田中 新吾

「沈黙の期間」が「自分だけの愉しさ」を確固たるものにする、という話。

タナカ シンゴ

先日、以下の記事を読んだ。

人生で真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」

例えば、「フロー理論」で知られる、ミハイ・チクセントミハイは、その著書「フロー体験 喜びの現象学」の中で、面白さを見つける能力に長けた人物を紹介しています。

その人物は、鉄道車両を組み立てる南シカゴの工場で働く、「ジョー」と呼ばれる六十代の溶接工。

彼の職場はひどい状態でした。

夏は猛暑、冬は過酷な寒さ。騒音もひどい。
そして、彼は昇進の誘いをすべて断り、工場の階層の最低のところにとどまっていました。

しかしジョーはその仕事すべてをとても楽しんでいました。
正規の訓練は受けておらず、学歴も小学校までしかない彼でしたが、彼は発見の魅力にとりつかれ、工場の機械を探求していました。

結果として、誰もがジョーを知っていて重要な人物だと感じていました。
彼は工場のすべての操業過程を理解し故障した機械類はすべて修理できたからです。

彼はまた、自宅ではDIYに熱中し、庭のスプリンクラーの改造に勤しみ、夜中でもライトアップした自宅で虹が見えるように、様々な工夫を施していました……

私は数多くの職場を見てきましたが、確かにどんな職場であっても、少なくない人々が、「ジョー」のように、楽しげに振る舞うのを見ています。

同じように、おそらく「こづかい万歳」に出てくる人物たちは、皆多かれ少なかれ、「ジョー」の特性を備えているのでしょう。

そう言う意味では、真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」だと、私は思うのです。

※引用内、太字部分は私が加えたものです。

「こづかい万歳」という漫画の魅力が、論理的に、個人的なエピソードも交えながら語られており、その主張に個人的にかなり共感した。

正式名称は「定額制夫のこづかい万歳」。

Twitterなどでも話題になっているためご存知の人も多いと思うが、私も毎回更新を楽しみにしている漫画の一つだ。

作者である吉本浩二先生の「少ないこづかい生活」の第一話を皮切りに、

その後は、ご近所さんや知り合いなど様々な人の「こづかい生活」のルポ漫画となっていくわけだが、登場人物それぞれの実話に基づく内容がいずれもめちゃくちゃ面白い。

例えば、

毎月こづかいの遣った額を発表し合い、どちらが遣った額が少なかったかを勝負して「ゴチになります」的に日々を楽しんでいる夫婦。

人の邪魔にならない駅構内の片隅を「ステーション・バー」と勝手に命名し、少ないこづかいでも「飲み」を楽しんでいる47歳のサラリーマン。

毎月のこづかい(2万円)を使うたびに、「ポンタポイント」が溜まるような仕組みをつくり、ポイント交換で楽しみを増やしているご近所さん。

衝撃の「こづかい0円」の猛者が登場する回だけでも是非読んでいただきたい。

「お金がなければ幸せにはならない」というような、資本主義的な感覚が強い場合、登場人物のそれは奇行にしか思えないかもしれない。

だが、全く違う立場にいる人たちのことを知ったり、幸せは相対的であることを考えたりする上で、この漫画には沢山の学びがあると感じている。

「自分だけの愉しさを作る」ことの重要性

そして、私がこの漫画を通して強く感じていることが「自分だけの愉しさを作ることの重要性」である。

「楽しむ」ではなく「愉しむ」としているのには明確な理由がある。

辞書で調べると二つの意味の違いは明白だ。

楽しむ・・・与えられたこと(物理的に)に対して楽しく過ごすこと。

愉しむ・・・自分自身の気持ち、思いから感じ生まれるたのしい状態。

言い換えると、「楽しむ」は受動的なイメージで、「愉しむ」は能動的なイメージとなるだろう。

例えば、周りから「つまらなさそう」とか「面白くなさそう」と思われたとしても、それを愉しむことは結局すべて自分次第。

つまり、自分自信の捉え方でいくらでも変わるというのが「愉しむ」なのだ。

思うに、自分が何をしたいのかを知らない人というのは、自分で「愉しむ」を作ることができない人と同一。

したがって、「楽しむ」は外から享受する他なく、自分以外のところにあるものだとキョロキョロしながら探している。

こういう人は「これで楽しめますよ」というSNSなどに流れてくる宣伝や商売にとても引っかかりやすい。

そして、現代は「これで楽しめますよ」と釣り上げ、高額を払わせ、それが人生を楽しむことだと思い込ませるようなものが結構多い。

私は最近よく思う。

「それって本当に楽しいことなのだろうか?」と。

思うに「たのしむ」というのは本来もっと個人的なものなはずだ。

だから漢字で表すならば「愉しむ」という方がしっくりくる。

しかし、こういう考えを20代の頃に持っていたわけではない。

30代になり、自分で会社をつくるなどもして、あれこれ試行錯誤してきた時間があってこそ思い至ったものだ。

そして、このように考えているからこそ「自分だけの愉しさを作ることの重要性」を枚話教えてくれる「こづかい万歳」が、私の目に物凄くキラリと光って映るのだろう。

外に発信することよりも「自分だけの愉しさ」を見つけることの方が先決

話は変わるが、ここ1年くらい私はあることにどっぷりハマっている。

「白湯(さゆ)」という飲み物だ。

「白湯ってお湯でしょ?」

「お湯の何にそんなにハマるわけ?」

こういう声をところどころから頂いたりするわけだが、私にとって「白湯」は今完璧に「自分だけの愉しさ」に仕上がっている。

白湯に出会ってかれこれもう2年ほどが経つ。

心理学者のハワード・ガートナーは、ドラマチックで忘れにくく、何かに魅了されるような経験を 「結晶化」と言い、またの名を「クリスタライジング」と呼ぶ。

彼よると、クリエイティブ思考の多くのひとは、誰かと出会い、あるいは何らかの本を読み、あるいは何かをして、

これが本当の自分だ、これがわたしのやりたかったことだ、人生をかけてするべきことだ

と感じた瞬間のことを鮮明に覚えているそうだ。

こうしたものに出会うことができると「それをやりたい!」と自然と思うのでとても強い動機づけになる。

白湯と私の関係性はこれに近いのかもしれない。

今では白湯をテーマにしたポッドキャスト番組なども運営するようになり、対外的な発信もするようになった。

各所からコラボレーションの話も頂くようになり、日を追うごとに愉しさが増しているような状況だ。

だが、白湯にハマり出した時期と、ポッドキャストやTwitterなどで外向けの発信に力を入れるようになった時期には1年くらいの「タイムラグ」がある。

実を言うとこの期間は私が「意図的」に作り出したものだ。

ではいったい1年の間に何をしていたのか?

端的に言えば「自分だけの愉しさ」を見つけることに注力していた。

もう少し具体的に言うと、

白湯を習慣化させ、自分にどのような変化をもたらすかという人体実験からはじまり、白湯にまつわる周辺テーマ(鉄瓶ほか)の掘り起こし、白湯のみならず身体まわりの文献を調べたりするなどして、自分と白湯の結びつきをあらゆる方面から探していたのだ。

より詳細に言えばキリがない。

そして、このようにしていた理由も自分の中には明確にある。

私にとって、外に向けて発信することよりも「自分だけの愉しさ」を見つけることの方が先決であったからだ。

「自分だけの愉しさ」は「沈黙の期間」が確固たるものにする

つい最近「勉強の価値」という森博嗣さんの著書に目を通したばかりなのだが、この本の中に「これぞ我が意を得たり」という項目を偶然見つけた。

森さんは本の最後の方で「個人研究」への取り組みをススメている。

勉強の本質的な価値を知るには「個人研究」こそ打ってつけというのだ。

曰く、個人研究とは、本当にどうでも良いこと、小さなこと、誰も目を向けないようなことをテーマにして、徹底的に調べたり、あるいは試したりするもの。

いわゆる「研究」とは世の中に存在しない知見を得る行為である。

したがって、既にある知見を学ぶ「勉強」と比べて普通の人にはハードルが高く、ちょっと考えただけで尻込みする人も多い。

だが「個人研究」はそこまで本格的なものではなく、趣味に近いものだと考えて良いのだという。

そして、私にとって遥かに大きな発見となったのは以下の項目だった。

研究は秘密裏に

ここで大事なのは、しばらく人には話さないことである。
あくまでも、自分一人の活動として、日々少しづつ進めるのがよろしい。

記録は残した方が良いけれど、ネットなどでの公開は控えよう。
少なくとも1年か2年は黙って秘密裏に進めることをおすすめする。

何故なら、その沈黙の期間に、あなたはきっと自分だけの「楽しさ」を見つけることができるからだ。

公開すると、たちまち他者を意識したものになるし、また反響があることで、自分の動機が濁ってくるだろう。

人のために、という部分が出てくると、目的を見失うことになりかねない。

まずは自分の楽しみを見つける方が先決で、それが確固たるものになってからならば公開しても大丈夫だと思われる。

ここで森さんは「楽しさ」を使っているが、私が使う「愉しさ」とほぼ同意だと思われる。

現代はインターネットのおかげで誰でも簡単に世界中に向けて発信することができる。

そうすることで近しいテーマの人からヒントをもらうこともあるだろう。

場合によってはネガティブな反応をもらうなどの非難もあり得る。

思うに、こういう場合でも「自分だけの愉しさ」が確立していれば、ほとんどそれから影響を受けることがない。

しかし、

確立する前に、他者の意見をもらってしまうと無駄に脳のリソースを喰ったり、無駄に感情に惑わされたりもしてしまう。

要は、自分自身にメリットが見当たらないのだ。

私のこういった考えのベースになっているのは、受験勉強時代にお世話になった「自分のフィールドを作りなさい」という塾長の教えにある。

このように考えてきたからこそ「まさに我が意を得たり」というように綺麗に言語化された森さんの主張を見つけた時、感銘を受けないわけにはいかなかった。

「自分だけの愉しさ」というのは「沈黙の期間」が確固たるものに仕上げてくれるのだ。

確固たる「自分だけの愉しさ」だから「誰かの愉しさ」にもなり得る

そして、確固たる「自分だけの愉しさ」というのは「誰かの愉しさ」にもなり得る。

いや、確固たる「自分だけの愉しさ」だから「誰かの愉しさ」にもなり得るのではないだろうか。

最近のことでは、白湯における「自分だけの愉しさ」が少しづつ拡がり出していることで実感している他に、今年の7月にリニュアルしたばかりのこのWebメディア「RANGER」でも同様のことを感じている。

リニュアルを行った意図は、外部のライターさんにも寄稿いただけるような場所にして、本腰を入れてWebメディアを運用したいと考えたためだ。

実は、このリニュアルをリリースするに至るまでにも約1年間の「沈黙の期間」を設けている。

なぜなら、外部のライターさんに参加いただく場所に仕立てるにしても「自分だけの愉しさ」を確固たるものにする方が自分にとっては先決だったからだ。

そうして生み出されたのが「幅を愉しむ」というコンセプトと、「RANGER」というネーミングである。

リニュアルをしてからまだ間もないが、有難いことに共感したと声をかけて下さる方(読者さんや外部のライターさん)が少しづつ現れてきているような状況になってきている。

仮にも、もし「自分だけの愉しさ」が確固たるものでなかったとすれば、今こうはなっていないかもしれない。

ちなみに、この「自分だけの愉しさ」を確固たるものにする、というやり方は実は他にも色々なところに応用している。

例えば「記事を書くこと」もその一つだ。

何かというと、私は記事を書く際に「自分が心から愉しいと思えるテーマを見つける」ことに一番時間を割いている。

「沈黙の期間」としては、1年とはいかないまでも1ヶ月〜3ヶ月、ものによっては半年くらいかけてテーマを探す。

そして「自分だけの愉しさ」が確立できたもののから、「これは誰かにとっても役に立つのでは?」と思うものの中から構成をつくり執筆をしている具合だ。

ちなみに本記事の素案は半年くらい前にあったものである。

最近、patoさんという有名ライターの方が「スターバックスコーヒー47 JIMOTOフラペチーノを全て飲むために47都道府県のスタバに行ってきた」という超大作が話題になっていた。

私は隙間時間で全部読み終えるのに2日かかったのだが、福島駅で「売り切れ」という概念があることを知ってからの、郡山駅での神フラペチーノが個人的なハイライトだ。

これを読んだ時、patoさんの確固たるというか、圧倒的な「自分だけの愉しさ」を感じた。

そして思うに、それが「他の誰かも知りたいこと」である可能性が高いからこうして記事にしたのではないだろうか。

「自分だけの愉しさ」を確固たるものにすると「誰かの愉しさ」にもなる、というのは、子供の頃に「砂場遊び」をしていたあの感じにも近い。

誰にも目をくれず黙々と「最高の砂団子」を作ることを愉しんでいると、いつの間にか隣に誰かがやってきていた、なんてことは誰しもある経験ではないだろうか。

簡単に発信できてしまう世の中だからこそ、

「ちょっと待って今のままで本当に誰かに言っていいんだっけ?」

と自問し、その場に踏みとどまり、一定の時間「沈黙の期間」を設けることは結構大事なことなんじゃないかと私は思う。

Photo by Ernie A. Stephens on Unsplash

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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