二宮金次郎のように「歩きながら読書」をする習慣が確立してきた、という話。
最近、新しい読書スタイルが確立してきた。
それが「歩きながら読書をする」である。
ということで、本稿では「歩きながら読書をする」について私が今思うところを書いていきたい。
はじめにこのスタイルを獲得するに至った背景から。
契機となったのは間違いなく「脳は疲れない」という知見を知ったことである。
参照:「脳は疲れない」という知見を知って、「時間の使い方」を見直した。
この知見を獲得した頃から「脳は疲れない疲れるのはむしろ同じ姿勢を取り続けた体の方」ということで、休憩というのは「脳を休めようと思う必要はなく、酷使した体の箇所以外を使う時間にする」というように考えが一変した。
例えば、長時間座って作業をしていたとすれば、次の行動は座りポーズを取らないようにするなどである。
そうして行き着いたのが「歩きながら読書をする」だ。
今の私の仕事部屋は8畳くらいの大きさなのだが、デスクワークが続いたあとはその8畳の部屋の中をウロウロと歩きながら読書をしている。
最初「歩きながら活字を読むことなんてできるのか?」といった疑問もあったのだが、やってみたら全く問題ないことが分かった。
むしろ部屋の床を足で踏むことで脳血流がよくなるからなのか、気持ちがよく読める上に、頭の中に内容が次々と入ってくる感じがある。
それでいて、その前の作業で疲れが溜まった部位(お尻や首)もケアしているのだから、一石二鳥、いや一石三鳥くらいの効果があると言っても過言ではない。
これは私にとって遥かに大きな発見だった。
昔、山道を歩きながら本を読んでいる高齢者を見かけたことが何度かあった。
その時々に「歩きながら読書をして頭に入ってくるのだろうか?」という疑問を持ったこともここで思い出したのだがこれもすっかり払拭された。
以前から読書をする時間は日々のタスクとしてスケジュールに入れていたのだが、そこに「歩きながら読書をする(という休憩)」が加わったことで本に触れる機会がより増えた。
「読書に多様な時間を充てられると1日がより充実する」
そんな確信を得ることにもなっている。
そして、タイミングよく読んでいた文化人類学者の梅棹忠夫氏の著書にはこんな文章が載っていた。
なんにもしらないことはよいことだ。
自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。
知識は、あるきながらえられる。
あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。
これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。
(太線は筆者)
今の私にまさに打って付けで、我が意を得たりとはこのことであった。
そんなわけで私は今声を大にして主張したい。
「歩きながら読書はすごくいいです」と。
「二宮金次郎」という代表的な日本人
話は変わるが「二宮金次郎」という名前を聞いて「聞いたことがない」という人はおそらく少ないだろう。
昔通学していた小学校に「薪を背負って本を読んでいる少年の像があった」という人もいるはずだ。
その少年こそが「二宮金次郎」である。
金次郎は、江戸時代の終わりの頃の人で、終生一人の農民だったわけだが「農によって人が生きる」ということにかけては誰にも及ばない知恵と実行力を持っていた。
それを知った為政者は彼に様々な頼み事をした。
そして、頼み事を金次郎があまりに見事に解決するものだからその名が全国に知られていったと言われている。
そんな金次郎について、内村鑑三は著書の中で「代表的な日本人」の一人として彼の生き様を素晴らしく明確な人物として、本当の意味での偉人として紹介している。
しかし「なぜ金次郎は歩きながら読書をしていたのか?」についてのエピソードを知る人はまだまだ多くはないのではないだろうか。
金次郎は、幼い頃に親を失くし、残された子供たちとは離れ離れになり、とても苦労している人物だ。
彼は伯父さんの家に預けられることになるのだが、叔父さんは随分とひどく酷薄な人で、金次郎への愛情は一つもなかったという。
金次郎をタダで働かせることのできる使用人としてしか見ていなかったのだ。
しかし金次郎は、このような環境にあっても腐ることは一切なかった。
むしろ「ただわけも分からず働かされるだけの学問のない人間にはなりたくない」そう思ったそうだ。
そうして彼はこっそり手に入れた「大学」という儒教の経典を繰り返し読んだ。
ところが、それを見つけた伯父さんは金次郎にこう言った。
「お前が本を読むための灯油はない。読書なんて役に立たないことはやめろ」
それでも、伯父さんに対して反抗する気もさらさらなかった金次郎は「どうすれば勉強を続けられるか?」だけを考えた。
そして彼は仕事の合間で近くの空き地を利用してアブラナを育てはじめた。
袋いっぱいのアブラナを収穫して町の油屋に持っていき灯油と交換をしたのだ。
「これでまた勉強ができる」そう金次郎は思った。
しかし、伯父さんの反応は違った。
「本なんか読む時間があったら、夜は別の仕事をして働け」
再び怒鳴りつけられても金次郎は伯父さんを恨んだりすることなく、この頃から人が見向きもしない泥沼や山の斜面に目をつけ、毎晩通ってはそこで「米」を栽培しはじめた。
金次郎の「歩きながら読書」は、こうした伯父さんという熾烈な環境と、それでも「勉強したい」という強い思いが交差する中から生まれたものなのだ。
読書をする時間が十分に取れなかった金次郎にとっては、日中仕事に向かう時、そして仕事から帰る時、歩きながら読書をするしかなかった、ということである。
その道中、こっそりと手に入れた「大学」、そして「論語」「孟子」「中庸」など、儒学の経典を中心に繰り返し読んだそうだ。
米作りは金次郎にとって決定的な前進となりやがて独立することに成功する。
自分の力で米をつくり、その米を食べ、その一部をお金に変える。
これでいくらでも好きな学問ができる。
金次郎は上手くできた米俵を背負ってついに伯父さんの家を出たのだ。
伯父さんの家を出た後、金次郎は亡くなった両親の廃屋に一人で戻った。
金次郎が生きた江戸時代後期(幕末)は、全国的に農村がとても荒れており、博打を打ったり、酒を飲んだり、ほとんど働かない農民が多くいたという。
そんな状況の中、彼は誰も耕すことのなかった山の斜面、川岸、沼地、道端などの不毛な土地をことごとく見事な農地へと変え、豊かな農民となっていった。
そして、何年もたたないうちに金次郎は多くの資産を所有するようになり、模範的な倹約家、勤勉家として仰がれる人物になったのである。
<参考文献>
場所を選んで「歩きながら読書をする」
話は冒頭の「歩きながら読書をする」が習慣になってきたという件についてだ。
本稿を読んで「歩きながら読書はすごくいいです」という私の主張を知った人の中には「そんなことをお勧めしてうちの子供が歩きながら読み始めたらどうするんだ?あぶないじゃないか!」なんて思う人もいるかもしれない。
それについてはごもっともだ。
金次郎が生きた時代とも今は違う。
思うに「歩きながら読書をする」には「場所選び」が必ずセットだ。
やはりどうしても目線が下がり、視野が狭くなることから、基本的な考え方は「誰の邪魔にもならない・自分の身にも危険がない」という視点で場所を選ぶのがいいだろう。
そういう意味では、私がやっている「家の中の部屋」は最も適しているとは思う。
最近、超有名youtuberが部屋の中で「ステッパー」を踏みながら読書をすることをススメていることを知った。
これも確かに一理あるとは思ったが、足で直接地面を踏む方が直感的に血流は良くなりそうな気が私はした。
家に庭があるのなら庭をウロウロ歩きながらだっていいだろう。
車通りや人通りも少ない農道や林道が周辺にあるならば、それこそリアルに金次郎スタイルでできるかもしれない。
それから、歩きながらだと眠くなることもないので、じっと座って本を読んでいると眠くなるという悩みがある人にもオススメできる本の読み方だ。
もしも関心が湧いたとすればぜひやってみて欲しい。
図らずも私は今、金次郎と同じ「歩きながら読書する」というスタイルにたどり着いた。
同じスタイルを取るようになったからと言って、金次郎と同じくらい大きなインパクトを社会に対して残せるとはもちろん思わない。
だがプロセスはどうであれ、日本を代表する偉人がとっていた行動に自分を重ねることができたことは、これだけでも大きな収穫になった、ということだけはハッキリと言える。
心の中に古人を持つというのはやはりいい。
ということで、今日も張り切って「歩きながら読書」をしたいと思う。
Photo by Jeremy McKnight on Unsplash
【著者プロフィールと一言】
著者:田中 新吾
プロジェクトデザイナー|プロジェクト推進支援のハグルマニ代表(https://hagurumani.jp)|タスクシュート(タスクと時間を同時に管理するメソッド)の認定トレーナー|WebメディアRANGERの管理人(https://ranger.blog)|座右の銘は積極的歯車。|ProjectSAU(@projectsau)オーナー。
●X(旧Twitter)田中新吾
●note 田中新吾
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