田中 新吾

コロナウィルスに感染して「自分のことばかり考えているから鬱になる」という話をふと思い出した。

タナカ シンゴ

去る6月15日土曜日に発熱をし、翌日日曜日に病院で検査をしたらコロナ陽性だった。

感染経路として思い当たるところが全くないからとても不思議だ。

電車くらい?

これまでコロナに罹っていないこと、というかコロナウィルスが蔓延しはじめてからというものの風邪を引いて来なかったことが実は自慢の一つだったのだが、残念ながらもう自慢することができなくなってしまった。

状況的には40℃近い高熱が5日間くらい続き、生活が元通りになるまでは約10日間を要した。

がっつり感染してしまったタイプである。

罹ってみるまでは分かりもしなかったのだが、まあ本当に大変だった。

薬を飲んで一時的に熱が下がっても、時間が経つと再び上がってくるという終わりの見えない感じが何よりも精神的にキツかった。

お腹が痛くなるとそこに意識が向いてしまうように、とにかく自分の方に自分の方に、意識が向いてしまうというか、それによってネガティブな事ばかりを考えてしまい、いつぶりかわからないくらい鬱々とした日々を過ごしていた。

そんな状態の中でふと頭の中に思い出された話があった。

自分のことばかり考えるから鬱になる」という話である。

私がこの話を知ったのは、以前にスタジオジブリ鈴木敏夫さんの著書「禅とジブリ」に目を通した時だった。

以下は、細川晋輔和尚と鈴木敏夫さんの対談部分の引用となる。

細川 西洋と日本ということで言いますと、ジブリの『レッドタートル ある島の物語』。ヨーロッパの監督ですが、非常に日本的だと感じました。あの作品は、無人島に流された男が何とか島を出ようと失敗を繰り返すうちに、結局人間は自然の一部だと気付き、島で生きることを受け入れる話ですよね。

鈴木 そう、その通りです。

細川 私は禅の「柳は緑、花は紅」に通じる映画だと思ったんです。見たもの、聞いたものを、そのまま受け止める心。私たちも所詮、自然の一部でしかなくて、身構える必要などない、という考え方です。特に『レッドタートル』の絵本版は、”島”の視点で描かれていることに感じ入りました。

鈴木 そうなんですよ。絵本版に言葉を添えた作家の池澤夏樹算が、「島を語る」という形を思いついたんです。その裏には「近代人は、近代的自我の発見によって苦しんでいる。あの発見は、人間にとって不幸だったんじゃないか」という池澤さんの指摘があります。日本だと、夏目漱石や森鴎外、彼らがその小説に自我の苦しみを描くわけでしょう?当時は、そういう一部の選ばれし人たちが苦しんだわけだけれど、現代は、その近代的自我が大衆化しちゃった時代。みんなが、それに苦しんでいる。

細川 だから自然そのものである「島」の視点で描かれたわけですか。

鈴木 そうです。「自分」にこだわるから世の中がややこしくなるわけで、「自分」さえなくなれば、気が楽になるんじゃないかと。

細川 鈴木さんは、ご自分のことで悩んだりなさらないんですか?

鈴木 そもそも僕は自分自身と向き合うことが極めて少ないんです。特にある年齢になってから「生きていくことは人のために何かすることかな」と思うようになりました。それはね、仕事っていろんな人の力を借りて、自分もその人たちに何かお返しをする、その連続だからです。六十歳になって、考えてみると結局それだなと。僕は一日の大半を人のことを考えるのに費やしていて、自分のことを考える暇がないんですよ!そうすると、悩み込んだり、鬱になることがない。という効用もありますね。

細川 すごくいいお話です。

(太線は筆者)

いかがだろうか?

私がこの本を初めて読んだのは2017年にまで遡るのだが、この箇所に触れた時、経験的にも大きく納得がいった。

自分のことばかり考えるから鬱になる」のだと。

そして、逆に言えば、一日の大半を自分以外のこと、つまり他の人のことを考えていれば鬱になりようがないということも。

今回、図らずもコロナに感染したことで思い出されたのはこれだった。

そして同時に、少し前に投稿をした「外部の強大な力が自分の身体を通り抜けて発動するように、自らを「良導体」に仕上げていく。」の中で書いた、養老孟司さんの「自己とはトンネルのようなものである」と言っていたこととも結びついた。

自分のことばかり考えていると、空だったトンネルの中身がどんどん埋まってしまい、トンネルが埋まった結果、社会のために大きな力を発揮することもできず、鬱々として言ってしまうのだろう。

外部の強大な力が自分の身体を通り抜けて発動するように、自らを「良導体」に仕上げていく。

また、最近よく読まれていた以下の記事の内容ともリンクしてくる内容だ。

「今日はどれほど他人の真似をすることができたか?」を毎日のチェック項目にしているという話。

病気までいかなくとも、心身が疲労していたり、不安になるような事柄に包まれる場合も、自分の方に意識は向いていきがちだ。

鬱にならないために、自分のことは考えない。

いやむしろ、そもそも、自分なんてない、自分なんていない、と捉える。

自分ではなく他者や自然の方に意識を向けることで、我々は心の平安を得ることができるのだ。

コロナで鬱々とした経験があるからこそ、今ここに確信がある。

以上のようなことを考えるきっかけになったことを思うと、めちゃくちゃ大変だったがコロナに感染してよかったと今は思えたりする。

ひどい後遺症が残ったりしなければ、感染症もあって然るべきものなのかもしれない。

UnsplashTusik Onlyが撮影した写真

【著者プロフィールと一言】

著者:田中 新吾

プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|プロジェクトデザイナー|タスクシュート認定トレーナー|WebメディアRANGER(https://ranger.blog)管理人|ネーミングの仕事も大好物|白湯の魅力や面白さをお伝えする活動もしています(@projectsau

●X(旧Twitter)田中新吾

●note 田中新吾

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