう考えた彼はラーメンが売れるために必要なことを考えた。
・美味しい
・値段が安い
・調理が簡単
・保存が利く
・衛生的
百福は思った。
「これらの条件を満たしたラーメンを工場で作ることができれば、必ず成功する」
「お湯をそそぐだけで食べられるラーメンが作れないか」と。
ここから彼の「敗者復活戦」がはじまった。
早朝から深夜まで、狂気の挑戦の繰り返し。
毎日寝るのは深夜1時〜2時。睡眠時間は4時間ほどしか取らず、休みもなかった。
麺の乾燥に適した季節が冬だと分かると、凍てつく寒さの中でも作業を行った。
47歳の百福には身悶える作業だったはずだ。
そして、研究開始から約1年。
ついに全ての条件を満たすラーメンが完成した。
麺を高熱で短時間蒸し、スープに浸して味をつける。
それを油で揚げることで、熱いお湯をかけると2分で美味しいスープに入ったラーメンが食べられるのだ。
世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」誕生の瞬間だった。
そんなチキンラーメンが初めて売れたのは台風が迫る、雨風の強い日だった。
百福はチキンラーメンを売りたい一心で自転車で駆け回った。
「日本人はラーメンが大好きなんです。それが手軽に食べられるとなれば売れないはずがありません」
台風の中、店まで来てくれた熱い思いとチキンラーメンの味の良さ。
うどんが1袋6円だったのに対して、チキンラーメンは35円と高かったが、問屋の主人の心は百福の必死の訴えによって動いたのだ。
1958年8月25日。
ついにチキンラーメンは世に送り出されることとなった。
そして、この取引がきっかけとなり取り扱いは増え、しまいには発売1ヶ月も立たずに注文は殺到することとなった。
問屋からの注文はどんどん増え、工場の電話は鳴り止むこともなく、生産が追いつかない状態に。
この年の12月に百福は社名を「日清食品」に変更した。
チキンラーメンはさらに飛躍し、百福は48歳にして再び成功を手にしたのである。
そんな彼は、平均寿命65歳の時代に開発時の苦労を振り返りこう語った。
「人生に遅すぎることはない。50歳でも、60歳からでも新しい出発はある。」
この言葉は年齢のことだけを言っているのではない。
思うに、百福は、人生の再出発を期することもまた「遅すぎる」はないということを、ここに込めているのだろう。
「やる側」の人生でいくのか、「やらない側」の人生でいくのか
話は冒頭の「50歳になってから鍼灸師になった」女性についてである。
翌日、フィールドワークを終えた私たちは帰路についた。
そして、車内は彼女との会話で再び盛り上がった。
行きの車では、鍼灸師になる以前は異文化コミュニケーション関連の仕事をされていたというところまでしか私は知り得なかった。
だが、帰りの車でその詳細は判明した。
なんと、彼女は鍼灸師の学校に通う前まで「異文化コミュニケーション」を専門(特に、ラテンアメリカ)にした「大学教授」をしていたのだ。
詳しく聞けば、国際経験も非常に豊富であることも分かった。
そして肝心な「なぜ50歳になってから鍼灸師に転身したのか」についても詳しく話をしてくれた。
・今までの50年は日本の人たちにラテンアメリカの良さを伝えることに従事してきた
・その中で、西洋と東洋の間にある溝を架橋するための戦略的フィールドとして「身体」こそが人類にとってコミュニケーションの土台であることに気付いた
・「身体」にアプローチする伝統的な方法としての「東洋医学・鍼灸」には以前から興味を持っていた
・人生100年時代、残りの50年はラテンアメリカの人たちに日本のいいところを伝えることをしていきたいと考えるようになった
行きの話と帰りの話は、私の頭の中で見事にリンクした。
自分自身の関心に素直に従い、コンフォートゾーン(安全地帯)を抜け出て、新たな分野に挑戦する。
しかも、50歳という年齢からである。
彼女の話によれば、顧客も着実についてきているということだった。
私は心の底から感服してしまった。
数年後、再び彼女に会う機会があるならば、その時にはこう言われるかもしれない。
「人生の再出発を期するに遅すぎることはありません。50歳でも60歳からでも新しい出発はできますよ。」と。
思うに、人生というのは「当事者経験」の有無で見える世界がガラリと変わるようにできている。
やった人には見える世界があり、やらなかった人にはその世界は見えない。
ただそれだけ。極めてシンプルだ。
48歳で日清食品を創業した安藤百福や、大学教授を辞し50歳で鍼灸師になった彼女のように「やる側」でいくのか。
はたまた「やらない側」でいくのか。
選択肢はいつ何時も、この二つに一つなのだろう。
Photo by Mason Kimbarovsky on Unsplash
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|プロジェクトデザイナー|タスクシュート認定トレーナー|WebメディアRANGER(https://ranger.blog)管理人|ネーミングの仕事も大好物|白湯の魅力や面白さをお伝えする活動もしています(@projectsau)
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
以前、60歳からPCを使いはじめ、80代でアプリを開発した女性が話題になった時がありました。この時「若いほどいい」も思い込み、だと思い知らされました。
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